■武士道の登場
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杉田玄白 『形影夜話{けいえいやわ}』 「自分の医学開眼にあたっては一冊の兵法書が大きなヒントになった」 一冊とは 荻生徂徠 『鈴録外書{けいろくがいしょ}』 『鈴録』二〇巻の補足版 玄白 こう書いてある 「譬{たとえ}て言はば、患者の形体は敵国の地理なり。 乃{すなわ}ち山川は釼易あり、高定あるが如し。これは地の定りある所なり。 然るに、其地常に異なる事あるは、必ず敵の謀形を設る所あればなり」
現代訳はこうだ 医者にとって人体は敵国を攻めるようなものだ。だからその敵国あるいは戦場の特徴をよく知らなければならない。それには兵学的発想が必要だ。それが医者の務めだ
また玄白 こうも云う 「人身の四肢百骸も定まりたる部位あり。其自然に違ふ所あるは、必ず痛む所あるの候なり」 現代訳はこうだ 人体は戦場なのである また多様な病巣や病根は敵の潜伏場所である
荻生徂徠 武芸者でも兵法家でもない 江戸中期の儒者 その徂徠の文章に玄白が引用したくなるほど<兵法のヒント>がいっぱい詰まっていたということは 江戸の兵法が意外と大きな裾野をもっていたことを暗示する いったいどうして 島原の乱を最後に泰平の江戸の世なのに 兵学など必要のなかったのに
【松岡氏 → これは武士道が戦乱のない泰平の世となって初めて登場してきたということの事情とともに、もっと注目されてよいことである。】
「合戦」「戦さ」を文献とし観察でき 戦術を考察できるようになったからであろうか
松岡氏 それを家康が『孫子』を翻訳刊行したことだと云う つづきは次回
2024/11/07(木)  |
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