■感性身体運動技術
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「自分自身に気付く」ことこそ 伝統を現代に活用することができるからだ しかし 勘違いしてはいけない これは巷に溢れる如くの「自分自身に気付く」ではない 数多ある先人の遺した言葉に挑戦した結果という前提がある
例えば 宮本武蔵 『五輪書』の一節 「一、刀のもちようの事」の中 「手にても いつく(居着く)とゆう事をきらふ いつくはし(死)ぬる手也 いつかざるはいきる手也」
日野氏 「いつく」 拘ると記している 一般的 武道用語をしては 心や体が硬直し 次の動作へ移れなくなっている状態
その 「いつかざる」手 とは どんな手だろう 手ががかりも 足がかりも 己が持っていないことに気付く であれば 『五輪書』から探し出さねばならない
別の一節 「敵の拍子に応じ」 つまり 敵の意識の動き 情動の動き そして肉体の動きに応じて動くことが大事 これこそ武道の根幹である「変化に即応できる」のポイント
現代的に言えば相手の情報を最大限に受信し それに見合った動きをする では その変化に即応できる手とはなにか? 初めて具体的身体技術の出現により 体現できるかおづかは別として 「武道」への門が見えたことになる しかし この門が見えたところから自分自身でたどり着かなければ「武道」の門は 開いたことにならない
ここでいう具体的身体技術とは 世に言う筋肉肉体運動技術のことではない 自分自身の欲望を達成するためのだけの稽古でもない 素早いだけの素振りや 曲芸のような身のこなしではない なぜなら 相手の情報を全て受信できなければならないという条件があるからだ であれば 筋肉肉体技術というより 身体の外感覚としの感受性 そして その外感覚にしたがって即座に反応する身体作りを基本とした 身体技術だということでなければならない したがって 筋肉肉体運動技術に対して 感性身体運動技術とでも言っておく方が適切だろう
2026/06/25(木)  |
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