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武道通信十六ノ巻
前田日明編集長対談 

論客 兵頭二十八――「日本は核装備しなければならない」と主張する軍学者
(ひょうどう にそはち)
昭和35年長野市生まれ。「もうじきソ連軍が北海道に来る」という記事を鵜呑みにして北海道の自衛隊に志願。現地で「それはあり得ない」と自分で分析、除隊して23歳で神奈川大学英語英文学科へ。在学中、故・江藤淳に知られ、続けて東工大の大学院へ。その間、古今東西の軍事古典を読んで得た結論は「日本は核武装しなければならない」。月刊『戦車マガジン』記者等を経て、現在「軍学者」。
はじまり はじまり・・・

通常の編集長対談の倍近い頁を費やし、零戦の話から始まり、靖国神社、国防、日本の市民、真珠湾攻撃、そして敗戦の原因を語り合います。

■ほんのさわり
前田 戦後、戦争放棄を大前提に立ち過ぎて、なんて脆弱な国を作り上げてしまっただろうか。日本は怖いですね。たとば日本海側に原子力発電所がばっと並んでいる。朝鮮からなら近距離ミサイル、中国からなら中距離ミサイルで届いていまう。そしてたら核に灰は列島の東側に流れる。じゃあ、パトリオットミサイルを整備するかというと命中率は10%ぐらいというし。
兵頭 実はミサイルの命中率は誰にも分らないんです。直前の戦場のデータが取れるだけで、次の戦場がどうなるかは、敵も戦法や技術を工夫していることですから、誰にも予言なんかできない。それを予言する者がいたら嘘付きだと思います。
松本健一/木村三浩対談
論客 松本健一――近代日本社会思想史としての「右翼」研究家
(まつもと けんいち)昭和21年生まれ。昭和46年(71)『若き北一輝』を発表。近代日本思想史を通して右翼に光を当て、新鮮な衝撃を与えた。以後、在野の精神を基軸に政治、思想、文学など幅広い評論活動を展開。右翼思想にも大きく踏み込み、民族派に大きな影響を及ぼす。近著に『北一輝伝説』『三島由紀夫 亡命伝説』『思想としての右翼』など多数。
論客 木村三浩――新右翼と呼ばれる民族派「一水会」代表
(きむら みつひろ)昭和31年東京生まれ。右翼民族派活動家。一水会代表。国際的な「対米自立」ネットワークの構築に尽力する。イラク、ユーゴ、マレーシア等を数度にわたり訪問。近著『右翼はおわってねぇぞ!』。共著に『右傾度87%』(小径書房)『オウム大論争』(鹿鳴社)等。
なんと単行本になってしまうほどの“長”対談。「右翼は終わった」の論客と「右翼は終わってない」の論客が、靖国神社の意味から日本の神道、民族主義の原像から、日本の民族主義の行方を探る。

■ほんのさわり 
木村 小泉首相は総裁選の際に、遺族会の方に「8月15日に靖国参拝する」と言明したと聞いているんですが、それはともかく8月15日に行くと国民に公約したにもかかわらず、13日に前倒したのは中途半端です。今回の一連の流れを見ていて、私はそこに「行くと言ったからには行かないわけにはいかない……」という政治的なポーズを強く感じました。
 靖国神社というのは、大東亜戦争だけではなくて戊辰戦争から日清、日露戦争の戦没者も含め、約246万6千もの方々が祀られているわけです。だから、その方々を含めて哀悼の意を表するならば、何も参拝を8月15日に特定することはないんです。ですが、大東亜戦争に負けてポツダム宣言を受諾した次の日、つまり終戦記念日の8月15日という日付に敢えてこだわるならば、たとえ「A級戦犯」合祀問題で中国・韓国から批判が出たとしても、公約どおり15日に行くべきだった。その上で、サンフランシスコ講和条約第11条を受諾したことによって、極東軍事裁判の戦犯規定を受け入れてしまったことも問い直す。そう明言しなければならないはずです。私が中途半端だというのはその点です。それからもう一点、小泉総理が参拝までの間に出した談話で、「軍国主義によって非業の死を遂げた方」とか「心ならずも亡くなられた方」と言っているのは、参拝に誠意を持っているとは感じられなかったですね。
松本 私は小泉総理は基本的に原理がない方だと思います。非常にもの事を短くはっきり言って、これまでの首相と全く違う感じがして、新しい決断力のある首相だという印象を我々は受けたのですが、原則を言ってるわけじゃないんですね。だから、「私は靖国神社はこういうものだと思う」という規定は殆どしていないんです。「あそこには戦争で死んだ人びとが祀られてるから、それを追悼しに行くんだ」と言ってるわけです。
 これは日本人の多くの人は納得しますが、先ほど木村さんがおっしゃったように靖国と言うものは、明治の10年代に作られてるもので、大東亜戦争の施設として作られたものじゃないです。「靖国神社はこういう意味で作られたもので、だから、こうだ」という原則を言っているわけじゃないんですね。ここが非常にわかりにくくしてるし、政治家の立場でどうにでも動かせる。最初は絶対15日に行くんだと公約したのだから、これは公約違反だと言う人が当然出てくる。「8月に行く」とだけ言っておけば、これはなんの公約違反でもないわけですから(笑)。
 それから中国や韓国に対して説得しに行くと言う事を言うのならば、「我々は国のために死んだ人をあそこに祀っているんであって、その人達は政治的な戦犯とはそれと違う。だから今すぐは出来ないけど分祀をする」と言うべきです。中国は政治的な国ですから、それならいいだろうと言うだろう。そのような判断で行ったのか、まったく見えない。靖国神社とはどういうものなのか、どういう意味で作られて、そしてそこに行くと言う事がどういう意味をもっているか、という原理原則を言っていない、説明していない、というのが私の感想ですね。
嘉村 孝/戸部アナマリア対談
論客 嘉村 孝――中世武士道へかえろうと論じる『葉隠』研究家
(かむら たかし)弁護士。『弁護士の目』他、著者多数。HP『武士道バーチャル博物館』主催。セミナー『葉隠フォーラム』も主催。大学講師。
論客 戸部アナマリア――札幌に居拠し、日本の母親を叱る、教育研究家 
(Ana Maria Tobe)メキシコ、サンルイスポトシ市生まれ。メキシコの新聞社、ノベダスの新聞特派員としてヨーロッパ、中米、北米、日本に赴任。ラジオ「今週の出来事」パーソナリティ、札幌はまなすロータリークラブ会長、北海道ユネスコ連絡協議会議議長などを歴任。
本誌初の女性論客。嘉村さんがかつて歴史観で意気投合したというアナマリアさん。外から見た日本の脆弱さに、『葉隠』論客が応える。

■ほんのさわり
戸部 歴史教科書は良くても悪くてもホントのことを載せるべきです。それを判断するのは本人でしょう。戦争のとき日本のやったことすべてが悪かったんではないでしょう。夫が名誉フィリピン領事になる前、山下奉文将軍がいた所へ行きました。まだ当時、日本人だけでは行かないでくださいと言われたんですが行ってみたら、タイガー山下と愛称され、地元では尊敬されているんです。山下将軍の部下は礼儀正しくて、ぜったい悪いことをしなかった。それでなく生活の知恵をいろいろ教えてくれた。部隊が帰るときは町全体で見送ったと言います。今でも記念碑が建っています。日本の教科書には悪いことばかり載っているけど、このようなこと載っていませんし、誰も知らないではありませんか。メキシコは両方教わりますよ。革命も良かったけどこんな悪いこともしたと。だから家で革命派だったおじいちゃんが政府を非難してもいいんです。子供たちはその両方の善悪を知っていますから。
嘉村 もっともそれを言うと、その現象面だけ載せて、「だから日本はよかった」なんてやる人がいるから困るんですよね。国家として行ったことと個人とは分けるべきでしょう。ちなみに、派閥のことを言うのは不適切かもしれませんが、昭和の歴史でいうと、山下奉文さんはいわゆる皇道派で、日本の真の敵はソ連。米英とは協調すべしとする派に属していました。一方、開戦の総理大臣東条さんは南進論の統制派の流れです。ところが日本の本では皇道派というと名前だけが、一種の神がかりみたいに書いてあり不適切極まりないし、本質が全く分かっていない。山下奉文さんがむしろフィリピンの民衆に慕われたというのは、こういうところの「肌合い」の違いもあるんじゃないでしょうか。とにかくそれは良いお話をお聞きしました。
 オープンにするという意味で台湾のことを言いますと、1947年台湾に大陸から蒋介石の軍隊が来て、2万人以上の台湾の人を殺したんです。いま総統区にそばに博物館を作り、すべて公開している。ですから今度大陸から攻めて来たら護ろうという気持が生まれるような気がするんです。
杉山ひでお参議院選挙報告
街宣車から見えた日本
聞き手 兵頭二十八(応援弁士)
先の参議院選挙に立候補した武道通信発行人。杉山の立候補の動機、選挙運動を通じ見えたものは何か。
レギュラー陣の力作

◆刀と日本人・続〈第四話〉――小川和佑

隆慶一郎の異色伝奇小説
――名工・清麿の末期の願いに賭けて、山人鬼麿が行く


◆武道の中の日本〈十三〉
秘すれば花
武道は時代ともに変化した。もののふの道から皇国武士道へ。
現代の武道は、一本の日本刀を読みとる力から蘇生させよ

◆近代アジア異聞録 朝鮮――小杉英了
朝鮮―日本との同盟はありえたか〔後編〕
金玉均ら朝鮮改革派は祖国近代化に挫折した。福沢諭吉は断腸の思いで「脱亜論」を説いた。この瞬間、近代日本は東アジア的連帯と断裂した。(最終回)

◆日本の美意識――風柳祐生子
他人様
日本には「様づけの他人」がある。「ひと様」と読む。江戸の昔から人口密集地の暗黙の約束事として生まれていた、都会人のクォリティであった。