■昭和19年10月25日7時25分
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【マラバカット神風特攻慰霊祭 我らに託された歴史の事実 杉山頴男 昭和19年10月25日7時25分、神風特別攻撃隊は飛び立った そ57年後のそのとき マバラカット飛行場に「海ゆかば」が流れた】
前文 マラバカット神風特攻慰霊祭に発つカバンの中に一冊の本を入れた。 『神風特攻の記録』(金子敏夫・著/光人社 ) 同書の装丁者である神埼夢現さんから刊行の今年四月にいただいた。 連合軍の資料に基づき、 戦果の虚実を明らかにしている。敷島隊は五名でなく六名であったこと、 構成された当時は「しんぷう」と呼ばれたいたことも同書で知った。】
*猪口力平が「神風」の由来は郷里の道場「神風(しんぷう)流」 から名付け 大西に提案し認められた それが大本営の電文で「カミカゼ」とされ 「カミカゼ」が伝聞
杉山 → 神風平和記念公園入り口 大きな鳥居の前 100名ほどの地元小学生 フィリピン国旗と日の丸 振って 日本から来た戦没者の遺族を支えた206名の参列者を迎え入れてくれた
両国旗を振る子供たちは先生から神風攻撃隊をどう聞いているのだろう その無邪気な笑顔を見ながらシャッターを切った 取材に来ていた「SAPIO」の編集者 女性教師の談話を記事にしていた (帰国後 讀む) 「この子たちは 神風攻撃隊は難しいので 日本の英雄 世界性和を祈る儀式と教えています」
この女性の先輩にあたるのだろう 昭和49年 マバラカット出身の教師 ダニエル・ディソン氏が中心になって旧飛行場に「神風」を建てた 「特攻という事実」 かつての占領民の心を動かした
ディソン氏 現在 フィリピンん・カミカゼ記念協会会長であり 自宅に「カミカゼ・ミュージアム」をつくり 開放している 神風特攻機 初出陣のとき14歳 野球をなど教えてくれた彼ら ある日 突然 いなくなった 特攻 軍の秘密だった 大学卒業後 偶然 神風攻撃隊 英語翻訳版 手に マバラカットの写真がり驚いてページをめくり 彼らが帰らぬ人をなった運命を知り そして泣いた
慰霊祭 はじまった数十分後の7時25分 フィリピン海軍吹奏楽隊 「海ゆかば」演奏 はじまった
−−−−−−★−−−−−− 大きな石 米軍軍艦にみたて 小石 投げつけていた 11、12歳の自分 想い出しながら 旧マバラカット飛行場に立っていた
2025/10/17(金)  |
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