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カラスの子


マルサス
貧乏人がいるのは人口が多すぎるからだ
狩猟でなく 持続的食料 もっと農業に力を入れよ
いまの農業生産高 マルサスの時代に比べものにならない
しかも貧乏人も比べられないほど増えている

マルクス
貧乏人がいるのは 國や金持ちが 横取りしているからだ
奴らを消滅させれば 貧乏人はいなくなる
金持ちを殺しても 別な金持ちが生まれ
貧乏人はなくならなかった

マルサスもマルクスも
どこが まちがっていたか
二人とも なぜ人間は競争するのかを 深く考えらfれなかった

軍学者  “カラスの人口問題”で説明する
人間 ゴミ箱にたくさんの生ゴミを捨てる
カラスの餌 増える
カラス 一度でたくさんの子を育てることができる
たくさんの子が増えれば ある日を堺に
カラスの総人口を養うには足らなくなる

親のカラス 何日も食べなくても死ぬことはないが
カラスの子は 何日も餌がなかったら カラスの子は死んでいく
ここでカラス同士の「競争」が起きる
体が大きく強い親カラスは 優先的に取ることができる
七つの卵があれば 全部の子を育てることができる
体が中くらいの親カラス 三つぐらい育てられる
体が小さく弱い親カラス 七つの卵 一つも育てられない みな死んでしまう

学生諸君 君たちのやっている「競争」と
このカラスたちの「競争」と 何ら変わりはない

人間は自分の死を考えられる唯一の動物だ
先の先まで考えられる
強い頭の良い親は 将来
「誰の子が先に飢えて死ぬか」
なんて残酷な競争にはまり込むのは避けた方がよいと
いろんな工夫をする
そう それが受験勉強などいろいろな社会制度なんだ
家族同士の受験競争 企業同士の経営競争 国家同士の戦争
これら「競争」に負けると貧乏になってしまうという仕組み
人間が人口をおさえようとするための無意識のうちにつくってきた制度だ

この制度があれば
貧乏になった者はもちろん
金持ちの親の側でも やたらに自分の子を増やすことができない
そんなことをすれば 将来 自分も貧しくなってしまういことを
人間は予見できるからだ

「戦争は人を殺すが 経済戦争は人を殺さない」
真っ赤な嘘だ
受験競争や経済戦争も 数え切れないほど 人を殺している
生ませない という人殺しを

激しい競争がなければ たくさんの子が生まれているはずだ
それを私たちは 誕生できないように仕向けている
生まれる前に殺しているだ

それが 人間社会の制度や競争に隠された意味なんだ

China共産党 「一人っ子制作」
無意識のうちにつくってきた制度だ

【国家はどうしてできたか】
次に
2024/03/27(水) 晴れ


人はなぜ 競争(戦争)をするのか?


[人は なぜ賭博をするのか?]
マチガイ  訂正

【人は なぜ競争するのか? 兵頭二十八 】
特集 戦争論ってなんだ! の一項
競争にルビ ふられている  「戦争」と

兵頭二十八さんには
連載【中学生にもわかる兵法】ほか 今巻 ダブルで執筆していただいた
今度は 学生へ
サブ
【学生諸君! なぜ君らは「競争」をしているのか。
それは「貧乏」になりたくないからだ。
それは人間が増えるのをおさえようとするしくみなんだ】

「東大へいけ!」 ドラゴン桜の先生
しくみをつくる側になれ

では なぜ 豊かな國と 貧しい國がとがあるのだろう?
なぜ 豊な人と 貧しい人が分かれるのだろうか?
豊かなのは ほかとの競争に勝っているからだと よく説明される
貧しいのは ほかの誰かとの戦争に負けてしまったからだと  よく説明される
そうだとすれば 人々は みんな貧乏になるのがいやで 競争していることになる
それなら どうしてすべての國のすべての人が しかも
同じように豊かに暮らすことは できないないんだろうか?

これまで世界中で いろんな人が いろんなことを考えてきた

イギリスのマルサスも ドイツのマルクスも
しかし…………
軍学者 ふたりの失敗の理由 述べている

次は 次回で

−−−−−−★−−−−−−
「アメリカンフットボール」が創刊されることになった
なぜか 俺の近くにでデスクが置かれた
俺が部長を兼ねさせられたのか

俺が 編集長に
アメリカンフットボルのこと 根掘り葉掘り 聞いていたら
国技 ベースボールを凌ぎ 実質のUSA国技だと
かの スーパーボールの熱狂ぶり 
編集長は云う 
みんな賭けているから
2024/03/25(月) 雨


開戦の詔勅


八ノ巻 特集 戦争論ってなんだ! 
巻頭対談 坂井三郎 前田日明
次ページ 特集扉 
八名の執筆者の“頭上”に 開戦の詔勅
昭和十六年十二月月八日
NHK 正午と午後七時に放送された
「臨時ニュースを申し上げます 臨時ニュースを申し上げます
大本営陸海軍部…………」は午前六時

原文 かなはカタカナに 句読点 濁点なし
放送されたのだから 音読されたのだから
当時の雰囲気を伝えるため ルビふる 
各々方 音読されたし

[天佑{てんゆう}ヲ保有{ほゆう}シ萬世一系{ばんせいっけい}ノ皇祚{こうそ}ヲ踐{ふ}メル大日本帝國天皇{だいにっぽんてんのう」ハ昭{あきらか}ニ忠誠勇武ナル汝有眾{なんじゆうしゅう」ニ示ス
朕{ちん}茲{ここ}ニ米國及英國ニ對シテ戰{たたかい}ヲ宜{せん}ス
朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司{ひゃくりょうゆうし}は勵精職務{れんせいしょくみ}ヲ奉行{ほうこう}シ朕カ眾庶{しゅうしょ}ハ各ゞ{おのおの}其{その}ノ本文{ほんぶん}ヲ 盡{つく}シ億兆一心{おくちょういっしん}國家{こっか}ノ總力{そうりょく}を擧{あ}ケテ征戰{せいせん}ノ目的{もくてき}ヲ達成{たっす}スルニ遺算{いさん}ナカラムコトヲ期{き}セヨ]
(以下省略)

坂井三郎さん
朕 茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宜ス
ゆえに 敗戰責任 天皇にあり 
戦争責任でない
戦争責任 勝った側の理屈である
2024/03/23(土) 晴れ


武道通信かわら版 配信日


暦の上
冬が おわり  春が はじまる

この世と あの世のはざまの物語
映画 TVドラマ  多くなった
世相が そうさせるのか
世相に疎い 拙者には わからぬ
2024/03/20(水) 晴れ


江田島


寒椿 最期の命 ふりしぼっている
桜は まだかいな と つぶやいて

−−−−−−★−−−−−−
床机
「聖地」江田島  真継美沙 (写真家・真継不二夫子女)
原稿 頼んでいたんだ

【真継→子供のころから大切にしている写真がある。海軍兵学校71期生、小島威中尉と八島準二中尉の海軍精神を具現化したかのような凛々しい顔の一枚である。それがご遺影と知った時、えも言われぬ哀しみに襲われた。
 お二人が短い青春時代を過ごされた「江田島」に伺いたいと長年思っていた。だが
物見遊山ではいけない。 江田島は私にとっては「聖地」なのだ。】

表紙ウラ写真
小島威中尉か 八島準二中尉だったのだろうか
やはり 戦死していた

真継不二夫 昭和十七年 撮影のため江田島に赴任
百日余 学生と起居を共に 撮影に没頭
この体験  その後の<父>の人生に大きな影響を及ぼし
真継家の子育ての原点になる

美沙さん 縁あって江田島を訪れる
海上自衛隊第一術学校と幹部候補生学校等、主に教育の場として大切に管理されていた
写真集の世界が目前に拡がる と美沙さん云う
生徒のキビキビした動作 課業に急ぐ学生の駆け足が写真と重なる
いまなお江田島精神は生きていると 美沙さん

参考館に遺品 遺書 壁面に戦没者の名
いまこの場にあの方々が現れても違和感は無く それだけ哀しみが深く胸に迫ると

江田島を出た海上自衛官も これらを観てきたのだ
深く胸に迫るものあったろう

八十余年の後の いま
江田島地区にある  海上自衛隊第1術科学校
百日余 学生と起居を共にし
写真 撮らせてみては いかがか
防衛大臣殿
2024/03/18(月) 晴れ


同期の桜


きょう あすで 
桜のつぼみ ふくらむだろう

♪貴様と俺とは 同期の桜
 同じ兵学校の 庭に咲く
 咲いた花なら 散るのは覚悟
 みごと散りましょ 国のため

坂井三郎さん
コレ 内戦思想だと云う
國のため 死ねばいい
とにかく死ねばいいのである
現場にいた坂井さん こうも云う
上官 友のため 死ねばいいのである
敵に塩を贈る美談など アングロサクソンにはない
 
零戦の性能 連合艦隊の司令官も航空参謀も
何もわかっていなかった
残された米國ニュース映画
特攻機 航空母艦狙って急降下しているのに
ドーンと海に突っ込むシーン
搭乗員がグラマンに射たれ瞬間に死んだか
また失神状態に陥ったのか
でも 大方の理由 別にあった

【坂井→零戦というのは低速では極めて舵の利きがいいし、中速においても
アメリカの飛行機よりも舵の利きがいい。非常に軽く作ってあるので格闘戦をやれば
もちろん強かったんですか、ところが そういう飛行機は舵面積が大きい。
だから突っ込むと五百五十〜五百六十キロぐらいになるから舵が利かなくなるんです。
米俵一俵を片手で持ち上げるぐらい 操縦桿が重くなるです。フットバーも同じです。
つまり操縦不能の状態、すなわち加速度に陥っているんです。
加速度に陥った零戦の操縦がどのようになるかということさえも知っていない。】

連合艦隊司令部長官も航空参謀も 
何もわかっていない

♪あなたと私は 同期の桜
 同じ大学の 庭に咲く
 咲いた花なら 満開になるのが定め
 株でボロ儲けしましょう  自分のため
2024/03/16(土) 晴れ


海軍予備校生


表紙ウラ
前田日明が「武道通信」から連想する「この一枚」
六ノ巻からはじまった
六ノ巻 前田青邨{せいそん}・画 三浦大介{みうらのおおすけ}
七ノ巻 吉田松陰、最後の肖像画(松蔭神社・提供)
八ノ巻 真継不二夫・撮影
まつぎ ふじお/昭和17年、海軍特別報道班員として江田島の海軍兵学校に
滞在中、海軍予備校生、海兵団等を撮影。昭和59年逝去、享年81歳

写真 海軍予備校生だろう ちょっと俯いた顔アップ
錨マークの襟元カラー

真継不二夫氏の息女 杉山頴男事務所に連絡あり
地元の本屋では 数冊はなかなか手に入られないと
わざわざ国立まで来ていただき 駅前で手渡した

写真 東京のド真ん中あたりのビルの何階かだったか
複製を手に入れたのだろう
して ご遺族に掲載の承認を得たのだろう

【前田→彼らの顔を見ると、その目は現在、論じられている公と私というような問題をも内蔵しながらイデオロギーの入り込む隙のない、清明で気品に溢れている。何事もまっすぐに受け止める真摯な青年の気品がある。
元来、日本人が持っていた心証とは、そういうものだったはずだ。】

この青年 戦死したのだろか  特攻機に乗ったのだろうか
戦前とは なんだたろうか
思索にふけさせる 青年の顔

この写真 無銘刀(掲示板)にUPしたいが できない 旧式のせいか 
以前 週プロのほとんどジョークなど 知人どに頼んだが 
申し訳ないので 以後 止めた
年賀状だけは製作者に頼んでUPしてもらった

八ノ巻
【戦争論ってなんだ!】
巻頭対談  論客 坂井三郎

次回に
2024/03/13(水) 晴れ


仏教+神道+儒教+キリスト教


海の向こうの なんだか賞
「君たちはどう生きるか」
「ゴジラ−1.0」 受賞したそうだ
一等賞は
世界初の原子爆弾を開発 「原爆の父」物語だろう

−−−−−−★−−−−−−
新渡戸稲造 『武士道』
ごく簡単に要約するとこうなる

一、武士道は桜花と同じく日本の土地に咲いた固有の花である
二、武士道は騎士道よりも多くの含蓄をもっている
三、仏教は武士道に寄与し 神道がこれをさらに清潔に豊かにし
儒教がそれに道徳教義を加えた
四、武士道は日本人の叡智の獲得の手段である
五、武士道の義は正義を 勇は耐え忍ぶ精神を 
   仁は「武士の情け」としての哀れみを
   礼は丁重を 誠は卑怯を嫌うことを象徴する
六、西洋の個人主義は個々別々の利害を認めるが
   武士道ではメンバーの利害は一致する

しかし 武士道のいいとこを養育しる大宗教を欠いている
また その愛を欠いていた
キリスト教が それを補う力を持っている

仏教+神道+儒教+キリスト教
これが 新渡戸稲造の武士道だ

【松岡→このように新渡戸稲造は武士道を称揚した。この称揚にはかなり甘い見方も、歴史的にラフな点もある。が、ここで重視したいのはキリスト者こそが日本人の心情の根底を懸命に考察しようとした点である。また、その考察がたんなる研究でなく啓蒙にあった点である。そして、このような姿勢こそが、そもそもヘボン博士らによってもたらされた「日本人の霊性の啓蒙」を端緒としていたのあった。】

ここで止まったわけではない
新島襄に学んで平民主義を唱えた徳富蘇峰、救世軍の日本化を果たした山村軍平、
日本に進化論を導入した石川三四郎、ジャーリストとして活動した木下尚江、孤児救済を決断した石井十次、不良少年を引き受けた留岡幸助
その魂は継続されていった

【松岡→新渡戸と内村に一高時代に私淑して、のち『武士道』を翻訳した
矢内原忠雄は、自宅に土曜学校をおこしてキリスト教と日本人の共通生をさぐりつづけた後、敗戰直後には『日本精神と平和国家』としてまとめることになる二つの講演を通して、日本人の魂の行方を案じ、かつ訴えようとした。その講演の冒頭近くで矢内原が引いたのは、西行の次の歌だった。
 何事のおはしますかは知らねども 
 かたじけなさに涙こぼれる
しかしいまや、この矢内原忠雄の苦悩と訴求を受け継ぐ者は少なくなってしまった。
その苦悩と訴求は武士道が明治キリスト者たちの思案のよって復活したことが忘れられるとともに、忘れられていったのである。】

−−−−−−★−−−−−−
「忘れられていった者たちへ」の啓蒙書
二十年前 兵頭二十八
『軍学者の町人改造論 あたらしい武士道』

『葉隠』 山本常朝 曰く
「吉田兼好や西行は腰抜けであり卑怯者である
かれらはともに武士の家に生まれながら 武士としての働きに自信がないから
斜に構えて隠逸{いんいつ}者の風体のうちに身を隠しているのである」

西行を愛しんでいた歌のひと 常朝の二律背反である
この矛盾 こどから生まれたか
時代の裂け目 とでも云っておこう
2024/03/11(月) 晴れ


儒基両教論 仏基通底論


ガキのころ
「少年画報」「まんが王」「冒険王」
手にしていた
オレは「少年画報」 買ってもらう
他は近所のガキたちと 貸し 借り っこ

小学校のころ
学校の帰り道 貸し本屋で よく立ち讀みした
モノは記憶にないが 単行本だった

ウン年後
家に帰ると 子らが手にしていた漫画本 転がっていた
手にして パラパラと
なんだ これが オレが讀んでいた漫画か
大人が讀むもんではないか
「アラレちゃん」 手にしていた

−−−−−−★−−−−−−
<そのひとつが「武士道の自覚」として浮上したであった>
他は 儒教も 仏教も浮上していた

金森の著『日本現今のキリスト教ならび将来のキリスト教』
より五年もはやく出版されていた
小崎弘道 『政教新論』
儒教道徳とキリスト教の本質的つながりを説く
「儒基両教論」
上村正久『黒谷の上人』
法然や親鸞の信仰 キリスト教贖罪論に通じると説く
「仏基通底論」

小崎も上村も 儒教/仏教の限界も多く指摘しているが
日ノ本人が古来から親しんできた考えの奥にひそむ
心情を理解しようとしていた

この「儒基両教論」「仏基通底論」の背景に
内村鑑三 新渡戸稲造らによる武士道論が登場してくる
【松岡→武士道に欠けている「愛」をキリスト教が補うことをの有効性を高らかに宣言された。
内村は次のように書いた。
「われらは人生の大抵の問題は武士道をもって解決する。正直なること、高潔なること、約束を守ること、借金せざること、逃げる敵を逐わざること、人の窮境を見て喜ばざること、これらのことについて基督教を煩わすの必要はない。われらは先祖伝来の武士道によりこれらの問題を解決して誤らないのである。
しかしてこれに対する道に救うるところがない。しかしてこれらの重要なる問題に逢着して、われらは基督教の教示を仰がざるを得ないのである。】

この項 【明治キリスト者たちの発見】  最後 次回に
2024/03/09(土) 晴れ


俺たちは どう生きるか


信長時代キリスト教と 
大きな違い
明治時代のキリスト教
日本人の自覚をもちこんだ
松岡氏 云う

そして それは
近代日本の青年たちの情熱と苦悩とを
ふたつながら燃え上がらせるものだった
そこには 三つの世代が交差した

一つ
明治初期のキリスト教世代
まだ江戸の世 元治元年 米国へ密出国した新島襄
元治の次の慶応の二年 幕府の英国留学生監督として
留学生十二名を連れて渡英した中村正直

二つ
明治四年 開校 熊本洋学校
明治六年 横浜で開校 ブラウン塾 
明治八年 同志社英学校
明治九年 札幌農学校
などから洗礼を受け たちまち頭角をあらわした者たち
熊本バンド (宮川経輝ら三十四名)
横浜バンド (篠崎桂之助ら九名)
札幌バンド  内村鑑三  新渡戸稲造ら二十名

三つ
明治二十年代
新神学の影響を受けた世代
金森通倫 横井時雄ら
金森の著『日本現今のキリスト教ならび将来のキリスト教』
発売一週間で売り切れ

何部刷ったのかわからぬが
若者のジレンマ 心の飢えが キリスト教へ奔らせた

三つのバンドの彼らに共通しているのは
倒幕派に与しなかった藩の若者たち
「俺たちは どう生きるか」
【松岡→日本人の心に眠る道徳や論理を呼び覚ましたのである。そして、そのひとつが「武士道の自覚」として浮上したであった。】


−−−−−−★−−−−−−
葉隠 はじめて活字化されたのは
明治三十九年 小学教員 中村侑一 
中村氏
「俺は どう生きるか」と 問していたのやも知れぬ
それで
写本から <どう生きるか>の分部だけ書き抜きし活字して自費出版

拙者 二十六年前
俺は どう生きるか と自問
それで
「格闘技通信」 自費出版
2024/03/07(木) 晴れたり曇ったり


武道通信かわら版 配信日


日経平均株価4万円突破 とか
その昔 高校生であったか
どこかの将棋天才少年のように
新聞 讀むの好きだった

細かい数字ばかりの一頁
ナンダ コレ もったいない
記事を載せろ と腹立った

いまもって <株> 興味ない 関心ない

宝くじにも興味ない 
その昔 大学生であったか
喫茶店にポスター 貼ってあった
「詐欺だ」と胸中で怒った
2024/03/05(火) 晴れ


ヘボン博士


新渡戸稲造らが
武士道を発見できたのは
ヘボン式ローマ字 発案したヘボン博士
J・C・ヘップパーンがいたからかだ
と松岡氏 語る

八ノ巻
【明治キリスト者たちの発見
明治キリスト者こそが日本人の心情を懸命に考察し、
その思案から武士道の復活があったことが忘れさられている。】

安政六年(1859)一人の宣教師 来日
安政の大獄の翌年 開国へガラガラと音を立てはじめていた 
神奈川 成仏寺に無料の治療所 開く
幕府の役人から乞食までが連日行列 
行列ができる治療所

ローマでなく 神奈川のヘップパーン
アメリカ長老教会(プロテスタント) 医療宣教師
ヘボン博士 後年
日ノ本人の霊性を啓蒙した恩人と云われた
ローマ字の普及 キリスト教の啓蒙だけで
なぜヘボン博士が そう云われたのか

ここがわからないと近代日本の出発点も矛盾も
また長所も短所もわからない
と松岡氏 語る

明治七年(1874)キリスト教解禁
ヘボン博士 これを早々に予測し
さまざまな啓蒙の準備をしていた先駆けのひと
ヘボン博士が 日ノ本人の霊性を啓蒙した恩人となったのは
無料の治療所でもなく ローマ字の普及 福音を説くことでもなく
日ノ本人の性向 日本語の特徴の研究にとりかかったことだ

そう フカディオ・ハーン 小泉八雲もいた
ハーンの『知られぬ日本の面影』『神国日本』など
日本人が自覚していなかった心情 感性を詳細に言及している

ヘボン博士 ハーン以外にも 多くの外国人が注目した
ヨコハマの港で「YOUは何しにニッポンへ」ときいてみたら
「民衆のもつ心のやさしさ」
「盛んな知識欲」
「正直を敬愛するところ」
「恥辱や危害に過敏なところ」
「肉欲の罪に耽って恥じないところ」
「偶像崇拝に無関心なところ」
などを直に知りたくて と答えたろう

つづきは 次回に
2024/03/03(日) 晴れ


なぜ 武士道を発見したのか


誰もが知っていることだが 新渡戸稲造が
『Bushido:TheSoul of Japan』(邦訳:武士道)
書いたわけは 
遊学中 さる高名な法学者から
「Youの國の学校では 宗教教育をしないようだが
宗教なしにどのように道徳や倫理を教えているのか」
と尋ねられたからだ

松岡氏
日ノ本のキリスト者が武士道に加担したには
五つの要因があると云う
一つ
札幌農業学校や同志社をはじめとする教育活動にキリスト者が関わって
元武士の師弟の人間教育にあったこと
二つ
自由民権運動から婦人矯風{きょうふう}運動のような社会改良活動にかかわったこと
三つ
日清/日露戦争を挙国で推進するなかで 愛国的キリスト者が出現したこと
四つ
初期の社会主義の台頭が国家社会主義ふうの特色をもたらすのだが
そこに多くのキリスト者がまじって活動していたこと
五つ
当時のアメリカも社会的キリスト教や国家的キリスト教の力が大きかったこと
*松岡氏 この論 本にするとしたら二、三冊になると
 また「キリスト者」と。キリスト教徒と云わない わかる気がする

こうした近代日本の動向も知らなければならない が
そこが現代の日ノ本からは抜け落ちていると

新渡戸稲造が「どのように道徳や倫理を教えているのか」と問われ 考えた 
そうだ 少年もころ父母や大人たちから教わったこと
正直になること 高潔であること 寛大なること 勇気あること 礼なること 忠義なること
これだ! 武士の生き方だと気づいた


八ノ巻 同じく松岡氏
【明治キリスト者たちの発見】

−−−−−−★−−−−−−
明治維新の折 六歳だった新渡戸稲造 
当然 『葉隠』読んではいなかった
『葉隠』の武士の生き様 「死に狂ひ」などとは縁がない
江戸の世の末 朱子学色濃い 為政者として武士の生き方だ

もし 新渡戸 『葉隠』讀んだら どんな感想もったか
知りたいものである
2024/03/02(土) 曇り


キリスト者の武士道


山本定朝 「武士道と云うは、死ぬ事と見付けたり」
新渡戸稲造 「武士道と云うは、旧約聖書と見付けたり」
というハナシ

七ノ巻
【武道の中の日本<七>  松岡正剛
キリスト者の中の武士道
――近代日本のキリスト者たちは武士道を絶賛した。
神道、儒教、仏教を統合して日本化させた武士道こそが、
日本人の「旧約」であると。】

この前哨戦
松岡氏 語る
日本文化や日本精神をめぐる多くの論争に ある共通の問題がある 
一つ ろくすっぽ日本をしらない
二つ 先人たちが何を議論してきたかを継承していない
三つ 先人の成果を知らない

日本の保守思想の歴史を知らない
亀井勝一郎や保田興重郎が何を主張し
小林秀雄や福田恆存が何を思案したか
それらが保守主義とか反近代思想とよばれた理由も知らない
また最近の新保守主義といわれる西部邁も樋口覚も福田和也も讀んでいない

また これらの背景に 永井荷風の『新帰朝者日記』や
唐木順三の『現代史への試み』があることも
また 保守主義と歴史主義と国家主義とアジア主義は
つながっているところと はっきり袂を分かっていところがあることなど
ほとんど理解されていない

小林秀雄→福田恆存→西部邁
と進む矢印の意味が こんにちの伝統派に理解されているか
福田の「私たちの生き方や行為の基準は 必ず過去からやってくる」
の意味も
「保守思想は理想を語らない」の意味も
わかるはずがない

松岡氏 
西尾幹二『国民の歴史』 がっかりした
どこかの新聞の小さなコラムに書いていた

松岡氏
2000年から ネット配信「千夜千冊」 毎夜1冊ずつ批評
『国民の歴史』 1999年 発売
文庫上下 72万部ベストセラー
「千夜千冊」 『国民の歴史』素通り
<言語政治の醜さ>を避けたのか

長くなった
本題は次に
2024/02/29(木) 曇り


消えた……


連続企業爆破事件  死刑囚
獄中で病死
辞世の句となった一句
<捨てし世を未練と思ふ遠花火>

定朝の辞世の句 なんだったけ

きのうUPしようとした稿
保存せず消えた
消えたもの 再度 書き起こすの
かなりの気力がいる
明日 気力回復後 綴るとする
本日は これまで
2024/02/28(水) 晴れ


自由とは


■選択的夫婦別姓
法的に別姓で結婚できないのは 世界で日本だけ
選択的夫婦別姓 「賛成」「やや賛成」 83%

諸行無常−−<法にも常はない>
で むかしの人 バランスをとってきた
女紋 
妻 嫁いでも 嫁ぎ先の紋でもなく
実父の紋ではなく
母から 女系から女系へと伝えられてきたる紋
冠婚葬祭 女紋のついた紋付
いまの世の どうバランスとるのか

七ノ巻
【シュタイナー教育と吉田松陰
「飛ぶが如し」
吉田松陰が見せた生死の姿そのものが一個の強烈な「教育」となって
同志と弟子たちの胸に眠っていた自由の鐘を打った】

アメリカ大統領ウィルソンの云わんとするところ
あらゆる諸条件を検討し どんな環境にも適応できるようになってこそ
自由を実現できる
これに対し シュタイナー 真っ向から反論
私は ただひとことだけを云おう
このような環境への適応の正反対を行うときのみ
人間の自由が語れるということを

さて「賛成」の未婚の女子
あなたは ウィルソン派 シュタイナー派

−−−−−−★−−−−−−
『葉隠』 山本常朝 折々にふれて感興{かんきょう}(興味を感ずること。面白がること)のいたるままに語った語録  短いのは一行 二行
その一行
「(妻は)良人を君主のように思って仕えるべき」(一ノ三十一項)
その意味は
「忍ぶ恋」のような夫婦が良いということ
<私>を捨てた(常朝の)奉公道と同じ 相手に負担をかけない
自由なふたり
2024/02/25(日) 降ったりやんだり


両輪でバランス


■天皇陛下64歳誕生日
■刑務官ら使用 35の俗語を禁止
■島田事件 再審無罪 赤堀さん死去
■ホテルのゴミ箱から赤ちゃん 死亡
■宮台信司を懲戒免職処分 都立大
■はだか祭り 女性 着衣で初参加

吾ら いま どんな時代 生きているのか

−−−−−−★−−−−−−
【福田→明治時代というのは西洋化した時代なんですけど、同時に日本の歴史の中であんなに漢籍が読まれた時代なんですね。要するに漢文を書いたりしているんです。それから内藤湖南から宮崎市定{いちさだ}に至るような大支那学者がいっぱい誕生するわけです。明治期は両輪だった。それでバランスをとっていたと思うんですね。】

教室では「脱亜入欧」しか教えられてこなかった
海が開け 支那からも“輸入”していたんだ 漢籍をしこたま
このバランス いかに生まれたのか

【福田→明治ぐらいまでの人は、やはり前田さんがおっしゃるみたいな感じで東洋的なものを自分たちが見失いつつあることか、なくなってしまったということを非常に痛ましく思っていたし、その不安を感じていたと思うんです。】

そうか だからバランスをとったのか

【福田→漱石が書いているけど、自分は英文学を勉強したときに、最初、漢文みたいなもんだなと。で、これなら一生やるに値すると思ってやったら(漢文と)全然違う。漱石、騙されたって怒っているんですね。だから彼は、本当の自分の本質は漢詩にあると思っていましたね、漱石の漢詩というものはなかなかいい漢詩なんですね。それをずっと書きながら小説を書いていた。やはり両輪として明治世代まではあったんですね。】

吾ら 両輪 もっているか
吾らの来た道に
二輪の跡 轍{わだち} ついているか
2024/02/23(金) 降ったりやんだり


武道通信かわら版 配信日


時代劇映画 昨今 無慈悲で残忍なシーンが大うけらし が 
北野武監督「首」 興行収益 散々らしい
最近封切り「室町無頼」 いかがなものか
忙中閑あり 室町の世のこと一筆

世相を讀み解く プロフェショナル
世相 十把一絡げにできなくなったのではないか
個々が<顔>を持ち始めた昨今
2024/02/20(火) 晴れ


「天皇」止まりのナショナリズム


建国記念の日も過ぎ
天皇誕生日を迎える

天皇誕生日というものも 西洋風の<誕生日>の移植
明治からの天皇 西洋風の皇帝 とのハナシ

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前田→脱亜入欧 天皇も同じで無理やり英国の王室に当てはめようとする
天皇は神道の最高神官 
福田→江藤淳の祖父 山本権兵衛の懐刀 祖父の遺品から大正天皇晩餐会招待状 なんて書いてあるかというと「日本帝国皇帝晩餐会」
やはりその皇帝の部分を取らないとまずい そこが問題
前田→天皇の声は祖先の声であり いろんなインスピレーションの源
福田→折口信夫 大嘗祭って何か 解き明かしていくと
天皇自身は神ではない 人間
人間だけど<天皇霊>が乗り遷{かわ}る  
天皇とはそれが乗り遷るメディア(媒体)であり 身体が死ぬと
また メディアは次の天皇に受け継がれていく
祖先霊の集合が天皇にずっと受け継がれていく
前田→福田さん 天皇抜きのナショナリズムということ云ってましたね
福田→天皇制の本質的な形 後鳥羽院の承久の変 以降の
権力と権威が分散される形の権威
近代以降 皇室が持ってきた蓄積したエネルギーをかなり放出してしまった
むかし「天皇」を「陛下」と人格化される部分もあったが
大御心{おおみごころ}というものがあって
大御心は皇室を超えるもので 八紘一宇{はっこういちう}といったとき
西洋人がいう天皇による世界制服でなく もっと大きい 日本的王道
天にそった道が実現される
これは北畠親房の『神皇正統記』
天皇が天意を実現するから天皇が正統
天皇を超える存在がある
近代の狭い捉え方でしてしまうと
結局 天皇止まりのナショナリズムになってしまう
ゆえにナショナリズムが狭いエゴイズムになってしまう

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愛子内親王殿下 日本赤十字社に就職
ひらかれた 現代の皇室
2024/02/18(日) 晴れ


春一番


きのう 春一番
すごかった 風速12、3メートルはあったろう

一日置きとなった この日記
きのう 春一番のせいで忘れたわけではない
老人の新人賞狙いの
次作の構想はできあがったが
シメ トジが決まらぬ
考えあぐんでいた
シメ トジで 作品の充足度は決まる

老人の新人賞狙いと 先に記したが
市販されている自著 四冊 あった
で どこかの文学賞を狙うことにする

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きのう
小川寛大さんから 自著
『池田大作と創価学会
 −−カリスマ亡き後の巨大宗教のゆくえ』(文春新書)
贈られてきた
2024/02/16(金) 晴れ


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Colorful Diary Falcon World