|
戻る
五ノ巻 平成11年6月刊
編集長対談 論客 西尾幹二
日本独自の精神の秩序が 生まれた鎌倉時代
[特集] 歴史の尊厳なる魂 平成日本人の徳目
武道精神が日本を救う /伊沢元彦
『憲法十七条』の精神/戸美川 鷹
大義の人により太平は成る/堀井純二
「恥を知る心」を常に抱け/郡 順史
『軍人勅諭』と『教育勅語』の真義/杉田幸三
戦後日本の拠るべき道標/山内健生
儒教は日本に根づかなかったか?/前田日明
『戦争論』第二部で描きたいこと 小林よしのり
ポップ・ミュージックは魂を支える教科書だ 小杉英了
映画にみる三島由紀夫の武士道 山内由紀人 |
連載
武道の中の日本 オモテとウラの関係 松岡正剛
日本の美意識 名乗り 風柳祐生子
刀剣講話 水心子の古刀復古論 高山武士
侍の作法と嗜 第十九項〜第二十三項 名和弓雄
武道家のための日本武道医学/救急法(五) S・パリッシュ
現代版『聖中心道肥田強健術(四) 恩蔵良治・編
日本伝柔術の世界(五) 小佐野 淳
『武芸者の花押』
オランダ・リングス 通信 闘争本能の化身、レンディング 遠藤文康
<前田日明語録> 織田信長の「神との約束」 吉田健吾
武道・格闘技事典(五) 編集部・構成
床几(1頁コラム)
稲葉 稔
小川和佑
松井健二
由良部正美
|
無銘刀宣言
武道場に神が消えて久しい。
神代の時代、武と産は一体であり、
劒は生命の象徴であった。
現代武道は聖なるものを失った。
【無銘刀】
飼っていた子亀が成長し、子供の両手に収まらなくった来た頃、亀の腹の甲らに私の名前を五寸釘か何かで彫り込み、酒を飲ませ、近くの浅間神社の池に放った。そうした人は長生きすると祖母は言った。
過去、二度ほど生死の分かれ目に会った気がする。二度あることは三度あるで、また命拾いするのか、三度目の正直でおだぶつになるのか、答えは当年、四十半ばになっただろう、腹に私の名を彫り込まれた亀に聞いてみなければわからない。
そんな信仰が、まだ祖父祖母の時代の人には生きていた。祖先から綿々と言い伝えられてきたのだろう。神道とは要は、このような「ご祖先様の言葉を聞く教え」だ、そうだ。
亀を放ち、神殿の前で祖母と拍手を打った。その拍手の音が再び蘇えったのが、数年前から通い始めた弓道道場であった。
今巻『床几』で稲葉稔さんが「ほとんどの武道場に神座(神殿、神棚)がなくなっている」と書かれている。
私が通う弓道道場は幸いにも公営施設でなく町道場なので神棚があり、出入り際は拝礼として柏手を打つことは自然で、当初、戸惑ったが新参者の私も諸先輩に見習い打たざるを得なかった。だが習慣づくと不思議なもので、ふと忘れたときなどは気持ちが悪く引き返したりする。
パン、パンという響きが周りの空気を震わせる。空気の振れの狭間に凛とした見えない糸が生まれ、その糸で天と結ばれた気がする。祖母と並んで無邪気に打った柏手の音も、天と結ばれた音がしたのだろう。
稲葉さんが末尾に言う。「武道探求に神々が蘇ることが最も緊急を要すること」
戦後、皇国史観の因として、神道は悪しき宗教扱いされ、公の場から追放された。しかし、永く日本の武道を支えてきたのは、武士たちの国造りの神々に対する敬虔な信仰ではなかっただろうか。(杉山頴男) |
|