■特攻隊員
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【論客 徳田虎雄 弱きを助け、悪しきを挫く ――前田さん、僕はね、このメジャー(ものさし)で 政治改革、アフガンもすべて計る】 前田 → 15,6年前 『徳洲会の挑戦』 読んで徳田を初めて知る 初めて会ったのは 杉山の参議院選挙決起集会 自分もいろいろな政党から立候補の話 杉山の応援演説をとおし他の政党を比べ 自由連合のユニークさと同時に 徳田代表への興味を持つ 杉山がフィリピンへ神風特攻隊慰霊祭ツアーに参加すると聞く そのツアーの牽引役 徳田と聞き 「ますます「わからん人だな」(笑) かねてから論客として対決してみたいと 徳田 → 格闘技のこと詳しくない 前田の輝かしい戦歴しらない 格闘技音痴だが 武道精神には一言 持っているつもり(笑) 前田 → そんな気がします *徳洲会理事室に入ると 東郷平八郎「皇国の興廃 この一戦にあり」 の大きな額 その脇に「小医は病を癒し 中医は人を癒し 大医は国を癒す 徳田虎雄」の書かれていた小さな額 前田 それを見ていた 前田 → 先の大戦の本 よく読みます 森史郎『敷島隊の五人』 も読む 改めて特攻隊員の心情を思うにつけ 日本の戦後の彼らに対する処遇を思うとやるせない 特攻作戦の是非は今でも問われていて 非の一つとして片道燃料で飛んでいったといわれるが 片道燃料だったのは戦艦大和だけ 沖縄の海岸に浅瀬にの乗り上げて米軍を迎え討つ作戦上の片道燃料 徳田 → 前田さん いまお幾つですか 前田さんの世代で無念の思い出で死んでいった多くの戦没者のことを 考えてくれる人がいることはうれしいですね 前田 この年 42歳であった 拙者 55歳であった 敗戦後少年二期生 多くの戦没者のこと考えるには幼すぎたが 敗けた悔しさはあった 小石を特攻機に見立て 大きな石を米軍艦に見立て 投げ続けた 特攻隊員になりたかった −−−−−−★−−−−−− 『敷島隊の五人―海軍大尉関行男の生涯』 昭和十九年秋 五人の特攻隊員たちが比島マバラカット基地を飛び立った 彼らは三度引き返し 四度目にレイテ島沖でその若い命を閉じた 隊長の関行男は二十三歳 残る四人の隊員たちは二十歳前後の若者であった米空母に体当り突入を敢行し みずからの肉体を四散させた五人の若者たちは最後の出撃にいたるまでの残された時間の中で何を思い いかに生きようとしたのか 五年の歳月を費やし、新事実を駆使して描かれた
2025/09/28(日)  |
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