■近藤内蔵助
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天然理心流 習いはじめたころ 平井師範の弟と 同輩とみえる門弟 ふたりして 極太木刀で ゴンゴンと音をたて 打ち合っていた
天然理心流だけが使う木刀 大店の武道具店だと「天然理心流の木刀」とある 長さ102cm 元の太さ20cm 先は5cm 重さ2k 元 半分しか握れない 手首を鍛えておかないとヤバイ
この図太い木刀 天然理心流初代 近藤内蔵助{くらのすけ}が 鹿島神宮で折れた枝を拾って 木刀の代わりにしたのがはじまりだとのハナシ
拙者 想うに このハナシ フェイク 手首と握力を鍛えるため 『刃隠』で旗谷さん 語っている くそ握りでなければ(動物/人)斬れない
天然理心流 開祖 近藤内蔵助 素性 はっきりしない 天保十四年(1843) 刊行 『新選武術流祖禄』 <遠江の人 刀術に優れ 天然理心流を名乗り 門人に近藤三助というものがおり 武州八王子にその門人多し> とだけ *遠江=静岡県西部 遠淡海{とおつおうみ} (浜名湖)のある国の意味 ちなみに 近藤勇 天保五年生まれ 土方歳三 天保六年生まれ
鹿嶋神道流系譜に 近藤内蔵助の名があることから <遠江浪人 諸国を漫遊し 修行し 鹿嶋神道流を学び 晩年 天然理心流を完成させた> との通説が生まれた
この天保十四年 「町人の武芸禁止令」 『燃えよ剣』にも出てくる 「位は桃井 技は千葉 力は斎藤」 武芸好きな江戸っ子の通説
桃井 → 桜井八郎 鏡新明智流{きょうしんめいちりゅう}の士学館 千葉 → 千葉周作 北辰一刀流の玄武館 斎藤 → 斎藤弥九郎 神道無念流の練兵館 他にも小野派一刀流 直心影流 東軍流などが競っていた 町人 剣術ブーム なぜ生まれたかは 置いておこう
新撰組 京の 「池田屋事件」(1864)で名を馳せた八年前 京へ上る 浪士組{ろうしぐみ})が結成された九年前 万延元年(1860) 『万延元年武術英名禄』 刊行 関八州(関東) 諸流派 分別わかる 剣術紳士録 まあ高段者というところか これを見ると 柳剛流一四九名 北辰一刀流一三六名 つづいて 天然理心流 神道無念流 共に六十四名 甲賀一刀流 三十二名 小野派一刀流 直心影流 共に二十七名 全二十二流派中 天然理心流 三番目
『燃えよ剣』 ≪(浪士組応募)檄文 江戸府内おろか近国の剣道道場へ飛ばした。「檄文?」 近藤は、不審である。「この試衛館にはきていないが」「それは」山南は、気の毒そうな顔をした。江戸では安政中期以来、剣道道場は三百近くもできたが、こんな聞いたこともないような百姓流儀の剣道道場にまで檄文がまわって来るはずもない。≫
司馬遼太郎 『万延元年武術英名禄』 手にしていたろう 小説では 試衛館は百姓流儀のいも道場でなくてはならない 小説はそれでいい 小説は歴史的事実を伝えるものではない 空想的空間をつくりあげ 人々の心を躍らせるものだ
歴史的事実の近藤勇 土方歳三 檄文の内容 とうに知っていた 江戸城本丸から直に届いていた
2024/07/29(月)  |
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