■紫電改
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前田 → 大戦末期 今日も空襲 明日も空襲という時に及んで 陸軍 海軍 物資の奪い合い 戦闘機なら開戦前は「零戦」 末期になったら陸軍に「疾風」とまとめてしまえばよかった 経費の無駄と時間が省けた 海軍 陸軍とも別々に制空戦闘機 極地戦闘機とか 何だかんだ十何種類 中島 三菱 大西に発注している
兵頭 → おっしゃるとおり まあ こういうことなんです 日本は封建的で戦争に負け アメリカはリベラル体制で勝った これはまったく事実でない 列強の中で最高度の統制体制を構築して戦争を指導したのが フランクリン・ローズヴェルト政権 彼の地獄の統制力と比べたら ヒトラー スターリン 足元に及ばない 統制が何もない国だから 海軍系工場を陸軍の「疾風」の生産に協力させることすら不可能だった 「疾風」はフィリピン決戦から沖縄特攻までずっと活躍していたが 海軍の「紫電改」は比島には間に合わず 脚が短くて沖縄まで飛べなかった ※脚 → 着陸装置(ランディングギア) 着陸時や地上走行時に機体を支える役割を果たし 車輪、支柱、緩衝装置などで構成されている
前田 → 紫電改は性能が疾風にくらべ劣っていたし よく空中戦中に空中分解した
兵頭 → 紫電改 戦後 源田実さん 本に書いたから有名になった
前田 → 陸軍 「隼」の試作品の段階で海軍のナンバーワン零戦と戦闘させたがかわない じゃ 零戦に負けない戦闘機つくろうと 何考えているんだ 同じ味方同士じゃないか 零戦借りてくればいいだろう
兵頭 → 隼 零戦と同じ航続力があれば良かったが 脚も短いものだからインドシナ半島の基地から攻撃目標のシンガポールまで往復できなかった しかたがないのでエアカバー(上空からの敵機の攻撃を防ぐための航空機の支援活動)のかろうじて及ぶマレー半島北部に部隊をいったん上陸させ そこから延々と自転車でシンガポールまで南下させてこなければならなかった 隼の変わりに零戦を使っていれば最初から半島南部まで上陸でき「銀輪部隊」も不要であった
前田 → 陸軍と海軍の協力体制がうまくいっていれば あんなひどい負け方はしなかったでしょうね
−−−−−−★−−−−−− 紫電改 本がマンガになった 「紫電改のタカ」 ちばてつや 『週刊少年マガジン』(昭和38年から昭和40年 ページめくった記憶 かすかにある
ストーリー ウィキペディアから <太平洋戦争末期 当時日本領だった台湾の日本海軍高雄基地から始まる 高雄基地駐留の帝国海軍第701飛行隊は20数機そこそこの編隊 50機以上の米海軍戦闘部隊との決戦で飛行隊長を含むほとんどが戦死 主人公の滝をはじめ紺野一飛曹 久保一飛曹、米田二飛曹の4人が生き残り 後に源田実が設立させた防空部隊の三四三空(松山三四三航空隊) 通称“剣部隊”に編入し 活躍する 主人公の滝城太郎は新戦法をあみだし やがて撃墜王となってゆくが 終戦を目前にして特攻隊員として出撃してゆく>
紫電改 性能が悪かろうが 紫電改モノガタリ 敗戦後少年の屈辱感を払ってくれた
2025/07/12(土)  |
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