■靖国神社の原型 その心
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「日本史は 開国と攘夷でだけで説明できてしまう」 『神武の精神』 の佐藤堅司 曰く 幕末から明治末にかけて 攘夷と開国どちらにも対応できそううな宗教は神道だけ それは倒幕に都合よく また維新政府の天皇制の普及にも都合がよく さらに未曾有の対外国戦争全国を団結させるあtめにも都合がよかったと 軍学者 考える
対米開戦直後 つくられた 『進め一億火の玉だ』 その二番 「靖国神社のおん前に 柏手打ってぬかづけば 父子兄弟らが 今頼むと声がする」 誰にでも説得的であったのではないかと 軍学者 考える
靖国神社の原型 幕末の長州藩内 開国が攘夷で大きく割れようとしていた そこで藩主毛利敬親 宗教行事によって君臣の結び付を再強化しようと考えた (村上重良『慰霊と鎮魂』)
まず 藩史上の忠烈の臣を対象に 毛利氏菩提寺(臨済宗)で仏式供養を行ったのが1851年 つづいて 忠義の戦死者すべてを過去帳に載せ例祭日も定めた その二年後の(ペリー来航の年)には こんどは神式にて忠死者 戦没者の招魂祭が行われた
軍学者 思うに 骨を納め 死者の直接供養をするのは江戸時代では寺でなければならいが その仏式供養をいくら盛大にやっても 藩主の臣下を思う気持は下々にも伝わるかもしれないが 臣下庶民の気持ちが盛り上がってくるかといえば そんなに効果は期待できなかった そこで君臣が一体となって気勢を高め団結心を固められるような祭式を欲する のであれば やはり 死より生に向いた神式でなければいかんと これは自然に考えられたのではないでしょか
−−−−−−★−−−−−− 傘張り浪人 思うに 衆議院選 この高市ブーム 政府と国民が一体となって 気勢を高め団結心を固めようと欲していると 考えられるのではないでしょか
2026/02/06(金)  |
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