■土着信仰
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【現代日本が喪失した靖国 武士道と宗教と靖国 武士道を国家の機軸とするなら我が国の「国教」は如何に…… 維新政府の国民国家の装置であった靖国神社は如何に変貌したのか 兵頭二十八】
宗教史と武士道史の過去からの「対応」について 私見を述べます と軍学者 前向上
して本題に入る前の前説 土着信仰としての「柱信仰」 軍学者の旧著『日本の高塔』 五重塔のてっぺんに突っ立つている「相輪{そうりん}」 九個の輪っかが直線的に連なる意匠 他の仏教圏の卒塔婆{そとば}には見られない あれは何なのか? 南アジアによくある「樹木の象徴」ではない 軍学者 ごく単純に「ヒトの背骨」を表していると
弥生時代以前の日本には 南洋から来た人も多く棲み着いたよう パブア=ニューギニアでは 人が死ぬと土中に埋葬ぜず 地上何メートルかで幹が折れているような大樹の頂に遺体を乗せ 鳥葬 さらに1年以上も風雨にさらした後 すっかり白骨した遺体の頭の部分だけを家族が自宅に持ち帰って 適当な場所に安置する これに近い習俗を持った部族が日本にいたとしても不思議でない
出雲大社をはじめ 日本の神社の御神体は木の柱 天照大神を祭ってあるはずの伊勢神宮でも 本殿の床下になぜか太い柱がただ埋まっている このような「柱信仰」の実際のカタチから考えると それは「天と地を結ぶもの」とし敬われたと理屈ぽく考えるよりは 単に 昔は柱の上で先祖の遺体を骨にしていた その記憶が仏教伝来以後も日本人の中に生きているのだと見た方は自然
興味深いことは 古い寺の多層塔の設計のなかにすら 「構造材でない芯柱{しんしら}」がある また曽我氏が建てた飛鳥寺の塔の中心柱を支えるための重要な礎石 塔心礎{しんそ}には 匂球{まがたま}などが埋められていた 本来の寺院の塔は その基部には舎利{しゃり}(仏骨)を 納めることになっているはずなのに 日本では寺が最初から土着信仰と融合していたことは ほぼ確実 それは東西いずこの地へ行っても 必ずある 土着の古い宗教は 新しい外来宗教の理論的純粋さを 変容させてしまうだけの力を長く保持する
次号へつづく
2026/01/15(木)  |
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