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九ノ巻 平成12年2月刊       

前田日明編集長対談
論客 松岡正剛

   武蔵は二刀流 正剛は日本流

 「知の達人」日本流の極意を語る
 日本の芸能という言葉の「能」とい う字はアビリティのことです。
そのア ビリティがあることを「才能」と言い ますが、この「才」は人に備っている のではないんです。
物とか石とか木と か鉄に備っていて、それを取り出して仏像や刀や庭石にするのが「能」なの です。
だから能楽の「能」もそうです るかが問題で、その取り出したものを 見せ合わわけです。
 剣術の場合にも相手から取り出すも のを非常に重視しています。
これはフ ェンシングとかバイキングの武術論と は全然違います。
相手から情報を取り 出して、それを一刀流にしたり無刀流 にしたりする。
それが行きつくと、新 陰流の「懸待一如」となったりするんです。
 世界中の武術論を読んでいても、だ いたい「待つ」などという言葉がこんなに出てくるのは日本しかないです。―松岡

松岡 
関ケ原のときにはまだ十代後半で、自分の剣法を完成したときにはもう戦争がなくなっていた。遅れてきた青年ですね。だから自分で一つ一つの試合をティピカル(典型的)な戦場にする以外なかった。相手の情報を集めて戦略戦術を立てる。一人で戦争という状況を作ろうとしたのではないですか。それがすごいのですね。卑怯だ、何だと言われようと必ず勝つ一人戦争をやるわけですから。

前田 
そうか武蔵にとって佐々木小次  郎との決闘も戦争であったわけですね。

前田 
一番最初にバタイユを読んだと きに、これって「ワビサビ」のことを言ってるのかなと思いましたけどね。  ヴィトゲンシュタインを読んだときに、なんだ吉本隆明の『共同幻想論』は ヴィトゲンシュタイン読んだら書けるじゃないかとか思ったりもした。

松岡
それそれ、そういうところが前 田さんは面白いよね。

前田 
論理学とか倫理学とかそういう 分野さえも知らなかったんですけど、たまたまヴィトゲンシュタインを読んで面白かった。バタイユを読んだのは 一番最初フランスの評論家でミッシェそれでル・シュリヤの書いた『バタイユ伝』 を読んで、面白いなと思って、『エロチシズム』とかいろいろなのを 買って来て読んだ。

松岡 
よくもそんなの読みながらレス リングやってましたね(笑)。

特集 宮本武蔵
  たった一人の戦争。現代に問う武蔵の戦争論
武蔵はなぜ、たった一人の戦争をしたのか、一人で戦争という状況をつくろうとしたのか。
吉岡一門、佐々木小次郎との決闘も、武蔵には勝たなくてはならぬ戦争であった。
宮本武蔵の合理性も弧高の人であったその因も、宮本武蔵の戦争論の中にある。
日本人がもう一度、戦争論を建て直すとき、そこに宮本武蔵が立ちはだかる

 特集目次
◎空前絶後の孤立峰     兵頭二十八     
◎武蔵的戦法の是非     古川 薫    
◎己の流儀にこだわらず   松井章圭     
◎大山倍達、知られざる「文の世界」 角田芳樹     
◎平常心―水の巻      山中秀夫    
◎武道を現代を生きる術とせよ  萬 二郎
        
    ■日本思想史からみた宮本武蔵
 和歌文化への対抗
 空前絶後の孤立峰

 
兵頭二十八(軍学者)
さわり:武蔵は当時、西洋近代に最も近いところに居た専門 技術者であり、
およそ「吉川版武蔵」とは別人の狩猟・戦闘文化 の旗手であった。

内容見出し:明治期に模索された 「武士道」とは何か
新渡戸の『武士道』で 発見された「武蔵」

小説『宮本武蔵』の功罪  合理主義者の実像歪める
宮本武蔵研究は  常に『五輪書』に帰れ
  「武蔵」の名乗りは 「ますらお」の主張

「剣聖・宮本武蔵」への異論
宮本武蔵的戦法の是非
古川 薫 (作家)
さわり:斉藤茂吉は宮本武蔵を嫌悪し、佐々木小次郎に同情した。片や菊池寛は
武蔵を弁護した。この是非は現代に持ち越された「生き方」論争である。
  

宮本武蔵と大山倍達
 己の流儀に こだわらず
松井章圭(国際空手 道連盟・極真会館館長)

さわり:強くなるために己の流儀に固守しない、それが大山極真空手だった。
生涯、武蔵に自分を重ねた大山総裁の中に武蔵は生きていた。
 私が宮本武蔵を語れるとしたら吉川英治先生の小説の中の宮本武蔵像と大山倍達総裁の中で生き続けていた武蔵、総裁が武蔵に同化しようとしていた日々の中で、総裁を通して見た宮本武蔵像から得たものだ。              また口幅ったいが、私自身が長い間、空手の修業で会得した、私なりの戦いの理合いから宮本武蔵の言わんとすることを意味を、自分流に計ってみてのことからだ。 大山総裁が宮本武蔵に自分を同化させた一つは、細川家の客とはなったが、結局、どこへも仕官せず、己の信じる道を探求し続けたことではないだろうか。
 

 ■宮本武蔵と大山倍達 

大山倍達、知られざる文の世界 
 
『空手バカ一代』でない、もうひとつの顔 

  

昭和の武蔵」大山倍達は、武蔵にならい文武の道                     をめざした。いま主(あるじ)亡き総裁室に                       「文の人」の面影 が残されている。        

故・大山倍達(ますたつ)総裁ほど宮本武蔵を自分の生き方として考え続けた人はいなかったではないだろうか。小説『宮本武蔵』を書いた吉川英治は、作家として宮本武蔵を愛し、残存する資料を調べ、我々に宮本武蔵像を描いて残してくれた。だが吉川英治は武道家でなかった。
武道家として「吉川版宮本武蔵」をつき抜けて、総裁は実像・宮本武蔵を見ていたのではないか、と私は思っている。――角田芳樹              

続 戦争論ってなんだ! 
  

戦争論 
―戦争は正義と正義の衝突である 
藤原稜三
 さわり:戦争の正義は星の数ほどもある。ゆえに予測も困難である。であれば常に戦争被害を最低レベルに抑え込むだけの手当をしておくべきだ。

見出し:戦争は定義できない 人間の正体の不可解さ
大東亜戦争の正義と  極東国際軍事裁判
蘆溝橋事件の正当性 賊軍の正義は却下
戦争は事実であり その事実は言葉である
ナチスとドイツ ヒットラーの正義
  戦争は反対しても起こり、 賛成しても起こらぬもの

国民の歴史』を読む
秘められた意志
西尾版『ツァラトゥストラ』
小杉英了
 さわり:ニーチェを思わせる虚空に一人立つ 意志の力を、人々の心の中に呼び覚まそうとした「超人へのいざない」が、『国民の歴史』をつらぬいている。 
一言でいって本著『国民の歴史』は、西尾幹二氏の『ツァラトゥストラ』である。それは西尾氏が著名なニーチェ研究家であるとか、千七百枚を越える本著に匹敵する重厚なニーチェ論の著者であるとかといった事実から、そう言うのではなく、本著を垂直につらぬく意志が、ニーチェを思わせるからである。――この書き出しから始まる、この一文は、西尾幹二『国民の歴史』の核心を射ている。
 
日本の武具史・弓の謎
  「和弓」―日本の武士の誇り   
齊藤 浩
さわり:大陸の強力な「弩」《ど=ルビ》(いしゆみ)を導入できたのに、なぜ武士は
和弓を捨てなかったのか? そこに日本の武士の根源があった。
「わが国の武士が、人間集団と戦うた めの格別に新しい遠戦兵器を採用しよ うとした痕跡は、鉄砲以前には、認め られない。もしそのような取り組みの 態度があったならば、奈良朝以前にお いて、中国式の「合成短弓」が採用さ れたはずであろう。長さ2メートル20 センチにもなる和弓(長弓)は、馬上 から前方や右側を射るのに悪しく、左 側を射る場合でも、引き絞って撓んだ 弓元が馬に接触するおそれがあるから、 射手は必ず馬上で仁王立ちしなければ ならない。合成短弓ならば、そんな面倒は一切ないのだ。(一文抜粋)

  ホームページ掲示板「思考の無銘刀」
私たちは『国民の歴史』をこう読んだ
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刀剣講話  日本刀の手入れ   高山武士 
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柔術の技法(二) 投げ技  小佐野 淳      
武道・格闘技事典  編集部編
 ■床几
高倉英二 蘇れ、時代劇の殺陣(たて)     倉島 一   先人達の五感
 門脇 尚平  「門脇手相学」序説       片山健雄  これからの父親像
 無銘刀宣言   
我ら祖先は審美と実用を一体化した。
鉄砲の実用性より剣の美と立居振舞を選んだ。
己の魂とし自らを鼓舞し、律してきた。
いま再び矜持の日本刀を腰にさそう。

       

【無銘刀】
 チャンバラ映画が華やかかりし頃の子供 らは、いま観たサムライに扮し、チャンバ ラごっこに興じた。餓鬼大将は子分を悪者(わるもの)に仕立て「飛び道具とは卑怯なり!」と正義の剣を振った。映画では敵(かな)わぬとみた悪者は決まって短筒(たんづつ)を出してきた。 鉄砲は悪者の武器であった。
 今巻編集長対談で「なぜ日本人は鉄砲を すてたのか?」の話が出た。全てを解くと なると謎であるが、外国人に言わせると「ヨーロッパの騎士の身だしなみの紋章盾、認印つき指輪、勲章、肩章等の一切合切が日本刀に集中的に体現され、プライドの物的表現」となる。第一次的な解答としては正解だろう。このサムライの遺伝子は敗戦後も大衆娯楽の中で我ら戦後派にも連綿として伝えられていた。
 しかし、チャンバラ小僧も例外に漏れず 青春時代は欧米文化や純文学のパパラッチ (おっかけ)に身をやつした。サムライの遺伝子は無用の長物として埋没していった。私の中で再び陽の目を見るまでに三十年ものときが経った。
 外国の地で己の立居振舞(たちふるまい)の貧弱さに気づき剣道を習い始めた。その頃、縁のないものと思っていた時代小説をふと手にしたことから「飛び道具とは卑怯なり!」の鉄砲をすてた遺伝子がむっくり頭をもたげてきた。
 それから読み始めた池波正太郎、藤沢周 平、司馬遼太郎、津本陽、隆慶一郎、池宮 彰一郎……彼らが描くサムライの立居振舞 に片岡千恵蔵、大友柳太郎、中村錦之助、 叔母たちによく連れられ観た長谷川一夫、 市川雷蔵らを無意識に重ねていた。日本刀 の柄を両手で持っての立居振舞は日本人の 身体作法の結晶である。
 明治の廃刀令は帯刀(たいとう)を禁じたのであって持つことを禁じたのではない。が、その七十年後GHQの刀狩り、戦{いくさ}の禁止令で、プライドであった日本刀までもすててしまたらしい。我らの日本刀はもう時代小説の中で捜し求めるしかないのか。(杉山頴男)