■自分自身を射当てる
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ヘリゲル博士 まず 日ノ本弓道の歴史 と云っても 西洋の歴史では新しい兵器が次々と古い武器(戦法) 駆逐されていくが 日ノ本弓道は違うと前置きし 【現在日本で、いわば国技として行われている弓術の特殊なやり方について話されるのを期待している方もあるかも知れません。しかし、それは見当違いであります。 日本人は「弓術」を一種の運動と解しているのではありません。初めて聞く人には不思議に思われるかも知れませんが、それは徹頭徹尾「精神的」な事柄を意味するのです。従って、弓を射る「技」とは、主として肉体的な訓練によって誰でも多かれ少なかれ会得する事ができる能力、「射当てる者」が重んじられる能力を意味するのでなく、別なある能力を言うのです。 それは、純粋に精神的な訓練が求められ、その目的が精神的な的中と言う、判りにくい能力を言うのです。そのため、射手は、つまり自分自身を的にし、その際、自分自身を射当てるのであります。】
[自分自身を射当てる] 禅問答 禅の公案{こうあん}である もう少し 引用しよう 【こういうと、謎に聞こえるに違いありません。かつて生死を争う戦闘のために習われ、用いられたものが、今は手薄な運動として残ろうとともせず、いわば精神修業の様なものになりおうせたのは何故か。精神修行にもなお弓と的を使うのは何の為か…………と言う様な疑問が次々に出てくるでしょう。 しかしながら、先ず第一に頭に入れて置かねばならな事は、この弓術の特有な「精神」は、それが血生臭い戦いに使われなくなってから一層鮮明らかになりましたが、このこの精神は後になって勝手に考え付けられたものでなく、昔から、弓術に結びついたものだと言うことです。血生臭い事に使われなくなって初めて、その精神を全く純粋に培うことも、当てるという目的に使われる事無く、それを前面に押し出す事ができるようになってきました。】
そう 源平合戦 屋島の戦い 那須与一 平家の船が掲げた扇の的を射抜いた(「平家物語」) 与一 扇の的を射抜いたのでなく 自分自身を射当てた ということになる
2025/10/26(日)  |
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