■弓馬の家
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高校に入って 弓道部 高校 前身は父の旧制中学 同じ弓道部 入れとは云われてなかった
一年生 毎日 千本浜 ランニング 弓道場では 的場(安土{あづち})の脇で 「あたり!」「はずれ!」の掛け声だけ いつになったら弓 持たせてくれるんだ で ヤ〜メタ 「巻藁三年」なんて言葉あること 四十半ば 弓道場の門くぐってから知った
多少 和弓と関わった拙者が 軍学者の言葉 くだいて綴る
和弓のはじまり 上下で弾力生が異なる一本の木でつくられていた 根元の方が太い 先は細い ゆえに 弓を持つ左手 弓手{ゆんで} は 下から三分の一のところ
平安の世になり 竹と木を合わせつくれるとうになっても 弓手の位置 下から三分の一
いまの世 グラスファイバー製/カーボン製も同じ かつての武士のプライドを守りつづける 記憶の遺伝子を守りつづける
初の国産銃 村田銃の村田経芳{つねよし} 弓を研究 分析 強弓の遠射 全く当たらぬ むかしの実戦鏃{やじり} いまの的射用より矢先が重い 強弓で近距離を射たものと結論
元寇 大陸の騎射戦 一定の間合いを保つ 日ノ本の海岸線ではそれができなかった 日ノ本軍が接近戦を挑んできたので 元軍は二度とも陸営を嫌い 海上へ碇泊 海上に間合いをとった
支那 宋の世の著 『射経』 日ノ本の狩猟式射術 「相手に近づいてから発するので射た矢はすべて当たる」
軍学者 弩の製作に必要べからざる魚の膠{にかわ} この膠の接着剤 連射していると軟化 威力が弱まってくる 高温多湿であるほど進みが早い 元寇の射手も同じだっただろうか しかし 軍学者 それが第一の理由でないと
【兵頭 → もともと縄文以来の日本の風俗は、東北地方と北海道においてもなぜか「南国風」だ。何かはっきりしない理由によって、それが長弓による狩猟のスタイルと神話的だった。その長弓による狩猟者が、日本の武士の根源であり、それが中央貴族に対するほこりであったからこそ、わが国では、武家は「弓馬の家」、武士は「弓矢とる身」と自称して、元寇の頃までは、武士の「表道具」は刀や長柄でなく、弓(和弓)だったのである。 】
※月曜(17日) UPするつもりだった 失念 健忘症に非ず
2024/06/19(水) |
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