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云わぬが花


第48回日本アカデミー賞優秀賞発表

映画館へ まったく足を運ばなくなり 二十余年
これでも学生時代 映画雑誌はよく読んでいた
『映画芸術』『映画評論』『映画批評』
いまの世の<エンタメ>とは無縁
友人らと回し読み
『映画芸術』は自腹きっていた記憶
これだと踏んだのは 本を古本屋へ運び
映画館へ足を運んだ

『映画芸術』 2024年日本映画ベストテン&ワーストテン
ベストテン
1位「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」(監督:井上淳一)
2位「夜明けのすべて」(監督:三宅唱)
2位「ぼくのお日さま」(監督:奥山大史)
4位「悪は存在しない」(監督:濱口竜介)
5位「Cloud クラウド」(監督:黒沢清)
6位「SUPER HAPPY FOREVER」(監督:五十嵐耕平)
7位「ぼくが生きてる、ふたつの世界」(監督:呉美保)
8位「違国日記」(監督:瀬田なつき)
9位「つゆのあとさき」(監督:山嵜晋平)
10位「ゴールド・ボーイ」(監督:金子修介)

ワーストテン
1位「正体」(監督:藤井道人)
2位「ミッシング」(監督:吉田恵輔)
3位「ナミビアの砂漠」(監督:山中瑶子)
4位「海の沈黙」(監督:若松節朗)
5位「湖の女たち」(監督:大森立嗣)
6位「碁盤斬り」(監督:白石和彌)
7位「スオミの話をしよう」(監督:三谷幸喜)
8位「あんのこと」(監督:入江悠)
8位「十一人の賊軍」(監督:白石和彌)
8位「ルート29」(監督:森井勇佑)
※「あんのこと」「十一人の賊軍」は同率8位

第48回日本アカデミー賞
優秀作品賞 『侍タイムスリッパー』
優秀監督賞 藤井道人『正体』
優秀脚本賞 野木亜紀子『ラストマイル』
優秀主演男優賞 横浜流星『正体』
優秀主演女優賞 河合優実『あんのこと』

「あんのこと」「ルート29」
U−NEXTで配信された
観た
云わぬが花 とでも云っておこう

−−−−−−★−−−−−−
ネット配信で観た
「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」
「夜明けのすべて」
「ぼくのお日さま」

三作とも傑作
とくに「ぼくのお日さま」
突き 刺さった
2025/03/17(月) 晴れ


武士道DNA


【葦津珍彦{あしづうづひこ}の民族主義と武士道
 武の源は民族の心 
葦津珍彦<今様、北畠親房{ ちかふさ}の「武士道―戦闘者の精神」>に学ぶ
――時代の潮流に流され、徒に偉大なるものに服従することを欲しない者は、
おのれの本心を見定め、英知と勇気をもって、本心のままに進退せよ。
おのれの本心が民族の心と一致するとき、武士道はそこに生まれる。
            稲葉 稔(明治神宮武道場「至誠館」館長 】

【稲葉 → 葦津は日本精神の言論人としても、その言論に責任を持った。
昭和五十二年の経団連事件でヤルタ・ポツダム体制打倒を唱え、その一翼を担う経団連の本部を急襲した野村秋介被告に対する弁護のため出廷したのは、自らがヤルタ・ポツダム体制打破を主張したからでもあった。
また、もしもその言論が不適切と判断すれば、修正撤回し誤解のないように処置した。そのこちから察すれば、葦津が現に生きて思考力を失わなかった平成四年六月の死の直前まで、日本武士道は脈々と生きつづけてきたということができよう。】

稲葉氏 葦津珍彦 死すとも
武士道DNAなるものあると信じておられるようだ

原稿依頼の際 「至誠館」へ伺う
以後 弓道場で弓を引かせてもらった記憶
稲葉氏の あの温厚さは 
武士道DNAなるものあると 信じておられるのではないか
2025/03/15(土) 曇り


武士道DNA


【葦津珍彦{あしづうづひこ}の民族主義と武士道
 武の源は民族の心 
葦津珍彦<今様、北畠親房{ ちかふさ}の「武士道―戦闘者の精神」>に学ぶ
――時代の潮流に流され、徒に偉大なるものに服従することを欲しない者は、
おのれの本心を見定め、英知と勇気をもって、本心のままに進退せよ。
おのれの本心が民族の心と一致するとき、武士道はそこに生まれる。
            稲葉 稔(明治神宮武道場「至誠館」館長 】

【稲葉 → 葦津は日本精神の言論人としても、その言論に責任を持った。
昭和五十二年の経団連事件でヤルタ・ポツダム体制打倒を唱え、その一翼を担う経団連の本部を急襲した野村秋介被告に対する弁護のため出廷したのは、自らがヤルタ・ポツダム体制打破を主張したからでもあった。
また、もしもその言論が不適切と判断すれば、修正撤回し誤解のないように処置した。そのこちから察すれば、葦津が現に生きて思考力を失わなかった平成四年六月の死の直前まで、日本武士道は脈々と生きつづけてきたということができよう。】

稲葉氏 葦津珍彦 死すとも
武士道DNAなるものあると信じておられるようだ

原稿依頼の際 「至誠館」へ伺う
以後 弓道場で弓を引かせてもらった記憶
稲葉氏の あの温厚さは 
武士道DNAなるものあると 信じておられるのではないか
2025/03/15(土) 曇り


武士道DNA


【葦津珍彦{あしづうづひこ}の民族主義と武士道
 武の源は民族の心 
葦津珍彦<今様、北畠親房{ ちかふさ}の「武士道―戦闘者の精神」>に学ぶ
――時代の潮流に流され、徒に偉大なるものに服従することを欲しない者は、
おのれの本心を見定め、英知と勇気をもって、本心のままに進退せよ。
おのれの本心が民族の心と一致するとき、武士道はそこに生まれる。
            稲葉 稔(明治神宮武道場「至誠館」館長 】

【稲葉 → 葦津は日本精神の言論人としても、その言論に責任を持った。
昭和五十二年の経団連事件でヤルタ・ポツダム体制打倒を唱え、その一翼を担う経団連の本部を急襲した野村秋介被告に対する弁護のため出廷したのは、自らがヤルタ・ポツダム体制打破を主張したからでもあった。
また、もしもその言論が不適切と判断すれば、修正撤回し誤解のないように処置した。そのこちから察すれば、葦津が現に生きて思考力を失わなかった平成四年六月の死の直前まで、日本武士道は脈々と生きつづけてきたということができよう。】

稲葉氏 葦津珍彦 死すとも
武士道DNAなるものあると信じておられるようだ

原稿依頼の際 「至誠館」へ伺う
以後 弓道場で弓を引かせてもらった記憶
稲葉氏の あの温厚さは 
武士道DNAなるものあると 信じておられるのではないか
2025/03/15(土) 曇り


武士道DNA


【葦津珍彦{あしづうづひこ}の民族主義と武士道
 武の源は民族の心 
葦津珍彦<今様、北畠親房{ ちかふさ}の「武士道―戦闘者の精神」>に学ぶ
――時代の潮流に流され、徒に偉大なるものに服従することを欲しない者は、
おのれの本心を見定め、英知と勇気をもって、本心のままに進退せよ。
おのれの本心が民族の心と一致するとき、武士道はそこに生まれる。
            稲葉 稔(明治神宮武道場「至誠館」館長 】

【稲葉 → 葦津は日本精神の言論人としても、その言論に責任を持った。
昭和五十二年の経団連事件でヤルタ・ポツダム体制打倒を唱え、その一翼を担う経団連の本部を急襲した野村秋介被告に対する弁護のため出廷したのは、自らがヤルタ・ポツダム体制打破を主張したからでもあった。
また、もしもその言論が不適切と判断すれば、修正撤回し誤解のないように処置した。そのこちから察すれば、葦津が現に生きて思考力を失わなかった平成四年六月の死の直前まで、日本武士道は脈々と生きつづけてきたということができよう。】

稲葉氏 葦津珍彦 死すとも
武士道DNAなるものあると信じておられるようだ

原稿依頼の際 「至誠館」へ伺う
以後 弓道場で弓を引かせてもらった記憶
稲葉氏の あの温厚さは 
武士道DNAなるものあると 信じておられるのではないか
2025/03/15(土) 曇り


武士道DNA


【葦津珍彦{あしづうづひこ}の民族主義と武士道
 武の源は民族の心 
葦津珍彦<今様、北畠親房{ ちかふさ}の「武士道―戦闘者の精神」>に学ぶ
――時代の潮流に流され、徒に偉大なるものに服従することを欲しない者は、
おのれの本心を見定め、英知と勇気をもって、本心のままに進退せよ。
おのれの本心が民族の心と一致するとき、武士道はそこに生まれる。
            稲葉 稔(明治神宮武道場「至誠館」館長 】

【稲葉 → 葦津は日本精神の言論人としても、その言論に責任を持った。
昭和五十二年の経団連事件でヤルタ・ポツダム体制打倒を唱え、その一翼を担う経団連の本部を急襲した野村秋介被告に対する弁護のため出廷したのは、自らがヤルタ・ポツダム体制打破を主張したからでもあった。
また、もしもその言論が不適切と判断すれば、修正撤回し誤解のないように処置した。そのこちから察すれば、葦津が現に生きて思考力を失わなかった平成四年六月の死の直前まで、日本武士道は脈々と生きつづけてきたということができよう。】

稲葉氏 葦津珍彦 死すとも
武士道DNAなるものあると信じておられるようだ

原稿依頼の際 「至誠館」へ伺う
以後 弓道場で弓を引かせてもらった記憶
稲葉氏の あの温厚さは 
武士道DNAなるものあると 信じておられるのではないか
2025/03/15(土) 曇り


武士道DNA


【葦津珍彦{あしづうづひこ}の民族主義と武士道
 武の源は民族の心 
葦津珍彦<今様、北畠親房{ ちかふさ}の「武士道―戦闘者の精神」>に学ぶ
――時代の潮流に流され、徒に偉大なるものに服従することを欲しない者は、
おのれの本心を見定め、英知と勇気をもって、本心のままに進退せよ。
おのれの本心が民族の心と一致するとき、武士道はそこに生まれる。
            稲葉 稔(明治神宮武道場「至誠館」館長 】

【稲葉 → 葦津は日本精神の言論人としても、その言論に責任を持った。
昭和五十二年の経団連事件でヤルタ・ポツダム体制打倒を唱え、その一翼を担う経団連の本部を急襲した野村秋介被告に対する弁護のため出廷したのは、自らがヤルタ・ポツダム体制打破を主張したからでもあった。
また、もしもその言論が不適切と判断すれば、修正撤回し誤解のないように処置した。そのこちから察すれば、葦津が現に生きて思考力を失わなかった平成四年六月の死の直前まで、日本武士道は脈々と生きつづけてきたということができよう。】

稲葉氏 葦津珍彦 死すとも
武士道DNAなるものあると信じておられるようだ

原稿依頼の際 「至誠館」へ伺う
以後 弓道場で弓を引かせてもらった記憶
稲葉氏の あの温厚さは 
武士道DNAなるものあると 信じておられるのではないか
2025/03/15(土) 曇り


熾火{おきび}


「床几」 
【民族の狂おしき火なりや
    橘 薫(礼楽研究家)】


【橘 → 程度の差こそあれ、ともかくも民族主義、というからには、
民族というものを何らかの実態と考えているはずである。
ところが、観念遊戯に長けた、ニューアカ(ニュー・アカデミズム)
以後のインテリたちは、民族を何らかの実態をみなす考え方は、素朴、
稚拙とこき下すのがうまい。
民族など近代になって作られた政治的・経済的な、観念上のこしらえもであって、
実態は虚妄にすぎない、と宣{のたま}うのである。----------------
私に言わせれば、もしも「民族」が虚妄なら、この御仁が信奉する
「世界」も「地球」も「人類」だって、皆、虚妄である。
それらの概念は、非植民地下の諸民族が立ち上げた民族解放闘争の嵐から、
西洋社会の独善性を思想的に防御するために作り出された諸観念に他ならないからだ。
いわば、先に人を殴っておいて、殴られた相手が、正当に殴り返そうとしたときに「君、暴力はいけません。人類は皆、兄弟です。愛と平和を尊重しましょう」と、説教をたれるのと同じある。
その上、この説教に耳を傾けない相手には、再度、しこたま殴りかかるのだ。
今、国連が紛争地域でやっていることはこれに近い。
人の人たるゆえんは、理論整然とした知性の振舞えにあるのでなく、それを知って尚、狂おしく、みずからをかき立てる熾火を、腹の内に起こせるか否かにかかっていると信じる私は、正真正銘、狂っているで、賢明な御仁のおっしゃることなどわかりません。それで私は、虚妄をこそ信じて生きようかと、かたく心に誓ったのである。】

−−−−−−★−−−−−−
パレスチナ紛争
先に殴ったのは どっちだ
民族の狂おしき火で 考えよう
2025/03/13(木) 晴れ


らしさ


目が覚める 枕元 スマホ
yahoo!ニュース<すべて> 
スルーしていく

田嶋陽子 
「らしさとは 人を支配するための道具」
「らしさとは 支配者が人を都合よく動かすためにつくった規範」

田嶋陽子 昭和三十五年 県立沼津西高卒業 
お首さんのある本光寺 西側に隣接した女子高
静岡県東部の頭の良い いや 訂正 試験の成績の良い女子が入る
姉もココ 田嶋陽子と四つ違いだから 顔を合わせることはなかった
田嶋陽子 中学校 一中というから 家までの通学で
俺の家の前 通っていたやも知れぬ

安保の年だ 六つ違いだから 俺 中二
先生ら 東京へ 「アンポ ハンタイ」デモ
授業 無し で 俺たち
「アンポ ハンタイ」 おしくらまんじゅうゴッコしていた

そのむかし 
地元新聞「沼津朝日」(アノ 朝日新聞ではない)
読者欄に投稿した 十五、六歳だったか
掲載された 
「らしさ」とタイトルがつけられていた
そこまでの記憶

数年前 実家の亡父の机の引き出しを空けたら
その切抜きがあった
田嶋陽子と似たようなこと 
六十二、三年前 俺 書いていた

<選択的夫婦別称>
日ノ本らしさ か 否か
「維新」 → 「これ新たなり」で考えあれ
本質は どこにあるか 
2025/03/11(火) 曇り


維新


対談 つづくよ
「永遠のいま」から 「維新」へ

<首都移転>から「維新」の意味へ
要は 皇室をどこへもっていくか 諸説 侃々諤々
戦前も戦後も 誰も云わなかった
「維新」の意味 →「これ新たなり」
古いものが その時代に応じて変化 変容しただけ
だから時代に合うように「これ新たなり」にしていかねばならない
でも 皇室の本質は変わらない
松本氏 「これ新たなり」de
移転場所はどこでもいいとでもいいたげ

「維新」から 「私」の意味へ
「私」 → のぎへんに「ム」
収穫物を俺のものだと争いを起こし 独り占めする様を字にした
戦後 「私」 大声で主張される
戦後 「公」 廃れる
「公」の意味 →独り占めをなくする
日ノ本人は 「私」を主張しない 悪徳だから
西郷隆盛 →「無視とか無為とかは日本人の美徳であり 人間のあり方だ」

昭和三十年も過ぎ 今上天皇 外人記者会見
外人記者 → 日本に民主主義を与えたのはアメリカですね
今上天皇(昭和天皇)
民主主義というものは五箇条の御誓文にあると返答
「万機公論に決すべし」

敗戦後少年 曰く
アメリカ民主主義 → 「私」大声で主張
2025/03/09(日) 晴れ


ブラッシュアップライフ


きのう 一番下の孫が訪ねてきた
『ブラッシュアップライフ』 何度も観たといった
ネット配信をスマホで
『ホットスポット』 観てるかと聞いた
ジイジ ネット配信で観ている
観てないと テレビ 観ないと
ジイジも テレビ 昼/夕の飯のときのNHKニュースだけ
民法 CМ 鬱陶しい

「兵頭二十八ファンサイト」 3月6日

《海兵隊が新型の揚陸艇を使って、2月27日に沼津海岸にビーチングして荷卸ろしにかかったが、
それは途中で不具合に見舞われた。……………………
このサプライ船は『Resolution』という名前で、全長254フィート。……………………
 露天デッキの面積は6000平方フィート以上。
 天候・海象は、落ち着いていた。……………………
 海岸では、海兵隊の第3戦闘補給連隊が待ち構えていた。
 ※沼津海岸はなつかしい。2017-6-26にそこで米陸軍のLCUのビーチング手順を拝観した。
静岡県の危機管理部の方も臨場していらしたが、お元気でしょうか? 
あれから8年も経とうとしているのか! 
そして8年あれば、わが国の造船所は、LCU相当艦をゼロから新造してしまえるのだ。》

2017-6-26 軍学者 たしか沼津海岸に来ていたな
1947−某月 米軍海兵隊 沼津千本浜海岸で訓練していたな
叔母/姉ら 赤子の俺を叔母車に乗せ見物していたな
突然 指揮官が近づいてきた 叔母/姉ら後ずさり
指揮官 赤子の俺にチョコレート 手渡した
分厚かった記憶 指揮官 若い奴だった記憶

俺の人生 最初の記憶
『ブラッシュアップライフ』しても
何度も このシーンからはじまるのだろう
人生をリフレッシュしたり 磨き上げたりしても
敗戦後少年に変わり
2025/03/07(金) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信日

早朝 配信手配前 窓を開けると
隣家の屋根 薄雪化粧していた

徳川幕府 儒教を選択
上下関係 厳しくし 騒乱を押さえた
男女の上下関係 はっきりさせた
法は定めても 乱世の生き残りDNI
そう簡単に消えない
武門 表は男 中は女が守る と決めた
男 中の女に指図はできぬ
男子血統維持のための妾 妻が決めた

拙著 『真似てみたい武士の妻の作法』『武女』
戦國の世 江戸の世の女の<威>を綴った
2025/03/05(水) 雨


永遠のいま


雪が ふるふる 雪見ておれば  三頭火
三月の雪 木々の害虫を殺してくれるが
小鳥 餌なくなり 困ったもんだ

<コメ5キロ販売価格値上がり平均3939円>
<政府の備蓄米放出で10日から12日まで初の入札 
新潟県産コシヒカリなど対象で落札業者選定 
店頭には早くて3月下旬か>
巷 騒々しい

【松本 → 去年、衆議院の憲法調査会に出た折り、ある議員から質問がありました。私なりにその質問を整理すれば、天皇制のあり方として、昭和天皇のような古いワイシャツを着て、ゴム長靴をはいて国内で田植えをしている、そういう天皇の姿がいいか? それとも今上天皇のように、外国へ出て行って積極的にロイヤル外交を展開するのがいいか? 
私は昭和天皇のあり方が良いと答えました。
天皇は国事、外交に係わらず、日本国民が米作りをしているときには、米の出来具合はどうかと心を配る天皇像。
昭和天皇が言いましたね。今年は長雨が続いたので、米の出来具合はどうだと。あのとき、政府の担当者、宮内庁の役人は答えられない。官僚のやる農政と天皇が国内を回り、米の出来具合を心配することは次元が違う。】

ネーイションススーテイト(国民国家)になって たかだか百年
それを二千年以上の皇室を規定することには無理がある
皇室自体も生き抜くためにやってきた
それが皇室の本質
建前として最初に牛肉を食べたのは明治天皇
日本が生き抜くため近代国家をつくり西洋風の国家体制を作らなければ
ゆえにライフスタイルも西洋風にしていく
天皇 肉も食べ 洋服を着 皇室の晩餐会正式メニュー フランス料理

天皇 日ノ本民族が この島国で生きて生きやすいよう
異国の文明/文化で必要と思うものは手に入れておかねばならぬ
天皇のスタイル 永遠普遍でない
新年 最初の行事 万民安寧を祈る四方拝は道教五行説
その後は仏教 戦後はキリスト教も

【松本 → 日本の思想を哲学し、明確にしたのが西田幾多郎の東洋哲学で
「歴史には始めも終わりもない」と言うです。ある時代を切ると、そこには織田信長や徳川い家康、伊藤博文の顔が現れ、時代によって顔は変わるが、天皇という存在自体は不変である。生きているときは昭和天皇も平成天皇もない。ただの天皇です。
これは どこから来ているのか?
自然、もっと言えば米です。今年の米の中には去年の米の命がある。
去年の米の命の中には百年前の、千年前の米の命がある。そして今年の命には
百年後の、千年後米の命がある。
だから「いま」と言っても、それは「永遠のいま」という考えです。
これは西田幾多郎が言葉として取り出した日本人の歴史観ですけど、後に宗教体系として仏教の影響を受けて神道になっていくが、自然崇拝という日本人の考え方の根源的なものです。
神道はもともと自然崇拝ですから神社など絶ててない。古代杉に注連縄を張るだけとか、石自体が神になる。
髪を<かみ>と言うのも、川上を<かわかみ>と言うのも、上にあるもの、かしこきものは全て<かみ>で、そこに神道というより、日本人の原初的な信仰心がある。
生きている者が死んだら全て神になるという八百万神{やおろずのかみ}で、
唯一神のキリスト教とも、修行して成仏するという仏教の信仰観とも別のものです。
日本人とは何か、となるとタマネギの皮むきではないが、そこまで生き着く。
それを我々の文化という言葉を「民族の生きるかたち」と考えたい。】

−−−−−−★−−−−−−
仏教伝来 仏教が国家的な支援のもとに発展し
地方豪族の信仰を得て数多くの寺院が建てられた
百年後 持統天皇 これはヤバイ
<かみ> 忘れさられてしまう
注連縄だけでは弱い
仏教の仏殿のような <かみ>を奉る社殿が必要
伊勢神宮の始まり
2025/03/04(火) 雨


誰も 天皇になろうとしなかった


水戸藩 会沢正志{あいざわせいし} 『新論』
吉田松陰 佐久間象山ら憂国の士に大きな影響

1820年代来 イギリス捕鯨船 水戸へ
寄り木(岸などに流れ寄った流木) 薪 生鮮食料 売ってくれ
金を払ってもらったので庶民は喜んで売った 藩 見て見ぬふり 
会沢正志 曰く
外国人を上陸させてはいけない法があるのに
これでは國が守れなくなる
そして「國を守る」という 最後の最後は何を守るか?
これをはっきり させておかねばならぬ

領土を守るか 産物を守るか 武器か 火とか
でも それらは外国にもある
では 外国になくて日本にしかないものは何か
それは 天皇だ

新井白石にいわせると
たとえば 年号が元禄から宝永へ変わったとき
幕府から こういう年号になりましたと 天皇に報告
天皇は この年号でよろしい ハンコを押す役だと

前田 → 開闢百年ぐらいまで徳川幕府は磐石だったんですね

【松本 → 天照大神に対して東照神君のわけで、日本全体の神は徳川だったわけです。それが会沢正志が「日本の究極の本質は天皇だ」と言った瞬間に、
徳川の御世という考えが全部ひっくり変える。このカテゴリーは、正しい大義名分を言った瞬間に、それまでのものは虚だったとわかる。それがいま前田さんが言った藤田幽谷の正名論というのです。イデオロギー的、思想的に徳川時代はもう終わったという革命的イデオロギーが出てきた。】

前田 → ハンコを押す役でしかなかった天皇 結局 日ノ本からなくならなかったのは何でしょう
松本 → 足利義満も織田信長も天皇のお墨付きを必要とせず武力で天下統一
秀吉 「我 帝たらんとすれば帝 王たらんとすれば王」 何にだってなれる
家康 皇室を生かさず殺さず
前田 → でも結局 誰も天皇にはならかった やはり なれなかった

【松本 → 古代の天皇 武力も権力も持っていたからなろうとした人はいたが、いつしか軍事権も財政権も外交権も、姓さえ放棄していく。それを与える役になり、ただひたすら権威のみとなり、日本の文化としての大和歌(和歌)の守り手が皇室であると、
天皇は何も持っていないから奪うものがない。京都から一歩も出られない。極単に言えば御所からもでられない。天皇になってもしょうがない。】

戦後の象徴天皇制 日ノ本人が長い歴史の中で伝統的に作ってきたものだと云えると 松本氏
しかし 木村三浩氏と同じく 
天皇を憲法に謳うべきではない 憲法とは別格

大正天皇の生母 側室(柳原愛子)
明治天皇 軍服で軍馬に乗り陸軍大演習を観閲
これを知り 
軍事/財政/外交/行政は下々の男がやる仕事と
おいおい泣いた との逸話
柳原愛子 公家・柳原光愛の御息女
それが公家衆のイデオロギーだったのだ

明治二十年から昭和二十年まで 天皇 “下々の男”となったわけだ
長い歴史からみれば特異な体制
しかし 異国のネーイションススーテイト(国民国家)に
対抗するには仕方ないことだった

−−−−−−★−−−−−−
五ノ巻 西尾幹二氏の論客対談 終わったあと
拙者 西尾氏に質問した
天皇制が長くつづいた理由が何ですか といったものだった
西尾氏 帰り支度しながら云った 「神話です」

義満も信長も秀吉も アノ記紀の「神話」を信じていたのではないか
家康 やっつけの「神話」を重ね塗りした
だから『新論』で一気に剥げた
2025/03/02(日) 晴れ


白地に赤く 日の丸染めて


国旗「日の丸」の前に ナショナリズム おさらい
アヘン戦争 清朝を守る軍はあるが
国民を守るには支那軍というものはない
国民が略奪 殺されても王朝が倒れなければ関係ない

日ノ本も似たようなもの
王朝 皇室には軍隊はないが 各藩はもっている
しかし 薩摩藩がイギリスに攻められれば薩摩藩だけが抵抗
ロシアが対馬半島を占領しても対馬藩だけが抵抗
他藩は助けない
これじゃ 西洋の国民国家に勝てない
寄せ集めでなく 一つの民族が統一国家を持って
日本国民となる国民国家形態にしなければ
これがナショナリズム 

前田 → 日の丸 イコール 日本というイメージ
古くからありますね
松本 → 日の丸の形 日本を象徴し 日本を統一するイメージ
源平の世から幕末まで連綿と流れる

【松本氏 →  昨年、国旗国家法案が出来たとき
私は積極的に意見を述べた。
――国家指導者たるもの、日の丸を日本の国家とする伝統が生まれ、
それが国民に定着したのは、いつごろからわかっているかと。
それを説明しないで、これが日本の国旗だ、わかっているだろと言われても困ると。戦後、日の丸がなぜ国旗になったか一切説明されていないし、戦前も説明した人はいないのです。】

笠張り浪人 曰く
牛若丸 弁慶と戦ったとき 日の丸の扇 持っていたの庶民 知っていた
壇ノ浦で那須与一 日の丸の扇を射たの 子ら絵本で知っていた
木曽義仲 京へ攻めいったとき日の丸の扇を持っていた
長篠の戦い 織田/徳川連合軍も 武田連合軍も 日の丸 掲げていた
朝鮮出兵のとき 日ノ本の連合軍という意味合いで日の丸 掲げていた
知識人 知っていた
わざわざ 日の丸を国旗にするだと説明しなくても
みんなわかっていた

−−−−−−★−−−−−−
♪白地に赤く
 日の丸染めて
 ああ美しや
 日本の旗は

 朝日の昇る
 勢ひ見せて
 ああ勇ましや
 日本の旗は

(戦後改訂版)
♪白地に赤く
 日の丸染めて
 ああ美しい
 日本の旗は

 青空高く
 日の丸揚げて
 ああ美しい
 日本の旗は

ここまで GHQに忖度したのかよ
文部官僚 御上{おかみ}よ
2025/02/28(金) 晴れ


倭{やまと}から 大和へ


前田 → 編集部から聞いたんですが この三月末に 木村三浩さんの
『右翼は終わってねーぞ! 新民族派宣言』が刊行されるんですが
出版社が新民族主義にするか 新ナショナリズムにするか 悩んだそうですが
ナショナリズム イコール 民族主義とは云えないですね

【松本氏 → ええ、本来的に民族派と云わなればいけないですね。
右翼、左翼が出来たのが1910年だというのと同じで、ナショナリズムは
たかだか明治維新の頃の150年前にできた概念です。
つまりネイションというもの自体が民族であり、国家であり、国民であるという この三つの要素から成り立つもので、一つの民族が独立国家を持って、
その国家体制は国民主権でありという思想です。
訳語としてナショナリズムとは、民族主義と国家主義と国民主義と大きく分けて三つを含むものです。
民族主義に限っていえば、蒙古襲来のとき日蓮が「我、日本の柱にとならん、我、日本の船とならん」と言ったのは、ナショナリズムというより、民族主義であったと言えます。】

前田 → 蒙古襲来以前にも民族主義的な思想 発想 あったんですか
松本氏 「倭」からの脱皮が民族主義であったと

日ノ本は支那から夷狄{いてき}と扱われていた
東に住む野蛮人 北に住む野蛮人は北狄{ほくてき} 
ほかに南蛮 西戎{せいじゅう} 
支那の東方に住んでいる諸民族について書かれた『東夷伝{とういでん』
では日ノ本人のことを「東夷{あずまえびす}」
「夷」は人が弓を射ってる象形文字 つまり野蛮人
南蛮の「蛮」は蛇と同じ草むらに住んでいる野蛮人
北狄の「狄」は けものヘンに火だから 火で獣を追う野蛮人(モンゴル人)
支那以外はすべて野蛮人 これが中華思想

日ノ本 初めての国名 倭{やまと}
支那からつけてもらう ゆえに 倭建命{やまとたけるのみこと}

倭 → 人偏に禾{のぎ}を書いて女
収穫物を女が頭の上にのせる様を云う
俗称 → チビ 女が収穫物を頭の上にのせ かがんでいるからチビ
漢字の意味がわかってくると 頭に来て
倭{やまと}と「大和」に
そして 聖徳太子 「日いずる國」から 「日本」とした
これ民族主義
拙者 支那が「中国」と云う美称を使うので
同じく美称 「日ノ本」と使う
これも民族主義

−−−−−−★−−−−−−
米國に民族主義はない
民族主義が欠けたナショナリズム

独立戦争から始まる国家の団結 
言論の自由/武器の保持の自由/資本主義経済
ナショナリズムの思想 必然的に白人の人達に限られる
アメリカのナショナリズム=白人至上主義

わかりやすく云えば トランプ 先祖返りを標榜したのだった
2025/02/26(水) 晴れ


<ひふみ>祝詞


きのう 「富士山の日」だった そうだ
きのう 「天皇誕生日」だった
天皇 日ノ本の象徴ゆえ
日ノ本の象徴 富士山にかけて「富士山の日」にしたのか

いや “オモテ富士”の静岡県
富士山は 吾らのものだ と
平成21年 十六年前 
語呂合わせ 2(ふ)2(じ)3(さん)と
無理やりつけた

公立の小中学校や県立高校が休みとなっていた
ところが 八年前 平成28年 平成から令和へ
天皇誕生日 平成天皇「12月23日」から
令和天皇 「2月23日」に改められ 祭日に
静岡県の小中学校や県立高校生 
「富士山の日いらないじゃん」と怒ったとか

語呂合わせの何とか日 数多ある
11月22日 「いい夫婦の日」
3月9日 サンキューで「感謝の日」

<あいうえお>の五十音
<いろは>の四十七字の誦文{ずもん=じゅもん}
<ひふみ>の祝詞(謳歌{いわいうた} 
和製英語も混じった 日ノ本語ゆえ成せる技だ

ちなみに <ひふみ>
神文{しんもん}とも云われ
日ノ本最古の最強の言霊との説 
心身を祓い清め浄化する詞
ありがたい詞

♪ひふみ
よいむなや
こともちろらね
しきる
ゆゐつわね
そをたはくめか
うおえ
にさりへて
のますあせゑほれけ♪

意味は こんなところだ
《一二三四五六七八九十百千万億兆と麻を蒔きなさい
そうすれば神様と結ばれてきます
生命力が強い大麻をたくさん育てれば交わる罪穢れが遠くにさり
天から与えられた田畑を汗水垂らして一生懸命に耕すことができます》

拙者 かれこれ二十年前から暗誦できた 暗誦していた
ゆえに 癌もコレラも寄せ付けぬ身体となった

次回 前田日明編集長対談 つづき
2025/02/24(月) 晴れ


右翼/左翼とは


【前田日明編集長対談
右翼正統の民族派は終わらない
――民族の生き方を取り戻す
      論客・松本健一】

【◆前向上 5,6年前、松本氏に前田日明と対談しませんか、と
某出版社から話があったという。なにがし等の事情で実現しなかったそうだが、テーマは何であったろうか。しかし、今日、民族主義もナショナリズムも、その再評価から日本人の明日の生き方の選択を迫る切羽詰まったテーマとなった。
まさに満を期した対談となった。】

対談は やはり 右翼はおわったか から始まる
前田 前巻の木村三浩氏
こんなニュートラルのような右翼の人もいるんだと驚く
でも「右翼は終わった」に木村氏 新右翼も反発したんだそうですね
松本氏 全国の右翼からと笑う
【松本氏 → 従来の右翼の立場は反共であり、反共のよりどころとして
天皇主義の側面が強かった。そういう右翼は終わったと言いたかった。】

前田 10年前 「朝まで生テレビ」 たまたま木村氏の隣
右翼と違う 清々しい人の印象
木村氏を見ていると 右翼は左翼の対立概念でなく 
文化としての民族固有の道徳 倫理観を体現する者としての自立した人で
それが民族派だと云っているようで

【松本氏 → 右翼も左翼も、カテゴリーとすればたかだか百年の中で通用した、ロシア革命以後から東西冷戦が終わった70〜80年間しか通用しなかったカテゴリーで、いま前田さんが言った吉田松陰は左翼か右翼か分類するのは意味のない馬鹿馬鹿しい問いかけなんです。】
日本人がついこの前まで好きだった代表的人物は西郷隆盛で、最近では坂本龍馬ですが、時代状況で思想家、行動者の評価は変わりますが、民族の歴史をどう捉えるか、その考え自体がなければならないのですが、たかだか百年の右翼か左翼かというカテゴリーで、吉田松陰、西郷隆盛の生き方、思想性の深さを捉えそこなうことになります。--------
百年前の左翼の思想の根拠は、民族の伝統も所詮資本主義、帝国主義に蹂躙されていくから、それに抵抗するために「階級」に立脚するという形です。
それに対抗するため「階級」に立脚するという形です。
それに対して、近代化で民族の暮らしがめちゃくちゃにされていくときに

「民族」に立脚するという形が右翼のわけです。】

−−−−−−★−−−−−−
欧州議会選 「急進右派政党」が躍進とか
ドイツ/フランス/オランダ/オーストリアなど
極右政党台頭
欧州左翼党も踏ん張っている
彼らから右翼 左翼のレッテルをはがしたとき
彼らは何者なのであろうか

『武道通信』 創刊時
「杉山さん 右翼だったんですか」
拙者 右翼のレッテルをはがしたとき
何者なのであろうか
2025/02/22(土) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信日


郷里の千本松原の入り口に 首塚がある
町内から小学生の足で十五、六分といったところか
歳上の子が歳下の子に 
首塚まで往復させた
その歳下の子は 後年 歳下の子に行かせた
要は 「度胸試し」という 
旧き良き 儀式だった
いまの世ならパワハラか

その昔し 甲斐武田軍と駿河北条軍の戦さ場であった
明治三十三年 暴風雨の翌朝
千本松原から五〇〇ほどの頭蓋骨が出てきた
地元民が それを弔った塚だ
大人も子らも「お首さん」と呼んでいた

今号 この「お首さん」のハナシからだ
2025/02/20(木) 晴れ


右翼は終わった


十四ノ巻
【前田日明編集長対談
 論客対談 論客・松本健一】

対談に入る前に 巻頭「論客談言」
【一人で居ても淋しくない男になれ            
――頭山満、北一輝から「右翼」のレッテルをはがしたとき】

松本健一  気になっていた評論家だった
いや 「評論家」というレッテルをはがしたとき
気に入る人だった
記憶は定かではないが
『右翼・ナショナリズム伝説』を讀んでからか

【松本氏 → 右翼は終わった。とわたしが最初に書いたのは、
一九八九年にベルリンの壁が壊され、共産主義がイデオロギー的に
敗退していった、そのずぐ後のことだった…………
右翼はナショナリズムを代弁することによって、
左翼の革命=共産主義に対抗してきた。
そうだとすると、左翼の対抗勢力としての右翼も終わったのである。
右翼が背負っていたナショナリズムは、
現在では、木島等(長崎市長)や石原慎太郎などの保守勢力によって
十分引き取られてしまっている。
だが、そうだとすると、これまで右翼の象徴的存在だった
頭山満というひとは、まったく過去の存在になり、旧い右翼の人々の
追憶の対象となるだけなのだろうか。また、その思想的意味など永遠に
なくなるのだろか。】

松本健一 頭山満から「右翼」のレッテルをはがしてみた
それで何が残るか と
すると 記憶の中から 頭山満の一言
「一人で居ても淋しくない男になれ」という言葉が
つよく浮かび上がってきた と云う

−−−−−−★−−−−−−t
前巻の論客 木村三浩氏が本にしたい原稿がある
タイトルが決まらない いいタイトルないかと 相談された
木村氏の心情 察して
「右翼は終わってない」といったもので良いのではと提案

『右翼はおわってねぇぞ! 新民族派宣言』(2001刊)
巻末に前巻の前田日明との論客対談を載せたいと由
了解した
2025/02/18(火) 晴れ


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