■義勇兵
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自衛官 基本給 全世代引き上げへ 自衛隊の階級名変更検討 諸外国の軍隊に準拠 1佐→大佐/1尉→大尉 新政権 自衛隊にテコ入れ
十八ノ巻 【特集 自衛官の『葉隠』 自衛官に捧ぐ――国軍たりうるか、武士たりうるか】
◎対談 自衛官殿 特集の前に読んでいただきたく候 田中光四郎/兵頭二十八
兵頭 → 【現代史を論ずる「国際派」。日本人の中に第一次世界大戦のとき、日本人は無理しても地上軍をヨーロッパに派遣して、英米との協調を深めておくべきだった、との高説を垂れる人が多いですね。なら、あんた方は1979年にソ連のアフガン侵攻が起きたときアフガンへ義勇兵として赴こうと考えたかい? そう発想して故・マスード将軍の反ソ部隊に身を投じたのは田中さんだけでした。 じつは第一次世界大戦のとき、多くの米国人が、政府の参戦を決める前から、どんどん個人で義勇兵になるためフランスに渡っていたんです。当時の日本政府にも義勇兵の出国を止める権限はなかった。しかし日本からはごく少数の金持ちパイロットが駆けつけただけ。要するに、昔も今も、日本人大衆に決定的に欠けている発想が「義勇兵(voluntere)」なんだろうと思ういます。 残念ながらソ連なきアフガンは自ら混迷状態に陥っているようです。】 田中 → 【それはラバニがタジク人、マスードもタジク人、ヘラートのイスマル・ハンもタジク。それでタジクが大きな力を持って安定され一番困るのがパキスタンですね。そのパキスタンがシュウトゥをたててタリバンを作り上げてひっくり返したわけです。それが原因です。 私は1984年に日本でアフガンの2組の難民に会って決意し、生きて帰れるとは思いませんでしたので、身の回りを整理してアフガニスタンへ行きました。1985年の2月に向こうに行って、ずぐ戦い始めました。】 兵頭 → 【そもそもの決心のきっかけは?】 田中 → 【私は武道家の端くれでございますから、最後のギリギリのところで「いざ死ねる時に死ねるか」というのが私のテーマなんですね。 44歳の時に武道の最後のステップにかかっていたような気がするのです。 いま振り返ってみますと、「いざ死ぬ場所で本当に死ねるのか」という自分自身の存在確認がありまして、「ここなら死ぬる」と思ったから行ったわけです。 飛んでくる弾に向かい、ここまで来たのをかわしてみたいとか。武道家というものは欲が深いものでありまして、ギリギリまで見たいというものがあるのです。】
さてさて はじまりはじまり
−−−−−−★−−−−−− 第一次世界大戦中 「義勇兵」として参戦した日ノ本の人々がいた カナダに移住していた約200名の日ノ本人 人種差別に苦しむ中で カナダ軍の義勇兵として参戦し フランスの西部戦線などで勇敢に戦った また たった一人の日本 「日本人初のエースパイロット」滋野清武 フランスに渡り義勇兵としてフランス軍の空を守った
2025/11/23(日)  |
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