<『葉隠』問答のさわり>
兵頭 明治15年の『軍人勅諭』は、大原幽学(1853年自決)の武士道説と妙に重なるんですよね。それから、乃木大将の『武士道問答』には「武士道は忠君をもつて精髄と為し…」「唯だ如何にすれば陛下の御信頼に応ずるを得べきか、又如何にすれば陛下の軍人たる面目を保つを得べきかと心をくだくより外なきなり」とあるのがじつに『葉隠』的に思えます。ただ、夢窓国師がくらべていわく、尊氏は寛仁だったが、そのために世は乱れた。頼朝は罰が厳重だったが、おかげで世の中は治まったと。そもそも「忠君」とは朱子学の考え方で、武士道とは別物なのですよね。
嘉村 軍人勅諭の美しい言葉で納得してしまう人間ではダメ。軍隊の中では上官の命令に従わなければならないが、ここにおいても出来る限り法治主義が働くことにより合理的な命令もくだせる。究極的に言えば国民の代表が作った法律による行政の原理が、組織内部においても完結しなければならないと思うのです。そして、自分の代表が作った法律だからその諸体系は自分の家族を守ってくれるだろう。だからこそそういう国を守るんだ、とならなきゃ本当の力が出ない。つまり強くなれないと思います。
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