■永遠のいま
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雪が ふるふる 雪見ておれば 三頭火 三月の雪 木々の害虫を殺してくれるが 小鳥 餌なくなり 困ったもんだ
<コメ5キロ販売価格値上がり平均3939円> <政府の備蓄米放出で10日から12日まで初の入札 新潟県産コシヒカリなど対象で落札業者選定 店頭には早くて3月下旬か> 巷 騒々しい
【松本 → 去年、衆議院の憲法調査会に出た折り、ある議員から質問がありました。私なりにその質問を整理すれば、天皇制のあり方として、昭和天皇のような古いワイシャツを着て、ゴム長靴をはいて国内で田植えをしている、そういう天皇の姿がいいか? それとも今上天皇のように、外国へ出て行って積極的にロイヤル外交を展開するのがいいか? 私は昭和天皇のあり方が良いと答えました。 天皇は国事、外交に係わらず、日本国民が米作りをしているときには、米の出来具合はどうかと心を配る天皇像。 昭和天皇が言いましたね。今年は長雨が続いたので、米の出来具合はどうだと。あのとき、政府の担当者、宮内庁の役人は答えられない。官僚のやる農政と天皇が国内を回り、米の出来具合を心配することは次元が違う。】
ネーイションススーテイト(国民国家)になって たかだか百年 それを二千年以上の皇室を規定することには無理がある 皇室自体も生き抜くためにやってきた それが皇室の本質 建前として最初に牛肉を食べたのは明治天皇 日本が生き抜くため近代国家をつくり西洋風の国家体制を作らなければ ゆえにライフスタイルも西洋風にしていく 天皇 肉も食べ 洋服を着 皇室の晩餐会正式メニュー フランス料理
天皇 日ノ本民族が この島国で生きて生きやすいよう 異国の文明/文化で必要と思うものは手に入れておかねばならぬ 天皇のスタイル 永遠普遍でない 新年 最初の行事 万民安寧を祈る四方拝は道教五行説 その後は仏教 戦後はキリスト教も
【松本 → 日本の思想を哲学し、明確にしたのが西田幾多郎の東洋哲学で 「歴史には始めも終わりもない」と言うです。ある時代を切ると、そこには織田信長や徳川い家康、伊藤博文の顔が現れ、時代によって顔は変わるが、天皇という存在自体は不変である。生きているときは昭和天皇も平成天皇もない。ただの天皇です。 これは どこから来ているのか? 自然、もっと言えば米です。今年の米の中には去年の米の命がある。 去年の米の命の中には百年前の、千年前の米の命がある。そして今年の命には 百年後の、千年後米の命がある。 だから「いま」と言っても、それは「永遠のいま」という考えです。 これは西田幾多郎が言葉として取り出した日本人の歴史観ですけど、後に宗教体系として仏教の影響を受けて神道になっていくが、自然崇拝という日本人の考え方の根源的なものです。 神道はもともと自然崇拝ですから神社など絶ててない。古代杉に注連縄を張るだけとか、石自体が神になる。 髪を<かみ>と言うのも、川上を<かわかみ>と言うのも、上にあるもの、かしこきものは全て<かみ>で、そこに神道というより、日本人の原初的な信仰心がある。 生きている者が死んだら全て神になるという八百万神{やおろずのかみ}で、 唯一神のキリスト教とも、修行して成仏するという仏教の信仰観とも別のものです。 日本人とは何か、となるとタマネギの皮むきではないが、そこまで生き着く。 それを我々の文化という言葉を「民族の生きるかたち」と考えたい。】
−−−−−−★−−−−−− 仏教伝来 仏教が国家的な支援のもとに発展し 地方豪族の信仰を得て数多くの寺院が建てられた 百年後 持統天皇 これはヤバイ <かみ> 忘れさられてしまう 注連縄だけでは弱い 仏教の仏殿のような <かみ>を奉る社殿が必要 伊勢神宮の始まり
2025/03/04(火)  |
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