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弐ノ巻 平成10年12月刊

             

無銘刀宣言

殺傷の武術を型(形)という身体表現で
哲学までに昇華させた祖先たち。
言語のみの西洋哲学でない型は
日本民族の独自の創造の源だった。

編集長対談 論客 猪瀬直樹「形」を棄てた戦後日本人

     [特集]三島由紀夫が己の腹に放った刃を 我らが胸に抱く日が来た


    いま、なぜ三島由紀夫なのか
昭和四十五年十一月二十五日――自衛隊市ヶ谷駐屯地にて三島由紀夫は切腹の作法をもって自決した。当時の報道はスキャンダラスな面に終始し、自決の真意が覆い隠されてしまった。三十年近くたったいま、三島ほど現代の日本を予見していた者はいなかったことに気づく。

三島由紀夫が放った刃が我らの空虚をあばき、今世紀を超えていくだろう。
  • 三島由紀夫の現代武士道  ◇安藤武
  • 文学のベールを剥いだとき、そこに武士道があった  ◇板坂剛
  • 声なき絶叫 深淵を飛ぶ意識  ◇小杉英了
  • 肉体が思想に変容する瞬間、荒ぶる魂が行動をよびさます  ◇久住純
  • 三島由紀夫と森田必勝 二人はいまも生きている  ◇鈴木邦男
  • 『対話 日本人論 林房雄 三島由紀夫』  ◇前田日明
  • 再録 『三島由紀夫の生涯』<宿命の哲学>(昭和45年11月25日)
  • 武道の中の日本 型と稽古  ◇松岡正剛
  • 刀剣講話 日本刀の起源  ◇高山武士
  • 日本の武具・後 腰のけんまく  ◇風柳祐生子
  • 侍の作法と嗜 第六項〜第八項  ◇名和弓雄
  • 現代版『聖中心道肥田強錬術』  ◇恩蔵良治

無銘刀宣言

殺傷の武術を型(形)という身体表現で哲学までに昇華させた祖先たち。
言語のみの西洋哲学でない型は日本民族の独自の創造の源だった。
 
【無銘刀】

▽真珠湾攻撃の際、実は日本から国際上合法的な宣戦布告がなされていたという説を聞いたのは、防空壕が残る空地で日なが野球に興じていた少年が、中年にさしかかり下腹が弛み始めた頃だったと記憶する。
 平成6年11月、新聞紙上で宣戦布告の遅れの問題を報じ、在米大使館員の恤s手際揩ナ米国への通達が遅れたことを外務省自ら公式に認めたとあった。
つまりは外務省自らの責任追求を回避するため、半世紀以上も覆い隠していたのだった。
 戦後、いや敗戦直後生まれの男の子は、多かれ少なかれ、「リメンバー・パールハーバー」の負い目を子供心にも背負っていたことを責任を庇いあった大人たちは知っていただろうか。
▽十歳に満たない頃だろうか、祖母が「日本の兵隊さんは一対一なら負けなかった」と語った。それを聞き、小石を戦艦、戦闘機に見立て、米艦隊、戦闘機を撃沈、撃墜させて遊んだ。この言葉は子供ながらに唯一の救いだったのだろう。元来、男の子とはそういうものだ。
 戦記は、まず事実を凝視しなければならない。しかし、死者への鎮魂がなければ優れた戦記とは言えまい。戦記・戦史とは無縁の戦後教育の中、祖母の一言だけの戦記だったが聞けたことは幸せだった。
 凡人も歳が重むと、人生の住みかだった戦後社会という場が少しは見えてくる。戦後の大きな欠落が「鎮魂」と「型」ではなかったかと思うのである。
 今巻で松岡正剛さんが「稽古とは古をかんがえる、古にとどまることであり、型は古き姿を見つめることから生まれた」と書かれていた。武の「守・破・離」もしかり。古きは固守するものでなく、今を考え、明日を創造していくために学ぶものだろう。
 戦記とて勝敗の因を学ぶ古である。戦後、優秀な企業戦士を多く輩出しながら古に学ぶ「企業戦記」を持たなかったゆえの恃s戦揩ナあり、再び「戦後」である。(杉山頴男)