<対談、ほんのさわり>
田中 人間の盾は本意ではありません。私はイラクの人たちと一緒に銃をとりアメリカ軍を戦うために行ったのです。アメリカの国家テロは許せないという気持から志願兵になろうと思いましてね。でも、イラク軍に入れてくれなかった。そのわけはモスレムでない、要はアラブ系でないということ。仏教徒でそれにアラビア語ができないからと。
私はイラク軍に志願するつもりで、変電所に入ったのです。ここは最初、六人いた。みな兵役志願で、その内、志願兵として四人取った。モロッコ人、シリア人、そして二人のエジプト。非アラブ系の私と、もう一人の退役軍人のエジプト人は歳だからと外された。
でも、いざ戦争というとき四人は戻ってきましたよ。私たちをエントリーしたのは外国人が義勇兵として参加したぞ、というプロパカンダ用のテレビ撮影以外の何もでもなかったのです。私は1ヵ月は戦えるように62キロまで絞っていた。あれは汚い。それで人間の盾として残ったのです。
木村 それはしかたがないですよ。イラクには軍隊もありますが、管理するほうの部署に余裕がないのですよ。ところで、人間の盾の生活はどんな様子でしたか。
木村 大国アメリカに狙われたイラクの立場からすれば世界を味方につけなければならない。志願兵をプロパガンダにするのはやむを得ないと思いますよ。
二月十九日から二十一日まで反侵略の国際大会があり、それに出たあと、僕はある理由があって残ったのです。友人であるバース党員から、家族たちを激励するよう頼まれたのです。イラクに関わりのある人間が励ますことで、志気が上がると考えたのでしょう。それもプロパガンダといえばいえなくもないですが、南部での自爆攻撃も、「世界の人がイラクを支援してくれている、これはジハードだ」という確信へつながっていたかも知れない。
その友人は「自分は死ぬかも知れない。イラクはアメリカに占領されるだろう。だが、木村は十二年にわたってイラクが不当な経済制裁を受けてきたことを知っている数少ない外国人だ。だから日本へ帰って、我々の戦いを世界に伝えてくれ、そしてイラク支援を続けてほしい」といわれ、三月二日にイラクを出たわけです。その人は死んでいるかもしれません。いまもって消息はわからない。
それともう一人の兄弟分の人物は、アメリカが「戦犯」だという五十五人のリストに入っています。大東亜戦争のときと同じで、戦勝国が敗戦国の主要人物を戦犯と決めつける。アメリカのイラク攻撃は「侵略戦争」以外の何物でもないです。このことを根本的に抑えておかなくてはならないと僕は思う。
田中 そのとおりです。それに抗議するために私はイラクへ戦いに行ったわけです。
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