■南条直子さん
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田中光四郎さん 戦場カメラマン 南条直子さんにこと話すとき いつも目が潤む
南条直子さん アフガン入りは田中光四郎さんがアフガン入りしてから四年後 タギンという谷を下って行くとき地雷を踏んだ 一行は12人いた そのときの様子を詳しく聞きたくて11人には会ったが 一人だけ会えない者がいた 彼の名は ワルジ・アフマドというジャーナリスト 南条直子さんの後ろを歩いていた 人が歩く道幅しかないところで ワルジがバッテリーを見つけたと で ワルジは南条直子さんに脇へ避けろと云う すでに何十人も通っているから安全なはず でも 南条直子さんは脇へ避けて 片足が飛んで死亡
田中光四郎さん これはワルジの策だとする なぜなら ワルジにとって取材の初日だ なのに すぐ 南条直子さんが片足が飛んで倒れている場面を 写真に撮り そのフィルムを持ってパキスタンのぺシャワールまで飛んだ そして そのフィルムをフジテレビに売った
アフガニスタン日本大使館へ行き ワルジを呼べ どう考えてもおかしい 調べろと だが結局 何もないまま
田中光四郎さん たまたまぺシャジワールへ帰ってきた すぐ大使館へ行き 南条直子さんが死んだこと 大使館に遺体を持ってくるから人を出せと 結局 国交のない戦場だから行けないと
日本政府 田中光四郎さんがアフガンで戦闘していること気に入らない 仲良かった大使館駐在員にお前も来いと だが行かないと だから 遺体を包むビニールシーツのロールを買い お前 これを払え 日本政府から領収書をつきつけ金をもらえと それが南条直子さんが死んだ証にもなりますから
ロールをもって 埋めて一週間目に掘り起こす 遺体はもうふくらんでいて 爪をとってやろうとしたが 痛んでダメだったから髪の毛を切って 下着からカメラからみんな持ち帰って渡したとき 母親から聞いた話
髪を切った同じ日に 娘が家の廊下を走って来たと云う 田中光四郎さんが最後に見た 南条直子さんの姿で
そのとき 「たとえどんな姿になっても 娘に晴れ着を着せてやりたい」 という親の情の深さに打たれた
それから一年十ヵ月して 両親を連れ骨を拾いに行く 人の体を焼くのはイスラムでは犯罪 弟子ら十人を連れ 掘り起こし別のところでミイラになっていた遺体を焼く
南条直子さん 享年三十二 このニュース 世界へ 田中光四郎さん ワシントン ペンタゴンに招待される ボストン タフツ大学で講義 タナカ お前を理解できる日本人は少ない アメリカに残れとも云われる
田中光四郎さん アフガンに入れた元自衛隊員 カレン民族解放軍に参戦 いま タイにいる 一昨日 弟子が帰ってきた カレン民族解放軍で戦って死んだ日本人が三人いる 「自由戦士の碑」を建て祈って帰って来た そして きのう五・一五の記念追悼式に参加 (この対談は5月16日であった)
田中光四郎さんのお師匠 五・一五の首謀者だった
次回 田中光四郎さんのお師匠のこと
2025/04/24(木)  |
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