■「詫びる」から「ワビ」生まれた
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松岡氏 捨てたのは銃だけでないと 朝鮮から活版印刷 入ってきたが 家康 朝鮮戦役ごろ捨てた これも誰も答えを出していない これも謎だが これに よって木版画の浮世絵 発達 書道も同じく
【松岡氏→僕はそこに「満足」と「不足」という問題が横たわっているように思うんです。 完全に満足して満ち足りていくというならアメリカンドリームとかの生き方になっていくんですが、どうも日本では必ずしも満足だけが美でもなくし、成功でもないという考えがどこかにあります。そして、足りないとか不足している、欠けている、そういうものを活かしたいというのがずっとあるんですね。 これはワビサビにもつながります。わびるとか、さびるということは、ある意味ではうまくいってない状態のことなんです。自分の持ち合わせが足りない。そこで、こんなもので申し訳ないけれどと言ってお詫びする。それがワビのスタートです。そのセンスは日本独特ですね。…………不足感というものが、その人の勇気とか手配とか取り合わせが美になるわけです。】
松岡氏 古田織部 語る 【それまでは楽焼という長次郎が完全無欠のすばらしいお茶碗をつくってきたんですが、織部の時代、つまり武蔵の時代になると、ぐにちゃりと曲がって損なった茶碗を茶会に出すようになります。そのときに人々は驚いた。これは損ない物だろう。剽軽{ひょうげ}ものだろう。失敗作であろうと。(織部)そうだと、しかし私は今日の日のため用意したものがこれしかなかった。申し訳ないけれどもこれで一夜を楽しみにしたい。その時、それが新しい美になっちゃうんですね。】 *剽軽→こっけい・おどけ(道化)・ふざける。「ひょうきん(剽軽)」のなまり
剽軽の茶碗が美になっていく連鎖は どのような光景だったろうか タイムスリップするしかない
松岡氏 日本人は 物差しがポジ一つあるだけでなく ネガがもう一つあると云う このネガの物差しを出されたときに 日本人は面白く反応するわけだ そして 云う 「でもワビサビの源流は まだ解明されていない」
古田織部の先人はいるのか 誰なのか 不完全ゆえに<完全>とする意識 どこからきた <武蔵の時代>より はるか昔なのだろうか
2024/05/04(土) |
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