■技の無い技
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日本人とヨーロッパ人との 物の考え方と違い 連綿とつづき 真中当たりに 「阿波先生の教え」との見出しがある
ヘリゲルが阿波の教えを受ける経緯は省く 稽古をはじめ ヘリゲルが抜き差しならぬ所に陥ったとき 阿波は云った 【「貴方が弓を正しく引くことができないのは、貴方が肺で呼吸するからです。 息をゆるり下へ押し下げて、腹の皮を程よく張らせなさい。痙撃{けいれん}的に圧迫せずに、息を止めておいて、どうしてもいなければならない分だけ呼吸しなさい。その様に呼吸できたなら、それで力の方へ移されたことなるから、貴方は両腕を緩めて、力を抜いて楽々と弓を引くことができる様になります」と言われました。 それを実証するために、先生は自分の強い弓を引いて、私に腕に触ってみるよう言いました。実際、先生の両腕は何もしていないように緩んでいました。】
ヘリゲル ときが経つにつれ この呼吸法 できるようになる 次に 矢を放つ 新しい課題が増えた 「離れ」 ヘリゲル これ以上できないと aufgeben{アフティブ }(ギブアップ )
阿波 云う 貴方は いまが離すときと「感ずる」か 或いは「考える」るとき 矢を話そうと「思う」 貴方は意志をもって右手を開く つまり貴方はその際 意識的なのです 貴方は無心になること 矢がひとりでに離れるまで待っていることを 覚えなければいけません
ヘリゲル チンプンカンプン 阿波 更に云う 貴方は何もしてはならないのです 考えても 感じても 欲してもいけない 技の無い技とは 完全に無我になり 我を没することです そして 貴方が全く無になったと思える様になれば そのとき貴方は矢を放ことに成功するのです
阿波とヘリゲルの間に当然 通訳はいた 東北帝国大学のドイツ語の教師だろう 通訳さんも大変だったろう 「無心」 当時のドイツ語にあったのだろか
ヘリゲルが云う ヨーロッパ人が知っている 或いは 知っていると思っている 「思想的」な仏教と いうからには 「無心」とのドイツ語 あったのであろう gedankenlos{ゲザンノノース} であろうか 「技の無い技」 通訳さん どう訳したのだろうか
アノ有名なシーンまで まだ届きそうもない
−−−−−−★−−−−−− 拙者 第二外国語 ドイツ語 リルケの詩 原文で讀みたいと 5年間 学んだ
覚えている語は Guten Мorgen(おはよう) Guren Abend(こんばんは) Ich liebe dich(私は貴方を愛しています) これだけ
英語が万能だと 英語がデカイ顔している昨今 第二外国語 不要論
2025/11/01(土)  |
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