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草莽日記 納め


行政機関の休日に関する法律
→「12月29日から翌年の1月3日まで」を年末年始の休日とする」
で 草莽奮戦日記も 年末年始の休日とする

この一年 奮戦してきたつもりだ
師走半ばには
七十七歳の“新人”など 大それたことを

杉山頴男事務所の年賀状
元旦に無銘刀(掲示板)に

よいお年をお迎えくだされ

杉山頴男 拝
2023/12/29(金) 晴れ


多様性

前田の 信長 比叡山延暦寺 焼き討ち 弁護談

前田 『泉光院江戸旅日記』讀む
山伏の高僧 全国の霊山を回る旅行記
農民町民に武術や漢詩などなど無償で教え続ける修験者の旅日記

泉光院 憤慨したことがある
一向宗と日蓮宗の門徒の多い集落はや町
旅人に対し非常に排他的で宿に留めてくれない
そういう心はどうしたものか としたためている

前田 一向宗の現世は汚れた穢土{えど}
「南無阿弥陀仏」唱えれば極楽浄土
これは神道側から見たら 穢らわしい宗教

猿田彦を崇める織田信長からすれば
一向宗は「和を乱す」もの ゆえに成敗した
というこになると

つづいて 井沢氏の饒舌に移る
その前に
信長と法華宗(日蓮宗)の関係法
安土宗論{あづちしゅうろん}
織田信長の斡旋 安土城下の浄厳院
浄土宗と法華宗(日蓮宗)僧らによる宗教論争

法華宗 法華宗に敗ける
して その狼藉にも 
法華宗 信長にこっぴどく 叱られる 
今後は他宗を誹謗しない 詫び証文 出させられる

信長 <宗教の自由> 認めていた
<宗教の自由>認めてない伴天連 認めていた

地球は丸い
信長 ストンと胎に落ちた
信長だけでない 公家も僧侶も庶民も
ストンと落ちた
この列島の四季 豊かな生物から
多様性 育んできた
2023/12/27(水) 晴れ


ムスビ おむすびではない


クリスマス 十二月下旬
北欧の“新嘗祭”にあわせた
キリスト教 北に広める策略
むかし 聴いたことが いや讀んだことがある

織田信長 キリスト教との出会い
仏教以外のオモテの世界があることを知った

六ノ巻
【織田信長 武と神道】

巻頭 論客談言 
「教育改革第一歩は体罰復活」
心身一元感の喪失 体罰と暴力の境界線が見えくなる
二十四前なら 体罰復活 正論
いま 無理であろう

論客対談
【織田信長の謎を追うと
この国の成り立ちが見えてくる】

◆編集部口上
織田信長は天孫降臨の際の猿田彦神の役割を自覚していた、という
前田日明説というのがありまして、今巻の対談は、その仮説を皮切りに、
織田信長を語りながら神道と武の役割を考えていくというのが主要なテーマになるかと思います。後は井沢さんの歴史解釈に対する卓見をお借りしながら、
歴史教科書問題にまで展開していけばと考えています。

前田 信長が収集していた光忠の刀をみると
青年のように純粋でまっすぐ
そこから受けるイメージと 歴史的にいわれる信長のイメージとかなり違う
(長船光忠 鎌倉時代中期 備前国刀工 長船派 の実質的な祖)

織田家家紋 猿田彦に繋がる
で前田 毎年 伊勢に若手が練習する道場のお札を貰いにいく
その際 近くにある猿田彦神社で神官にいろいろ聞く
猿田彦神 天照大神が降臨する際 地上の乱れ平定した神

前田 神道とは何か
根本精神 ムスビ とわかる

前田の饒舌に井沢氏 応える
霊を生むと書いて 産霊{むすび}
前田さんの云うとおり神道の根本精神です

前田 気分よくして 饒舌つづく
大和言葉 音の一つ一つに意味がある
「カミ」の「カ」は生命力 「ミ」は生む

小林秀雄が書いている
神道の世界では自分より優れたものは「上」
カミとして認めた
古来 海の向こうから渡来しきた文物 それが優秀なものなら
それと「むすぼう」とする

前田 途切れることなく「和をもって尊し」へ行く
「むすぼう」としても 対象が 和を乱すものであったら結ばない
猿田彦神 和を乱すもの平定した神 となる

前田 信長の比叡山延暦寺 焼き討ち 弁護する
それは また次に
2023/12/25(月) 晴れ


見切り発車


七十七歳の“新人”応募作
構想 大まか見えてきた
が 
なぜ いま これを書くか 
いま 書かねばならぬか
まだ 核心 定まっていない

武道通信 なぜ刊行したか
いま これを刊行しなけければならない
それは わかっていた
だが 核心 定まっていなかった
見切り発車

応募作 見切り発車でいくか
書き綴っていくうちに見えるか

−−−−−−★−−−−−−
武道通信 回想 次は六ノ巻

『「言霊の国」解体新書』
「言霊」の正体 暴いた
著者・井沢元彦氏 招く

あすはイブ
三者三様のイブ 描いたドラマ 終った
織田信長も三者三様の信長がいる
2023/12/23(土) 晴れ


花押


五ノ巻
花押の頁 四頁 つくった
“武筆”両道との屁理屈つけて
【武芸者の花押】

自筆サイン 
はじめは 当然 楷書体で書かれていたが
平安中期から洒脱なる者が草書体で書いた さらに崩し
これが草名{そうみょう}と呼ばれた
平安末期 王朝文学 華やかなりしころ
デザイン化するものが現われた
自身の文{ふみ}(手紙/書状)の偽文を防ぐため
偽恋文などもあったろう

さらに様式化されたの花押
二文字を合体させたもの
源頼朝 頼の<束>と<朝> 
誌面には画像 載せているが どうしてこうなるのか

次に一文字のもの 自身の名とは関係ない 好きな字ど使う
千葉周作は<虎>を多少 図案化した
楊心流柔術指南・山東新十郎清武
ただ 横棒一本 一にも見える

次に明朝の字体に似ているが 天地地平といい地の一線を活かした
徳川家康がこれ 家康に習ったか 徳川代々将軍はみなこれ
武家が多く用いた

次に平押 禅僧が多く用いた 沢庵和尚が有名

千葉周作 山東新十郎清武ほか武芸者 十名を載せている

宮本武蔵がないではないか 当時 見つからないわけないのに
武蔵の花押 六{む}三{さ}四{し}の
奇しくもスカイツリーのようなやつだ 

−−−−−−★−−−−−−
「太陽がいっぱい」
アランドロン演じる青年 
裕福な青年を殺し 彼に為りすませるため
映写機つかい 拡大し サインを真似る練習 繰り返す

花押も映写機はなかったにしろ 真似できたのではないか
文が本物か 偽物か 
花押以外に他に何か 文に仕掛があったんではないか
2023/12/21(木) 晴れ


武道通信かわら版 配信日


パイプを新たに購入
フランス製だ
容はウッドストック
シャンクは太い ゆえ吸い口も広い
ヤニ止めはなく フィルター入れ替え
フィルター代かかるが
ヤニ止め 掃除するの手間だが これは楽だ

パイプの煙 吹かしながら
小説の構想 練る

七十七歳の“新人”
文壇 デビューするぞ(呵々)
2023/12/20(水) 晴れ


大和本草{やまとほんぞう}


夕べ 真夜中 南方に弓張月がかかっていた
真夜中といっても 一眠りしてからだが
月の暦も江戸の世はじめまで
オモテの暦をもとに作られていたが
日本独自の暦がつくられた
ウラがオモテになりはじめる

決定づけたのが 江戸の世の中ごろ
貝原益軒/稲生若水{いのう じゃくすい}にはじまる
大和本草が確立してからである
それまで日ノ本の物産 すべて支那の分類で管理認識されていたのを
日ノ本の物産分類に切り替わった

次に 契沖{けいちゅう}/ 荷田春満{かだの あずままろ}/賀茂真淵らに
はじまる國学の芽生え
國学がもたらしたものとは
日ノ本語でものを考えることができたことだ
第三は キリスト教/蘭学にふれたこと
やっと 支那以外のオモテの世界があることを知った
                                   ≪松岡→このように、日本はオモテとウラの二重的文化を持つことを
長きにわたって社会構造の中央においきたにもかかわらず、
江戸中期を境目にオモテとウラの合体と変更に望んだのである。
このことは、日本の武道がこの江戸中期を境目に確立していったこととも深く関連する。≫

−−−−−−★−−−−−−
松岡氏 はじめにルールとスポーツの関係を語っていた
遊びや格闘技はルールによってスポーツに“昇格”してきたと云う
独創的なルールがスポーツを国民的娯楽にしてきた
江戸中期を境目に斬殺術にルールができたことが
武道の興りか
2023/12/18(月) 晴れ


オモテとウラ


来年 大河 紫式部物語
前宣伝 華々しい
「大奥」も人気 高いらしい
どちらもウラのお話

五ノ巻
【オモテとウラの関係 松岡正剛】

どんな国民も民族にもオモテの建前とウラの本音を二重性が波打っている
と松岡氏
するとイスラエルもハマスも ロシアもウクライナもオモテ/ウラ
あるということか

《ところが日本では、単に「オモテとウラ」「建前と本音」を使い分けるだけではなかった。日本はむしろオモテとウラの両方の文化を併用することを重視した。オモテとウラを同時に見せることに重視した。
茶の湯に表千家と裏千家があるのは、そのような得意性がわかりやすく出た例である。なぜそうなったか。》
茶人でわかっておらえる御仁は どのくらいおられるか

《日本におけるオモテとウラの文化思想を見るには、「内裏{だいり}という奇妙な制度を見るとよいだろう。内裏とは王朝時代の宮中のことであるが、わざわざ内裏というからには、外に対する内、表に対する裏が意識されている。
そうなのだ。実は朝廷と内裏は別々のものだった。》

朝廷→政府 内裏無→天皇のプライベート空間
これが一般的答えだが そんな単純な話ではない

《朝廷は中国風、内裏は和風なのである。朝廷の中心は大極殿と朝堂院で、
建築物も瓦屋根、柱は朱色でまさに中国風になっているが、一方の内裏の中心の精涼殿は屋根は瓦葺き、高床式の寝殿造りになっていて、徹底して和風の様式を表現する。つまり朝廷は表向きの世界、内裏は裏返しの世界だったのである。
しかも、ここで注目すべきはところであるが、オモテの朝廷とウラの内裏は、同じ敷地内におかれた。より北方の敷地内の建物が朝廷(中国)で、より南方の建物が内裏(日本)なのである。それだけでなく、朝は朝廷を使い夜は内裏を使うというように、一日中でも朝廷と内裏は同時に使い分けられていた。これが長いあいだの日本の方法であった。》

そうか つまり昼の表向きは国会議事堂 
夜の内裏は官房機密費を使う与党/野党の談合料亭だった
これも永きにわたる伝統か
いや そうではなかった
《内裏はまた後宮でもあった。そこに女性の住居が許された。すなわち朝廷が男のオモテの世界、内裏がウラの女性の世界ともなっていた。
平安時代の内裏に女房の日記文芸や物語文芸が花開いた。》
料亭の女将/仲居から紫式部 清少納言は出なかった

歴史は面白い
ウラの日本がオモテに出る時代が到来する
それは また次に
2023/12/17(日) 晴れ


七十七歳の“新人”


師走も半ばに
年賀状づくりだ
来年も俳句じゃ 芸ないか
干支は辰 龍
龍に背番「17」でもつけるか(呵呵)

本屋で棚から棚に目を移していたとき
ふと浮かんだ 
どこかの文学賞にでも応募してみるか

『使ってみたい武士の作法』 『サムライと日本刀』 
『真似てみたい武士の妻の作法』『武女』 
上記 版元が<商品>になるのでないかと刊行してくれた
『刃隠』 <商品>ではないと自社出版

選ばれてみたくなった 落ちて元々
七十七歳の“新人”だ

そういうことで
『武道通信』 回想
途切れ途切れになるやも
こちらに熟考 重ねることになる
2023/12/16(土) 晴れ


剣 集中した澄んだ力の結晶


山内由紀人氏につづく頁
一頁コラム 「床几」
【小説「剣」と三島由紀夫 小川和佑{かずすけ}】

小説「剣」 読んだ
映画「剣」観た

『生きる意味を問う ――“行学一如”の作家の素顔』
三島 由紀夫・著  小川和佑 ・編集
読んだ から原稿 依頼したのだろう
《小川→剣道という武技を文学化した最初の唯一の小説が「剣」であった。》

十六歳で『花ざかりの森』 
以来 日常を超克した美の世界を書き続けていた
三島が1961年 『憂国』
思想家三島由紀夫の出現
三島が剣道を習い始めたのは その二年前 三十四歳のとき
奇しくも拙者が初めて竹刀 持ったのも その歳のころ

《小川→剣道は彼に王朝の美学から武へと変身させた。
その到達は「憂国」でなく、(二年後の)六十三年に発売された「剣」であった。この短編は、まことに三島らしい完璧な小説に仕上がっている。しかしながら、多くの三島文学研究では、この小説は見過ごされている。――ということは研究家、評論家が剣道という武技に全く疎かったことが要因であった。≫

小川氏 その因 森鴎外から以来 
文学者は武士道は容認しても 武技は徹底的に拒絶したと
武技としての剣 それゆえ 演劇/映画/時代小説として
エンターティンメントの対象にしかなり得なかった

劇中の大学剣道場での凄烈な掛り稽古 
剣道部の学生 扮した
従来の映画にも見られない
主役/国分次郎役→市川雷蔵 従来の殺陣にない演技を見せた
《小川→剣は三島の在るべき夭折の美学がテーマであった。≫

国分次郎
『憂国』の主人公の分身
『奔馬』(豊饒の海第二巻)飯沼勲の分身であった

国分次郎を言葉
「剣はひとつの 集中した澄んだ力の結晶だ
精神と肉体が とぎすまされて 光の束をなして凝ったときに
ぞれはおのずから剣の形となる」

−−−−−−★−−−−−−
「床几」とのタイトル
本屋で棚から棚に目を移していたとき
ふと浮かんだ 
本棚に床几の文字があったわけない
座りたくなったのか

合戦のとき 大将が腰かけているやつだ
辞書
「脚を打ち違いに組み 尻の当たる部分に革や布を張った折り畳み式の腰掛け陣中・狩り場・儀式などで用いられた」
「床几」カット
貸本屋で出会う 地元の老挿絵家に画いていただく
2023/12/15(金) 曇り


三島由紀夫と映画


北野武監督 『首』
予告映像 キャプション
<飛び交う血飛沫>
血飛沫{ちしぶき} 懐かしい言葉だ
血が騒ぐ

五ノ巻
【映画にみる 三島由紀夫の武士道 山内由紀人】

『憂国』(昭和四十年) 二十数分の短編
夥しい流血と痛苦をともなう割腹自殺シーン
どこで観たか 思い出せない

『人斬り』(昭和四十四年) 映画館で観た
薩摩武士・田中新兵衛(三島由紀夫)
盗まれた差料が 公家暗殺の証拠と差し出された
そのとき 即座に その差料で切腹

≪山内→映画は三島のナルシシズム的欲望を充足させ
変身願望を実現させる最良の装置だった
それは三島にとって現実世界に対する遊びであり、企みでもあった。≫

《山内→『憂国』映画化に大きな影響を与えたのは
小林正樹監督『切腹』(昭和三十七年)という映画だった。
三島はその映画評を「残酷美について」と題して書いているが、
ほとんど『総長賭博』の評と同じ文脈で読むことができる。
『切腹』の功績は、「観客の心にこの古い美意識を目ざめさせたことである」
と指摘するが、それは日本人の深層意識に深く根ざした「血潮や死のメタフォア」を指している。しかしこのことに目ざめたのは、誰よりも自身であっただろう。
三島が映画『憂国』で具現してみせたのは、日本人の美と純情だった。『憂国』もまた武士道精神によって成立している世界なのである。》

<『総長賭博』の評と同じ文脈で読むことができる>
突然のヤクザ映画 実は山内氏 書き出しでヤクザ映画 語っていた
三島が名画だと絶賛したのは東映やくざ映画 山下耕作監督『博奕打ち総長賭博』(昭和四十三年)
三島 「その悲劇は何とすみずみまで あたかも古典劇のように
人間的真実に叶っていることだろう」と評した
そして『人生劇場・飛車角と吉良常』(昭和四十三年/内田吐夢監督)
飛車角役の鶴田浩二への共感
「男の我慢の美しさ」「困惑の男性美」を発見し
その困惑においてだけ 彼は『男』になれるのである
それこそはヤクザ映画の世界であった と
この『男』とは『武士』と同義語
三島は云いたいのだ

−−−−−−★−−−−−−
1970年の11月25日
軍刀と二振りの短刀を収めたアタッシュ・ケースなど必要な品々を携えて
楯の会の同士4人とともに車で大田区馬込の自宅を出発したのは午前10時過ぎそれから環状七号線に出て第二京浜に入り 品川から中原街道を経て市ヶ谷の陸上自衛隊に向かった
荏原ランプから首都高速道路に入ると 飯倉ランプで降りて赤坂・青山方面から神宮外苑に出た
だが時間が早すぎたのですぐに降りず そこを二周することになった
その時に三島由紀夫が車内で こんなことを口にしたという
「これがヤクザ映画なら こで義理と人情の『唐獅子牡丹』といった音楽がかかるのだが 俺たちは意外に明るいなあ」
高倉健の『唐獅子牡丹』を歌い始めた三島由紀夫に合わせて
四人の声が車内に響いていった
(集英社オンライン)
2023/12/14(木) 晴れ


傷つきやすさかからの出発


いまどきの若いモンは……
縄文/弥生の世でも
元禄の世でも いまどきの 若いモンは……
繰り返し 繰り返し 云われ続けてきたのだろう

拙者のころには
♪僕の髪が肩までのびて〜
いまどきの若いモンは女みたいに髪を伸ばして……

いまどきの若いモンは…… この常套句には
若者の特有の謎があるからだろう

小杉さん かく語る
≪若い男たちが作り出すこれら音楽は、基本的に、人生に対して真剣であろうとしているのだが、彼らの真剣さは、既存の社会=世間(直接的には親や教師、地域社会や学校)に受け容れられない。でもそれは、彼らがわがままだかではない。むしろ、社会=世間の側に、首尾一貫した価値がなく、それゆえ彼らにとって信じられるものは自分自身の感性だけであるために、その自分に正直でありたいと願って生きようとすること自体が、必然的に、一貫した価値を持たない社会=世間との間に軋轢を生むのである。≫

さりとて 自分自身の感性が
他の誰にでも通用する絶対的 普遍的なものだと思っていない
それぞれ自分とは微妙に異なる感性を抱きこんでいることを知っている
傷つけたり 傷つけられたり 壊れやすい関係性の中で日々 暮らしている
それでもすねて内に閉じこもったり 他者に従ったり他者を従わせたりしない
いまより少しでも広く 明るく他者とつながれるところへ出ようと
懸命に声を響かせている
これが「傷つきやすさからの出発」
若者の特有の謎 コレである

この感性が 尖鋭な個性によって響かせると
長渕剛 尾崎豊の叫びとなる

男子だけじゃない
レベッカのNOKKO(ノッコ)を かく語る
一九八七年 アルバム「ボイズン」に書いた「オインズ・マインド」
いま聴いてもまったく色あせないていない
母のことを「あなた」と冷たくつきはなして尚
「死ぬほど嫌い」と叫ばすにいられない

深夜 友達もみんな帰ってしまったコンビニの駐車場で
身のすくむような寄る辺なさに身構える少女の
ひび割れた かたくさな魂は 冴え冴えした月明かりに透かされることで
本来の透明な率直さを 一瞬だけで確信できる
この時代 ノッコは確実に 拒絶する少女たちの痛々しい天使であった

九〇年代以降 バルブ経済崩壊 日本の戦後的諸価値があらかた敗北した
そこに露呈してきた価値相対仕儀の空虚な泥沼
ひときわ貴重な価値を現してきたのは
ノッコ的な声音の中で守られてきた
この自己自身の核心に対する肯定性なのである

−−−−−−★−−−−−−
武田鉄矢 「 父親 大っ嫌い……嫌いでしたねえ」
「安月給をはたいて 全部飲んじゃう
やけ酒をあおっては 戦場の記憶の断片をうめくように吐き出していました」

嫌われる母 父にも わけがある
2023/12/13(水) 晴れ


レトリック



大谷翔平 ドジャース入り
“心のキックバック”貰ったのドジャース・ファン

小杉英了さんから 薄謝の原稿料に対して
“レトリック術のキックバック”いただいた

レトリックには 
修辞法:言葉を効果的に使い、表現を豊かにする技法
こんな教科書に載っている説明より
ひと言でい云えば 言葉のあや
織りなす 二つの言葉を合わせるとか

−−−−−−★−−−−−−
≪小杉→ここ東南アジアの漢字文化圏で、古来、まず第一に教科書とされてきたのは、二世紀初頭の『説文解字』や六世紀の『千字文』、九世紀の『白紙文集』といった漢字学習に始まる漢文テキストであって、それが文化の根幹をなしていたが、その漢字取得というのが、現在のような単なる机上と知的学習でなく、気息をもって繰り返し全身でなぞる身体運動であったし、声を挙げて韻律を身に刻む音楽体験であったし、そこから法則性ある漢詩の模倣、習熟、創造へ進んでゆく芸道でもあった。≫

ここまでは序章である
小杉さん ここから本題に入る
十代の若者が繰り返し 繰り返し
身体感覚を通して身にしみ込ませ習熟しているものとは
ポップ・ミュージックをおいて他にはない
学校で習う教科書の一節を
まるごとそらんじることができる生徒はいないが
全部歌えることのできるポップ・ミュージックを
数曲 あるいは数十曲も暗記している若者 無数にいる

「たま」「米米CLUB」「ミスチル」「ビーズ」などなど出てくる
そして 彼らがつくり出す これらの音楽の主軸 魂の主軸は
《「傷つきやすさからの出發」が通奏低音である。》

拙者 気にってよく使う「通奏低音」
このレトリック
小杉さんに教えられた
2023/12/11(月) 晴れ


ネイティブ


週刊ベースボール スタッフ入り 早々
大和球士の連載 担当させられた
原稿 赤手入れ 禁止 
単に句点だけ 「<」 の校正マークの赤入れ 

「ダジャース」とあったので 
つい「ドジャース」
あとで叱られた
大和球士 「ダジャース」 なのだ
ネイティブ発音なのだ

大谷翔平 ドジャースと契約合意
10年総額7億ドル(約1014億円)
大和球士 草葉の陰で 今昔之感 しきりであろう

−−−−−−★−−−−−−
ポートランド ホテルの食堂
アフリカン系ボーイに「コーヒー」といったら怪訝な顔つき
お前 バカか 「コーヒー」 もう一度いったら
お前バカか といった顔つきで
「カフィ」と聞き返してきた
「オー イエス イエス」

あっ そうか 
カタカナ英語 発音が違うんだ
オレ いまガイコクにいるんだと感動?!

大谷をロスまで応援にいった同胞
エンジェルス でなくエィンジャォズ
と聴こえたのであろう

百人一首の時代
いまの発音と違ったのでないか
ネイティブ平安ではなかったか

あす 五ノ巻
【若者たちのポップ・ミュージック
若き魂を支える教科書
――古来、東アジア漢字文化圏の骨格をなす漢字習得は、
全身でなぞる身体運動であり、声を挙げて韻律を身に刻む音楽体験であった
小杉英了】
2023/12/10(日) 晴れ


丸暗記


五ノ巻 
【『軍人勅諭』と『教育勅語』の信義 杉田幸三】

何かの本で読んだ
進駐軍の将校 『軍人勅諭』読んだらビックリ
コレ 神父/牧師の教科書か 
オレたちの軍人の心得には ユーモアを持て とある

『軍人勅諭』 明治十五年 発布
長文である 前文一〇四五文字
「一、軍人は忠節を尽くしを本文とすべし」が二六四字
「一、礼儀正しくずべし」が三一二字
「一、武勇を尚ぶべし」が二八七字 
「一、信義を重んずべし」が三三九字
「一、質素を旨とすべし」が二二五字
後文二○九文字
総計二六八一文字

杉田氏 よく数えたものよ
《筆者はこれを入隊以前に全文暗記したが、
入隊してから盛んに暗記に努力していた人が大勢いたことを覚えている。》

サブタイトル
【復古論でなく、明治という時代の精神的主軸となった
道徳体系の信義を知ることこそ、明日の日本の糧となる。】

杉田氏 『軍人勅諭』も『教育勅語』
精神的主軸となったとしているが
《師団長級で、インパールから勅命に反して、撤退した佐藤孝徳中将のように、
子息の五郎氏や従兵の流石{さすが}氏などに「軍人勅諭も暗記するに及ばす。その真意把握が大事である」といったことがある》

才知に長けた話だ
丸暗記 真意を逃す
『軍人勅諭』丸暗記がどれだけ パワハラを生み出したか
『教育勅語』 三一五字 無類の簡素さであった
真意把握ができた

−−−−−−★−−−−−−
百人一首 かるた取り
大人に混じって遊びたくて ガキの頃
百人一首 丸暗記した
三十一文字

最初に覚えたのは
実母の郷里 田子の浦
富士山はいつも見ている
田子の浦に うち出{い}でてみれば 白妙{しろたへ}の 
富士の高嶺{たかね}に雪は降りつつ

意味がわかったのは 後年であった
2023/12/09(土) 晴れ


空爆という民間人虐殺


臨時ニュースを申し上げます 臨時ニュースを申し上げます
大本営陸海軍部 12月8日午前6時発表
帝国陸海軍は本8日未明 西太平洋において
アメリカイギリス軍と戦闘状態に入れり 
帝国陸海軍は 本8日未明 西太平洋においてアメリカ イギリス軍と戦闘状態に入れり
“西太平洋戦争”はじまり して 空爆でギブアップ

<12月8日> どこのメディアも回想報道 無し
イスラエル軍⇔ハマス 戦闘 モチキリ

四ノ巻
【ユーゴ空爆に思う
  武道精神を現代に生かす 井沢元彦】

1999年3月 NATO軍 ユーゴスラビア空爆
四ノ巻 同年7月 刊

コソボ地区のアルバニア人自治が認められている間は大きな問題は起きず
1998年 突然 セルビア大統領 コソボの自治権を剥奪
ユーゴスラビア軍およびセルビア人と
コソボの独立を求めるアルバニア人の武装組織コソボ解放軍との戦闘

セルビア人による民族浄化などの残虐行為を阻止とのことで
NATO軍 ユーゴスラビアを空爆
民間人 多数 死傷

以上の事柄があっての 井沢氏の原稿

民族問題からの戦闘 どちらが<悪>と割り切れるものではない
“誤爆”という逃げるチャンスも与えない 極めて卑劣な行為
井沢氏 空爆戦術をやめ 地上戦で決着をつけろ! と

日ノ本政府 「ただちに支持」
井沢氏 これは武士道に反する
≪日本が武士道精神に基づき「空爆は無防備な市民を戦争に巻き込む卑怯な手段である」と言えば、多くに国がそれに耳を傾け、日本を尊敬したかもしれない。≫

−−−−−−★−−−−−−
人気凋落の首相 来年 年頭の国会で
「先の大戦での
多くの民間時を犠牲にしたアメリカの空爆は
国際法違反である」
と弁じ得れば 一気に人気上昇となるやも
2023/12/08(金) 晴れ


民族の共感


異論!反論!オブジェクション
この言葉 二十年前あたりTV報道で使われた
巷間SNSなるもの出現以来 拍車かかる
日大 副学長の解任/アメリカンフットボール廃部 
メディアも交えて 異論!反論!オブジェクション
拙者 <現場>にいないので 何が可か否か 皆目見当もつかぬ

拙者 現場にいたからわかる
西尾氏の対談
前田の異論/反論 オブジェクション
【儒教は日本に根付かなかったか?】

対談
≪西尾→≫日本の場合の儒教は学問で終わっているんじゃないかと。≫
≪前田→えっ、儒教が学問だけで……≫

前田 同巻に
≪今巻の西尾氏との対談で、疑問に感じるところがいくつもあった。歴史や文化に対する捉え方が自分とかなり違っていた≫ 

前田 熱く語る
例えば古墳一つとっても韓国/中国に同じようなものがあり
匂玉や鏡への信仰 日ノ本だけではない
西尾氏のいう独自性 どのくらいのレベルを指しているのか 
日ノ本から中国/韓国に伝わったものがあったか
明確に 歴史的資料に基づき指示しない限り論拠になり得ない
西尾氏のいう独自性なら その程度のレベルの独自性なら
どこの民族も持っている

独自性を強調するなら 大東亜共栄圏を作る必要があったのか
アジアの共栄を図るものだったはずだ
あの戦争自体が 独自の優れた文化を持った日ノ本民族が
覇権の為だけの侵略戦争になってしまう
左翼と同じ史観になってしまう

あっそうだ 前田の従兄弟か 縁者に 
特攻隊員になった者がいたと話していたな

前田 「共感」熱く語る
サブタイトル こうした
【文化の根底にあるのは「民族の共感」。
他民族の文化に対しても、共感しあえる部分があれば、その文化は伝わっていくことができる。】

前田 語る
文化とは 長い時間を経て積み重ねられいった民族的共感の蓄積
それが目に見える美術の様式美になり 
あるいは 目に見えない価値観の体形になる

他民族の文化に対しても共感し合える部分がそこにあれば
その文化は伝わっていく
孔子や孟子をはじめとする儒教思想が
韓国や日本に伝わり根付くことが可能だったのは
その考えに共感が根底にあったからだ

−−−−−−★−−−−−−
拙者 日ノ本文化の独自性 強調する気 無い
昨今の日ノ本と海外のコラボレーション 
日本食の共感 
前田に分がありそうだ 

が 劍だけは譲れない
劍 古代から あらゆる人種民族 手にした
だが日本刀に類する劍 他に無い

民族共感だけでは計れない 何かがある
何か? わからぬ
百まで生きればわかるやも知れぬ(呵々)
2023/12/07(木) 晴れ


死ぬこととみつけたり


西尾氏の対談 拙者 一番印象に残ったのが
「武士の個人主義 西洋の個人主義より強い」

≪西尾→よく『葉隠』で、死ぬこと見つけたりと言うのを言われすぎて、死んでしまうことが、あるいは死が最高に重要なんだという、非常に誤解されていますけど、そうではないので、死ぬことを急がされることでなく、絶えず明日の死を見つめて生き続けることが、自分の自由を得ることになると、本当の自由を得ることであるという意味です。
 更に『葉隠』をよく読むと、主君が横暴で、主君に理がない時に家臣は服従うせよとは言ってないですね。強く諫めるだけでなく、死を賭してでも誡めよと言っている。そして自分の信念を曲げてはいけないと言っている。
そこはむしろ、非常に強い西洋個人主義の論理よりもっと強い、個人主義の論理が生きているんです。……
だから江戸時代を通じて武士の精神は近代個人主義を準備したと、そう言うこともできるんです。≫

そこで 想い出した
十三ノ巻 特集 武士道とは―― 現代日本のモラル・マインドを求めて

ガイジンさんが どこかで なかなかの武士道論 書いていた
版元から連絡先 突き止め 電話する
「西部です あれは偽名です(笑)」
イザヤ・ベンダサン(山本七平) 真似たか

西部邁氏であった 早速 原稿依頼

手書きで來たか メールで來たか 記憶ない
タイトル
【生命は虚無の根 ――それを断たんとした武士道の冒険
生命尊重のニヒリズムの根を絶つ必要が「武士道というのは 死ぬこととみつけたり」の一言に要約されているのである 】

十三ノ巻 品切れ うかつにも編集用に一冊 とっておかなかった
西部氏 どんなこと書いていたか

「生命尊重のニヒリズム」
お命大事はニヒリズムということか
人の命は地球より重いはニヒリズムということか

辞書では虚無主義とか 
全ての物事や自分の人生に対して目的や価値なんてない
となる
ニヒリズムといえばニーチェだ
ニーチェのニヒリズムといえば
ヨーロッパ近代社会やキリスト教文明の根底に対する否認だ
このニヒリズム ニーチェ以後 いろいろな処でひとり歩きした

西部氏のニヒリズムとは如何に
氏の著 『国民の道徳』でこんな風に語ってる
「いくら祖国のためとはいいながら、死ぬのは嫌だ、それがホンネというものだ」と言い張る人間が多い。実際に私は、あるテレビ・キャスターからそのような言葉をあびせかけられたことがある。」

いまの世 死んでしまえがオシマイ 夢も希望もオシマイ
美味いものも食えない 愉しい出来事も この人あの人ともお別れ
死んでしまえば全部無 だから一番大事なのが生命
これが ひとをニヒリズムに誘うというのか

ひとは必ず死ぬ 当たり前の現実
なのに 一番大事なのが生命となると
パラドックスに陥る
一番大事なのが生命でないとし
パラドックスから抜け出る
生命尊重のニヒリズムの根を絶つということは そういうことか

松岡正剛氏 西尾幹二氏 西部邁氏
それぞれの言葉を選んで 武士の死生観 語る
日ノ本だけに生息した いまや絶滅危惧種 武士
武士の死生観 一筋縄ではいかぬ

傘張り浪人 
何のために生きるか ではなく
どう生きるか 
とにかく百まで生きてみる(呵々)
死ぬこととみつけたり 
みつかるやも知れぬ
2023/12/06(水) 晴れ


きょうは武道通信かわら版 配信日


きょうは「アルバムの日」だそうだ
年の瀬 なにかと慌しい
<いつか いつか>と あとまわしにしている
今年のアルバムをつくろう との ことだそうだ

いまどきの若者 パパ/ママ
スマホに保存 整理されているだろう

アルバム ひろげ 貼る
「アルバムの日」→ノスタルジッー

拙者 
まいにち まいにち 
<言葉のアルバム> 綴っている
2023/12/05(火) 曇り


韓非子{かんぴし}


支那の最近のハナシだ
お笑い芸人 トークショーで 吠える野良犬を
支那軍に例えるジョーク披露
ショー運営した上海の芸能会社
罰金約1335万元(約2億6千万円)
お笑い芸人 永久出演停止

《西尾氏→聖徳太子の十七条の憲法にも、礼という言葉は出てきますが、日本では馴染まなかったというふうに考えざるをえない。そこが大きな問題なんです。というのは、礼法を支えるものは、鞭と飴なんですよ。道徳の表向きの儒学思想、孔子の教えですね。そんなことで人間は動きませんから。その背後にものすごい刑罰、報復の思想という、韓非子{かんぴし}などの、ようするに厳しい厳しい刑罰などの、その二つのバランスで、古代国家というものは、中国そのものは、毛沢東になるまで全部、成立している。》
*韓非子→刑罰を以て政治の基礎と説く

付け加えれば 習金平までも

著者サイン本
川添恵子
『中国人とは愛を語れない』並木書房刊
2009.6月吉日 とある
並木書房店主 奈須田さんとの会席の折 川添さんも同席した際のものだろ

カバー 折り返し 文
<中国には、権力者が人民の幸せを考え、信用した歴史がない。
悲しいかな、中国人民はそれを分かっているから、「上有政策、下有対策(上に政策があるなら、下には対策がある)」をモットーに社会の隅々まで無法状態、人々は私利私欲に走る…………。
八〇年代の中国初留学から二十年あまり、日中ビジネスの現場に立会い、アジアの華人、世界のチャイニーズとも深く接してきた著者が、日本人には理解できない中国人気質に鋭く迫る!>

各章 見出し
序章 中国という災危が日本を襲う
一章 こんなに違う中国人の感性
二章 中国人とアメリカ人は似ている
三章 中国人の生活に平穏の文字はない
四章 台湾は中国ではない!
五章 教育現場から見える中国の未来
六章 中国は過ちを何度でも繰り返す
終章 虚像と妄想の“中国四千年”

支那の男と女と 愛を語り合った
日の本の男と女もあろう
人の世 人類学でも地政学でも解けない何かがある
人の世とは 一筋縄ではいかぬものである
2023/12/04(月) 晴れ


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