■阿波研造とオイゲン・ヘリゲル
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【日々、弓道に励む若い方々に安沢平次郎先生のこと、また弓友であったオイゲン・ヘリゲル博士、お二人の師であった阿波研造先生のことをお話ししておきたく筆をとった。】
その前に 安沢平次郎との出会い 昭和三十一年ごろ 安沢平次郎 国立からさほど遠くない昭島 昭和飛行場道場に週一で教えに来ていた それを聞き 北島師 その日に通い 稽古を受け 入門を許される
拙宅から徒歩一分ほど その道場はある つまり こうだ 【先生がいま住んでいる処は、何かと不便であったので、当時、建設中だった家に先生をお迎することにし、敷地内に先生の道場を建てた。先生は「射徳亭」と命名した。これで私も毎日の様に先生のところに通い稽古ができるようになった。しかし、そのとき一番がっかりしたのは家内であった。「家族で住むことを楽しみにしていたのに、出来たら人に貸してしまうなんて」と言っていたが、私のわがままを許してくれた。今は亡き家内であるが、いま私があるには家内の支えがあったからこそである。話が逸れた。】
「射徳亭」は駅近くの北島弓道場から徒歩十二、三分。建てたばかりの家に 安沢平次郎を住まわせ、庭に弓道場を造ってわけだ 拙者も「射徳亭」で何回か射た 二人立ちの幅だった
古参の道場生が語っていた 「奥さんが亡くなられてから先生 偏屈になった」 もともと頑固な人であったろう 奥さんが<先生>と弟子たちの間を取持っていたのだろう
話が逸れた 阿波研造の名は ここを訪れる御仁なら周知のことだろう 阿波研造に射道を学んだ ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲル 帰国した1941年(昭和十六年) "Die ritterliche Kunst des Bogenschiessens(騎士的な弓術) と題した講演を行う 1948年 ヘリゲル自身が執筆した 『Zen in der Kunst des Bogenschießens(弓術における禅)』が出版 英訳 ポルトガル語にも翻訳され 世界に 日ノ本の弓道を伝播した
あのシーン 邦訳『弓と禅』に書かれている オイゲン・ヘリゲル 弓術を研究することで阿波に弟子入り 狙わずに当てるという阿波の教えには納得できない 「本当にそんなことができるのか」と阿波に問うた ならば夜九時に自宅に来るようにと
真っ暗な自宅道場で一本の蚊取線香に火を灯し 的の前に立てる 線香の灯が暗闇の中にゆらめくのみ 的は当然見えない
阿波は矢を二本放つ 甲矢(一本目) 的の真ん中に命中 乙矢(二本目) 甲矢の矢の筈に当たり その矢を半分に引き裂いていた 暗闇でも炸裂音で的に当たったことがわかったと オイゲンは『弓と禅』において語っている 乙矢の状態 垜{あづち}側の明かりをつけてわかったことだった
この時 阿波 云う 「先に当たった甲矢は大したことではない 数十年馴染んでいる垜(あづち)だから 的がどこにあるかあなたは知っていたと思うでしょう しかし 甲矢に当たった乙矢・・・これをどう考えられますか」 とオイゲンに語った(オイゲン・ヘリゲル著『弓と禅』より)。
オイゲン・ヘリゲル 騎士道の武術が消滅した欧州だが 日ノ本では 武術が芸術の域に達しで残っている それに驚き 和弓へのめりこんでいった
2025/05/30(金)  |
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