■『地獄のX島で米軍と戦いあくまで持久する方法』
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【昔は昔、今は今。それぞれの時に及んで最も優れた人間の英知とはどういうものであるか。それを極めていく透徹した冷静、かつ風潮やタブーにとらわれない独立不覇{ふき}の精神こそが現代の武士道であると氏は観んじているのであろう。
もちろんこれは(兵頭著作)完全な実用学である。これらの問題に意気高く取り組もうとする読者が他にもいないわけではない。しかしながらこれだけ歪み手垢がついたテーマを清澄{せいちょう}に語ろうとすれば、それは膨大な資料調査と提示による論破しかない。
その思いに対する氏の比類なき誠実さが周辺にある武器学をも、前例の見ない高みに結果として押し上げてしまったのであろう。 氏の著作をお勧めするにあたって、兵器関係の著作がたいへん価値高いものであるこを語るのはいささか悲しみに似た感情を添えざるを得ないが、しかしなおこれらが貴重資料であることは間違いない。不幸にして時流に乗りがたいこのような出版物は、刊行されたちまち絶版、図書館でも閲覧困難な物が多い。 幸いにして『武道通信』でその一部がネット上での覧読を可能にしたのはせめてもの喜びである。
氏の主張を最も集大成している近刊は『軍学考』(中央叢書)。さらに通説さを感じるのは『地獄のX島で米軍と戦いあくまで持久する方法』(四谷ラウンド)といういささか奇妙な表題の本であろう。 後者は実際に当時南方の日本軍が持っていた兵器兵装、その量までを精密に論究し「もっとまともな戦い方」がどこまでできた可能性があるかを検証した本である。 歴史に「もし」はないし過去を仮定に託して語るのは単にオモシロイハナシに過ぎないかもしれない。しかし氏がここで論考しているは「例えそれだけの戦力であっても、なぜもう少しましな結果を選択できなかったか」、その「なぜ?」 これは現代の我々が相変わらず、ズルズルと持ち続けている「なぜ?」と問われる愚公の病根に対する強烈な指弾である。
氏の不幸はこれらの極めて中庸、ある種素朴ですらある論説が、世上兵器マニアの仮面によってしか知られてることがなかったり、奇妙な表題によってしか営利を保ち得ない現状であろう。 あえて奇妙ととれる表題、兵器オタクとも見られる著作。武道家は袖すりあった相手の格を知るという。氏の眼は桁外れた知性者の持つ光を宿しているが、同時に理解されざる者の悲しみを見る思いを避け得ない。】
2026/03/11(水)  |
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