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己に合った格闘技


【論客対談 論客佐竹雅昭
  総合格闘技よ、 どこへいく】
中見出しを追ってみよう

ボブ・サップ人気とは?
――格闘技とプロレスの混交
プロレスと格闘技の垣根
――STA…yanへの助言
格闘家のプライド
――格闘家としてのめざすもの
武道家の活動受け皿に
――佐竹、「総合打撃道」をめざす
人生を格闘技に懸ける
――吉田戦で知ったこと
スポーツケアセンター
――ケガとの戦いの仲での構想
武道を義務教育に
――選挙に出て議員立法で
             以上

現在のプロレス事情 どうなっているか わからぬ
毎週 週プロ ポストに届くが
封を切ったことはない
ベースボール・マガジン社の屋台骨になったことへの
“恩”なのか わからぬ

総合格闘技事情もしかり
「総合格闘技よ、 どこへいく」 わからぬ
が 「人生」 格闘であることはたしかた
己の 己に合った格闘技を見つけたものが
勝者
2026/05/12(火) 晴れ


日本人が還りたいと願う風景


YAHOO!JAPANニュース 
初代タイガーマスク デビューから45周年
その流れで 前田日明 出ていた
しっかりオッサン顔 
(てめいの爺顔は さて置いて)

プロレスと格闘技の狭間のときだった
グ〜ンと比重を 格闘技に置いた
佐山聡と前田日明に比重を置いた

プロレスファンの編集スタッフ ただただ沈黙
ワンマン編集長であった

「武道通信」  カンバン編集長 頼んだら 即
ノーギャラで引き受けくれた
拙者への恩義だったのだろう

そう 倉庫を借りてのリング 
前田に祝いに何が欲しい と聞くと
UDF道場の看板
で 寄付したこともあった
「武道通信」  カンバン編集長 頼んだら 即
ノーギャラで引き受けくれた
拙者への恩義だったのだろう

ワンマンが主軸のドラマ わかりやすく テンポがいい
信長/秀吉モノガタリ 不滅のわけ
日本人が還りたいと願う風景がある

ワンマンがいるから 時代の軸が動く
総合格闘技の幕 開いた

「武道通信」 二十ノ巻
【論客対談 論客佐竹雅昭
  総合格闘技よ、 どこへいく】

 次回で
2026/05/10(日) 晴れ


三島由紀夫の諌死


松陰にとって諌死とは
自分が仕えている上の者の言動を諌{いさ}めたとき
その上の者が そのことを理解しなかった場合は
さらに諌しめて死んでいく覚悟を持つという意味なのだ

江戸の武士の世 諫言できるのは おおむね家老職か それにあたる身分の者
松陰 百も承知だが 身分に関係なく 諫言するべきだと強く言う

松陰のいう 諌死とは
諫言を許されていない者が 主君の感悟{かんご}
気づかせること  深く理解させることを求めて死ぬことである
死と直結する諫言
それゆえ 新たな諌死思想である

松陰 この諌死思想をもって各地の志士が決起すれば
必ずや日本は変革できると考えた

これが松陰の思想上の転換であり
すなわち「越境」であり 武士の本懐というものだった
もっと言うなら
「国」とは この諫死によってしか 見えてこないのではないか
と考えたのである

三島由紀夫の小説  『剣』(1963)
諫死がテーマ
諫死 三島の文学的テーマであると云える
そして 最期
憲法改正を訴え 自衛隊に決起を呼びかけた  
のちの割腹自殺(1970)
戦後日本に対する「諌死」
三島由紀夫 「国」が見えたか
2026/05/08(金) 薄曇り


諌死{かんし}


参議院選出馬 決まった折
週一剣道仲間に
「参院戦でるので しばらく休みます」  ひと言
お仲間 一瞬 言葉 失う

向こう二軒 両隣り
「参議院選出馬出馬します 杉山」
メモ 郵便ポストへ

国政選挙 <隣の人>のハナシになった

さて 松陰に戻す

ペーリーの黒船に乗り付け渡航を企てた松陰 蟄居{ちっきょ}
これに 擁護論戦をはった佐久間象山も蟄居させられる
松陰 これに反省し
『省謇録{せいけんろく}』 『幽囚録』 『獄舎問答』
たてつづけに綴るが 綴っているうちに反省 吹き飛ぶ
逆に 皇国思想を堅くする

たとえば アメリカ渡航を企てたのは
敵を知るためんの「間」(間諜)なのであり
アヘン戦争のごとき愚挙に日本を巻き込まれないためだと

ついで獄舎の囚人相手に講義した『講孟余話』では
孔子や孟子が自分の生国を離れて他国に士官を求めたことを批判して
日本国は中国のように禅譲・放伐・易姓革命をしない国なのだから
中国の猿真似をするのはまちがっていると説く
むしろ日本における人臣というものは たとえ人君が意見を受け入れないときでも
あえて「幽囚」「飢餓」「諌死」を辞さない決意をもっているべきだと

この「諌死」という言葉にこそ
松陰の思想とその後に松陰に憧れた日本人の思想が よく象徴されている
松陰の武士道とは「諌死」だと言ってもよいものがある

−−−−−−★−−−−−−
松陰が どこでも どんなときでも その場にいる者たち
貴人 卑賎を問わず 自分の思想を真摯に伝えることに
勇気と熱情をもっていた

SNS類 流行{ばやり}の昨今
誰でも <その場>にいない者にも 自分の意見を発信できる

聴く力 衰弱していく
2026/05/06(水) 薄曇り


明日 武道通信かわら版 配信日


『地獄に堕ちるわよ』 観てから
『SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜』
『大恋愛〜僕を忘れる君と〜』
を観る

<役者>という生き物
脚本を讀み 役づくりする
<普通の人>
相手を讀み 本音を隠す
2026/05/04(月) 晴れ


松陰の「国」


江戸期の儒学適武士道
山鹿素行/室鳩巣の流れの「朱子学的武士道」と
中江藤樹/熊沢番山にはじまり
横井小楠/佐久間象山/勝海舟/吉田松陰/坂本龍馬/山田方谷/河井継之助
というふうに継承されていった「陽明学的武士道」

しかし 松陰の陽明学は 「越境」によって得たもの
越境とは 自分を越えることであり
その自身とともに「国」を跨ぐことである

山鹿流兵法者になる宿命だった松陰
朱子学的武士道から陽明学的武士道に渡っていくために
あえて日本の国境を越えアメリカへ渡ろうとした
自身の内なる国境を越えようとしていたのだ

十一歳のときにアヘン戦争があって
このことにいち早く憂慮して鋭い思索と大胆な行動がはじまったと思えば
わかりやすいことであるものの
松陰は三十歳で斬首されるのだから
その思索と行動は すべて青年期のものだったわけで
それにしてもあまりに視野が充実していて
かつ自身の内なる「越境」が加速的なのである

このことが見えないでは 松陰はわからない
松陰の「国」というものがわからない

−−−−−−★−−−−−−
赤穂浪士の討ち入り 山鹿素行の影響大と の通説
秩序と知識を重んじる朱子学
忠誠と家名 主君への忠義 親孝行 家名の存続が重視

陽明学 知行合一{ちこうごういつ}
知識と行動は一致すべき 
幕末の志士たち 変革期における能動的な行動力の源泉

大石内蔵助の「国」とは
2026/05/02(土) 晴れ


上下東西 前後左右


松陰 二十一歳で平戸長崎に 最初の旅行
このときすでに 横井小楠{しょうなん}をはじめとする
後の幕末志士となる連中を訪ねている(『西遊日記)

二十三歳で江戸へ遊学し 東北へ進んだときは
金沢正志斎から佐久間象山まで
水戸の時習館の森田哲之助から来原良蔵まで 
目ぼしい人物に 片っ端から会っている ( 『東遊日記』 『東北遊日記』 )

また 実にたくさんの読者をしている
それも四書五経や陽明学ばかりでない
兵学書はもとより
頼山陽も室鳩巣{むろきゅうそう}も 蒲生君兵{がもうくんぺい}も佐藤一斎も 
さらに高野長英 会沢正志斎 葉山佐内 大塩平八郎 三宅観斎も
つまり国家や世界の歴史 人倫(人間が社会生活を営む上で守るべき
秩序 道徳 または人間関係の絆に関するもの
および国防や技術に関するもの ほぼすべて読んでいる

のちに萩に蟄居{ちっきょ}を命じられて獄舎に入った十一ヵ月では
和綴の小冊子が多かっただろうといえ なんと一五〇〇冊 読破する

こうしたことえを知っていくうちに
私(松岡)は松陰を上下東西 前後左右から眺めるようになっていった
※上下東西 前後左右
(三次元空間における全ての方向や広がり または「四方八方」)

−−−−−−★−−−−−−
「週刊ベースボール」に入りたての頃
小生意気だけは100点満点だった若造
試合前の後楽園球場へ出向く
こいつらロクに本など読んでは いまい
そう思い 肩慣らしのキャッチボールを見ていた
その早いこと 驚いた
とてもバッターボックスには立てないと恐怖した

五歳で山鹿流兵学の師範・吉田家の養子に入りし
山鹿流兵学の教育を受けた松陰 
実の武術の稽古 どのくらいやったのだろうか
2026/04/30(木) 曇り


異常な遊学旅行 克明な感想日記


湯浅正憲師から 教わった もう一つ
吉田松陰
そのころ 片言節句{へんげんせきご}に聞いた
松陰の話 妙に 胸に突き刺さる

そこで高校三年のとき 松陰の『留魂録』を読む
さらに翌年 萩を訪ね滞在
初めて黒船から幕末までの“現場”の残香を感じた
そのとき 奈良本辰也の松陰の伝記を入手
そのまま山陰で下関に向かって辿り
さらに島原・天草に渡って 旅のつれづれに読んいて異様に興奮した

もっとも このときに得た松陰像 雑駁なもので
とうていその後の松陰を考える基礎とはなっていない
ただ松陰が異常なほどまでに遊学旅行をして
多くの人物と接していたこと
また そのつど 克明な感想日記を記していることに驚いた

『西遊日記』 『東遊日記』 『東北遊日記』 『回顧録』
そのころから そろそろ日記を書かなくなっていたので
慌てて書き始めたものだ

−−−−−−★−−−−−−
『留魂録(りゅうこんろく)』
吉田松陰が処刑前日に門下生へ宛てた
死生観と志を遺した約五百字の書
「死して不朽の見込あればいつでも死ぬべし
生きて大業の見込あらばいつでも生くべし」
という信念のもと、死を恐れず、志を継承することを説いた
2026/04/28(火) 晴れ


鳴らぬ先の鐘


【武士道の中の日本<十四> 松岡正剛
越境としての武士道(上)
吉田松陰の陽明学武士道は「越境」によって得たものだった
越境とは、自身を越え、その自身とともに「国」を跨ぐことである】

高校  剣道と柔道が正課
剣道は湯浅正憲師 
不出来な末席の弟子(松岡)は 二つのことを教わった
道場に入るには 控えに吊るしてある小さな梵鐘{ぼんしょう}を叩く
これを叩き その鐘の音を聞いて 心を鎮ませてから道場に入りなさいと

子供も大人も これをボーンと叩く
それで目を瞑って夢想の真似事をするのだが 叱られる
十分に音を聞いたつおりでも 「ダメ まだ鳴っている」
そこで今度は 鳴り止むまで聞いて
一礼して入ろうとすると また 「まだ鳴っている」

この繰り返し
そのうち「お前は鐘の音を聞こうとしているからダメなんだ
鳴らぬ先の鐘ということを思いなさい」
要するに 心で聞けということだろうが
高校生には さっぱり掴めなかった

−−−−−−★−−−−−−
禅問答のような「鳴らぬ先の鐘」
形だけの鐘の音ではなく
自分の心で音を聞き
真剣な気持ちで稽古に臨むという心構えが求められるもの
との 解釈はできるが

「鳴らぬ先の鐘」  <鳴らぬ先>とは
打つ前のことか 

YAHOO!JAPANニュース  スマホで めくっていたら
初代タイガーマスク デビューから45周年

蔵前国技館 あの歓声
鳴らぬ先の鐘 の音を聞いた
「月刊」から「週刊」へ
2026/04/26(日) 晴れ


霊魂


射撃のハナシ  
もう飽きたとの御仁も多かろう(笑)
今回は スコープを覗くのではない
 <透視> のハナシ  

小学生五、六年生であったか
ガキ大将の“子分”の近所のお母さん
不思議な人がいる とのことで“子分”の家へ
二、三人の子分を引き連れ出向く

不思議な人 おばさんだった
俺たちを二階へ上げた
不思議なおばさん 俺たちが何を話しているかがわかると云う

不思議なおばさん 俺たちが何を聞けたかの記憶はない
ただ 鮮明な記憶 残っている

おばさん 俺に云った
胸にもほくろがあるでしょう
俺には 頬に大きなほくろがある
裸になんてなってないのに 云い当てた
おばさん 超能力なのであろうか

80歳に手がとどく歳になり
超能力というものある と思えれるようになる
また 超能力とった類ではない
別もの

幼い日の記憶 鮮明に残っている
小学生三、四年生であったろうか
昼寝していた

何かが よぎった
人 死んだら 夢をみてない 寝ているような状態になるのか
いや 違う 何か残る
それは 何だ!

あの子 うなされているね
隣の部屋で 裁縫している 祖父と継母の言葉で 目が覚めた

80歳に手がとどく歳になり
確信している
<魂>のようなモノは 消滅しない と

それが 選ばれた者 だけかどうかは わからぬ
2026/04/24(金) 薄曇り


ライフル銃 射撃姿勢


立射 膝射 伏射の三姿勢  競技では行われる
そのいずれも共通していること
銃の一部を射手の人体で支えている
マネキンと違い ある姿勢の人間がひっくりかえらないのは 
自然に起きる傾きに反射神経で対抗して反対側へ体を傾けるからだ
云うならばゆらゆらと揺れ続けることで姿勢を保っている

したがって狙点にむけて構えた銃が すなわち照準が不動のはずがない
ゆらゆらと揺動するのは当然
さらに人体の呼吸運動 心臓の拍動が加わる
両腕で銃を支えている場合 長くても4〜5秒くらい経過すると
筋肉の麻痺細動が加わる
引き金を引く ごくわずかな指先の動きも またばかにならない
腕 背中 腰から太ももまでの筋肉も連動して かすかながら抗いがたい動きをする

要するにライフルの照準はピタリと決まって
ピシリと引き金を引くなどとは虚構 不可能
映画のように銃を動かすためのは 少なくとも
数10キロの重さのある油圧制動 揺動装置を介した重厚な架台 テレビカメラが載っているようなものが必要
もちろん競技にはスコープは使えない

射手たちにとっての修練の段階は まず動かないことでなく
避けがたい動揺をできるだけ小さく かつパターン化すること
要するに 先が読めることからはじまる
狙点がゆらゆらする中で 一瞬の後に
「正照準にべりこむな」ということを読んで引き金に力を加えるタイミングを計るのが
標準をつけるということ
さらにやっかいなことには
まず「今!」と頭が感じたときから 実際に指が動きはじめるまでの時間
これは修練によって かなり短縮できるが ゼロにはならない
初心者だと30分の一秒ぐらいかかるのは ザラである

さらに雷管が 発火すると発射薬に引火燃焼して弾丸が前進を進めはじめ
銃口を離れるまでの時間が必要
「今!」と頭が感じたときから これだけの時間がかかるということ
2026/04/22(水) 晴れ


明日は武道通信かわら版 配信日


「孤独のグルメ」の松永豊さん
語っていた
最近(近年)のドラマ
わかりやさすに流れている
観る人の想像力を奪う

ナレータ-ー 出演者の一つ一つの動きまで語る
創り手たち 時代を読んでいるのでないか
視聴者 幼児化/老齢化

−−−−−−★−−−−−−
拙者 これまでの人生
幼き日 父母を殺された者 知り合い誰もいない
認知症の者 知り合いの知人(高齢者)に一人もいない
コレ すべて 
ドラマのネタづくりの フェイクニュースではないか
と疑っている(笑)
2026/04/19(日) 晴れ


鉄砲と射撃技術は迷信だらけ


今回の願い ―― これはかなり向こう見ずな試み
しかしながら 少なくとも既に諸氏がもっいいる 漠然とした
鉄砲感を もう一度あらためて考えてみようという
気運を呼びだすことができるかもしれない

アメリカ映画で しばしば 
中〜遠距離の標的に対して精密射撃を行うための光学照準器
スコープライフルを使った狙撃シーンが登場する
スコープの視野には レティクルと呼ばれる十字線が見える
これを滑るようように移動し 目標にピタリと合致すると相手の表情までが
はっきりと読み取れる
ストーリーでは大抵ここで相手が樹の陰に入ったり 狙撃者はチェと舌打ちする
ほんの数ミリ引き金を引くだけなのに…… 手に汗握るシーンである

アメリカは鉄砲天国 過半数の人はライフルがどんなものか経験済みなのに
実は このシーン大嘘
言い換えれば演劇上の約束事の虚構
日本の時代劇で着流しの浪人が右手をちょっと落とし指しの刀の柄に触れ
鍔がパチンと鳴ると しばらくあって15cmほどもあるか傍らの松が
切り口も鮮やかに倒れてくる
あるいは美人の忍者がエイと気合い一声 後ろ飛びで3mもある塀の上に飛び上がってしまう
大抵の日本人はなら虚構だと思いながらも楽しんでしまう
「浪人さんは遣い手で 伝家の名刀なんだから まあいいじゃないですか」
筆者なら「由美かおるちゃんだから 色っぽいからいいじゃない」
ということになる
しかし アメリカ人の日本史研究家 あるいは自称研究家
「日本刀はそれくらい斬れます」と云って売り歩いたり
「昔の忍者はそれくらいの体技ができた」と信じたりする

実は日本人の鉄砲理解は  それに近いものがある
前述のスコープライフルを使った狙撃シーンを真実だと思いた
アメリカ人と 同じ過ちなのだ

−−−−−−★−−−−−−
アメリカ映画 「ボディガード」(1992)
ケビン・コシナー&ポイットニー・ヒューストン
主人公のボディガード 黒沢明 『用心棒』を62回観た」というセリフ
そして あの有名なシーン
刃を上にした日本刀の上にスカーフを落とす 二枚になって落ちる……
2026/04/17(金) 晴れ


本当に鉄砲とは何であったか


現在ある鉄砲感 両極端 まさに股裂き状態
一つ目 「鉄砲はずべてに卓越した兵器である(あった)
したがって鉄砲を使う者 天下無敵の軍
もう一つ 「卑怯足軽の技 本来 卑しむもの」
どちらも いまの世の人の感性に同居している

果たして 前者(一つ目)であったかどうかは 比較的容易に実験検証できる
筆者の感覚では 従来の飛び道具などと比較して
それほどたいしたものでないとう感じが抜けない
大きな欠点を幾つも挙げることは容易である

多少効果が期待できるとすれば
相手が鉄砲初体験に近い 極めて限られた場合であって
武器というものは 技術革新がたちまちのうちに伝播するから
ただけたたましいものになってしまうのは 歴史の常
それでもなおかつ 洋東西を問わず かなり急速な弓矢から鉄砲への転換

いったい本当に鉄砲とは何であったか
この答えは当時の人々を墓から呼び返さない限り
完全に出すのは難しい
読者諸氏とともに出きる限り広範囲を眺めながら
鉄砲のような機械的新兵器の それを操る武術というものが
武士道精神などの高みを醸成と どうかかわっているのだろうかという
いささか分相応な試みを ともに考えてみたいというのが
今回の願いである

−−−−−−★−−−−−−
おお そろそろ 女子サッカー
日米決戦 2回戦がはじまる
つづきは 次回で
2026/04/15(水) 晴れ


射撃術という武士道


筆者 銃を初めて手にしてから 六十年近い
体力はチビてくるのだが
好きというより 鉄砲の世界は自宅みたいに感じている老爺である

前掲各氏の論点によれば
鉄砲という<飛び道具>
弓が武士の表芸であった時代から続いて抵抗もなく武士の用具として受けいれられたものであったこと
その登場が時代に少なからぬ影響をもったこと
同じ武器でも 刀劍が武士の象徴 武道精神を映す鏡として選ばれ尊重される風が
次第に醸成されていった…………
などまことに よく理解できる
さらにまた 鉄砲史も相当のレベル 良質の文献も幾つか

しかし 不満が残るのは
そのほとんどが メカニズムや化学の発展史か
形式などから 伝来経路を探そうとするものの 極端なものは骨董列伝であって
武器道具としての鉄砲というものが
実際に他のものに比較し どの程度機能性欠点を持ち
当時の人たちは それをどう使いこなしていたかが 見えないのである
つまり「すごい武器だったから登場するとたいへんだった」 というものの
「どのくらいたいへんだったか」は さっぱりわからない

したがって 鉄砲 武士に好まれたのであれば
なぜ 「武士の心の鏡」という 象徴的な位置を持たなかったのか
そこまで はっきりしないと 鉄砲とは果たして何であったか
射撃術という武士道の一部たりうるものかだったかかが 見えてこない
2026/04/13(月) 晴れ


武士道を生み出した人達の真の心象


この通説となった 三千挺三段撃ちのハナシ
一番最初の日付と
本邦初の試みではなかったが 相当数の鉄砲が使用されたこと
結果 武田勢の敗退で終わった事実
これを除いては
ほとんどが全部が間違い か 嘘
あるいは極めて怪しいハナシの羅列

このハナシ
ほとんどは この数年以内 それぞれの名のある先生方の発表公刊された
文章の内容を拾い集めたもの

「歴史の検察官」 名高い
藤本正行氏  鈴木眞哉氏
また三千挺三段撃ちには 名和弓雄翁の精密な考証がある
なおそういうでっち上げ いつ 誰によって何のためになされたかのかまで
調査されている

これら書冊の見落としを一点
「鉄蹄が火花を散らす」との描写
当時の馬は軍馬といえども 鉄蹄なんどというものつけていなかった

読者の便のため この問題の代表作を挙げておく
戦国時代というもの
想像や願望のなかのそれでなく
全くリアルな時代状況風景とは どんなものであったかを理解できのであるから
ぜひ一読の機会を そして なおその中から
武術や武士道の源泉が生まれてきたことで
きれいごとではないの所産ではなかったことを理解して
はじめて武士道を生み出した人達の真の心象に迫ることができると思うからである

名和弓雄 『長篠設原合戦の真実』(雄山閣)
藤本正行  『信長の戦国軍事学』(洋泉社)
鈴木眞哉 『鉄砲と日本字』(ちくま文庫)
同     『謎解き日本合戦史』(講談社新書)
2026/04/11(土) 晴れ


三千挺三段撃ち


まずは 「長篠の戦い」の嘘八百
そう 後世の創作 誇張 嘘

時は天正三年(1575)五月二十一日 
皐月晴の長篠平原に時ならぬ地響き黒雲が沸くような動きが起こった 
ぱぱん・ぱぱん(張り扇の音)
*長くなるゆえ 多少 省く

「やあやあ 我こそは武田にその人有りと知られたる××××××である
織田徳川に我と思わん腕覚えあるもののふはなきか いざ勝負に及ばれよ」
対する織田徳川陣の反応は 実に意外なものであった
名乗りに対する応酬の変わりに指揮官の声高の号令が響いた
「鉄砲隊 撃て―っ!」
この瞬間日本史上空前の大音響が長篠平野に響き渡った

一列に並んだ一千挺もの火縄銃を構えた銃兵が号令一下一斉射撃
最前列にいた人馬たち もんどり打って倒れ 一瞬にして屍山血河の酸鼻
「ぐわ! 飛び道具とは何たる卑怯 おのれ織田め それでも武士か!」
一度発射すると再装填に時間がかかることぐらいは武田武士 知っていた
「なんの 足軽卑怯な技の鉄砲ごとき」
今度は竹束などの防弾具もそろえ 第二回の突進
再び「撃て―っ!」
の号令とともに千挺の鉄砲が火を噴く
「しゃっ 卑怯者どもめ それっ いまじゃっ! 押せ 押せ!」
危うく防具の陰で弾筋をかわした人馬がどっと繰り出して柵に殺到
あわてて再装填している鉄砲兵たちは 
あっという間もなく柵ごと押し潰された…………
筈であった しかし現実は意外な展開を見せた
「第一列下がれ! 第二列前へ 撃て―っ!」
なんと一斉射撃を終えた並列が整然と後退すると
その後に装填準備を完了して控えていた第二列が前列に進出し一斉射撃
つづいて第三列が交替し その後に再び第一列が進出

当時の鉄砲の欠点
再装填に時間がかかる
発射すると大量の黒煙と火の粉が噴出
複数列に並んだ前列の射手 後列が発射すると黒煙で手元の標準が見えなく
火の粉は降りかかって火傷をする危険
各列交替方式 後に三千挺三段撃ち と呼ばれた技法
この戦いは信長の天才性の証明そのものであった

さらに刮目{かつもく}すべきは
一斉射撃は命中率のみに依存するものでなく 
騎馬軍団の馬を狂奔させ能力を殺ぐことができる
世界史上 この戦法が見られたのは数十年後 三十年戦争(1618〜1648年)
プロテスタントとカトリックの 最後にして最大の国際的な宗教戦争であった

放った者も知れぬ弾丸で斃すという思いは武士の心の陰となり
その後長く 鉄砲は足軽雑兵の技 卑怯な道具とする心象が焼き付くことになる
ぱぱん・ぱぱん(張り扇の音)
2026/04/08(水) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信日


いま まぐまぐ に配信
今号 加藤健の稿   休載

人には事情というものがある
「一身上の都合」
「諸般の事情」

國にも事情はある
イスラエル&USA ⇔ イラン
國の事情は 世界を巻き込む
2026/04/05(日) 晴れ


坂井三郎 逝く


【坂井三郎二年忌 追憶
坂井分隊長の声がする
坂井三郎中尉に帽振れ帽振れ!
中山志郎(元海軍航空隊戦搭乗員 昭和19年甲種予科練)】

坂井教官の下 一ヵ月半 
離着陸から編成隊飛行までの教程を指導受ける
ある時は横滑りの緊急着陸 また編隊では戦隊宙返りを
昭和19年6月24日
坂井機一機で敵グラマン6F15機と交戦
4機撃墜の後 生還されたこと聞き驚愕

中山氏の戦後の邂逅
昭和40年夏 坂井分隊長が両国の香文社という印刷所を経営していると知る
再会する 身内の弟のように可愛がってもらう
平成9年 負傷された右眼と左眼の白内障の手術
退院された日 空を見上げ
「日本の空はこんなに蒼かったのか」
その言葉と笑顔が未だ脳裏から消えない

平成12年9月22日 
日米海軍航空隊厚木基地司令官の交替式パティーの席で倒れる
午後11時40分 綾瀬市立病院で急性心不全のためなくなられたと
奥様からの悲報

そのお顔は慈母観音の像のごとく  
かるく目と閉じてよく眠っているよう
「分隊長 総員起こし五分前です」
と耳元でささやけば
「オーッ」と返事して起きてこられるようであった

−−−−−−★−−−−−−
十三ノ巻 【現代のサムライ  杉山頴男
 訃報、密葬儀、お別れ会と過ぎゆく日々、我が心の坂井三郎を追想す】
十三ノ巻  品切れ 編集用在庫版もない
電子本もサーバーから見つからない
こんなこと書いたと 断片的記憶

身内と戦友だけの葬儀に
前田日明 招かれたが 仕事で渡米
拙者に 変りに出てくれと

元零戦搭乗員も何十名か参列
棺を囲んで「ラバウル海軍航空隊」 唱和
♪ 銀翼 連ねて 南の前戦〜
ゆるがぬ護りの海鷲達が
肉弾砕く 敵の主力
栄えある我等 ラバウル航空隊

談余:
「ラバウル海軍航空隊」 歌われるだろうと ネットで検索
それが小川寛大さんとの出会いであった
2026/04/03(金) 晴れ


エイプリルフール


4月1日 新年度である
入学式をまじかにした ピカピカの一年生
入社式を迎えた “ピカピカの一年“
彼らの将来に幸あれ 後期高齢者 祈る

あっ そうだ
自転車  罰金制度 今日から
老人も罰せられる

70歳以上 歩道を走っていいそうだ
13歳未満も
お上も情けはあるようだ

拙者 4月1日から 
キックボードに乗ることにする
エイプリルフール
罪のない嘘やいたずらで笑い合う日
2026/04/01(水) 晴れ


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