■遠くは見えますけど 足元は見えません
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田中光四郎さん アフガニスタンに行ったのは44歳のとき 前田 いままだ42歳 その行動力に驚かされますと 前田 極真会館 大山館長に会ったとき アフガンへ行った空手か家がいるそうだ これが本当の武道家だと云っていたと前田に
【田中 → とんでもありません。それだけわがままに生きてきたということだけのことです。ですから自分に一番身近な女房ですとか、子供ですとか親とか兄弟を踏みつけにして「俺は」と手を挙げると、やっぱり遠くは見えますけど足元は見えません。一番身近な人達を踏みつけているわけです。今日、娘がね、来たかったんですよ。前田日明さんのファンでして、ぜひ、お会いしたいということで。38歳になりましてね。】 前田 えっ と驚く 奥さんもお子さんのいたんですか 前田 さらに驚く 【田中 → いやいや、お恥ずかしいことですが、私、いまの女房、五人目でございます。最初の女房に女の子が二人おりまして、二番目の女房に女女男の三人で、最後は男なんです。 最初の女房と別れましてから、もう三十年たってましてね。で先月、三十年ぶりに最初の子供たちが親の了解をもらったからと連絡をくれましたね。その後もあったりしてます。 アフガニスタンへは死ぬ覚悟で行ったんですが、あの子らに会わないで死ぬことが、たったひとつの心残りでしたね。】
この対談から 歳月は流れた 三、四年前お会いしたとき 新しい奥さん もらったと聞いた そのときか 確かな記憶はないが こう云った言葉が心の隅に付着した 「自分は自分しか愛せない男なんです」 遠くを見よとうとすると 足元が見えなくなる の これも 田中光四郎さんの 一つの表現なのだろう
拙者も 「週刊プロレス」「格闘技通信」「武道通信」を創刊したとき 必死に遠くを見ていたが 足元は見ていなかった
そう 「アフガンのサムライ」 和歌の人(詩人)でもある
2025/04/13(日)  |
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