■熾火{おきび}
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「床几」 【民族の狂おしき火なりや 橘 薫(礼楽研究家)】
【橘 → 程度の差こそあれ、ともかくも民族主義、というからには、 民族というものを何らかの実態と考えているはずである。 ところが、観念遊戯に長けた、ニューアカ(ニュー・アカデミズム) 以後のインテリたちは、民族を何らかの実態をみなす考え方は、素朴、 稚拙とこき下すのがうまい。 民族など近代になって作られた政治的・経済的な、観念上のこしらえもであって、 実態は虚妄にすぎない、と宣{のたま}うのである。---------------- 私に言わせれば、もしも「民族」が虚妄なら、この御仁が信奉する 「世界」も「地球」も「人類」だって、皆、虚妄である。 それらの概念は、非植民地下の諸民族が立ち上げた民族解放闘争の嵐から、 西洋社会の独善性を思想的に防御するために作り出された諸観念に他ならないからだ。 いわば、先に人を殴っておいて、殴られた相手が、正当に殴り返そうとしたときに「君、暴力はいけません。人類は皆、兄弟です。愛と平和を尊重しましょう」と、説教をたれるのと同じある。 その上、この説教に耳を傾けない相手には、再度、しこたま殴りかかるのだ。 今、国連が紛争地域でやっていることはこれに近い。 人の人たるゆえんは、理論整然とした知性の振舞えにあるのでなく、それを知って尚、狂おしく、みずからをかき立てる熾火を、腹の内に起こせるか否かにかかっていると信じる私は、正真正銘、狂っているで、賢明な御仁のおっしゃることなどわかりません。それで私は、虚妄をこそ信じて生きようかと、かたく心に誓ったのである。】
−−−−−−★−−−−−− パレスチナ紛争 先に殴ったのは どっちだ 民族の狂おしき火で 考えよう
2025/03/13(木)  |
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