■辞世の句 遺書
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『57年前の19年10月25日7時25分、マバラカット飛行場から神風特別攻撃隊の関行男指揮官以下、谷暢夫、中野磐雄、永峰肇、大黒茂男、山下憲行搭乗の計6機の零戦が胴体に250キロの爆弾を抱え飛び立った。 10時40分、レイテ湾付近タクロバン沖にクリフト・A・Fスプラーグ隊の空母四隻、巡洋・駆逐艦六隻を発見した。海面上を低空飛行し、レイダーをかいくぐり近くまで迫り、敵に発見されたときにすぐに急角度で上昇、高度3千メートル上空から五機は各自目標を選び、いっせいに母艦に突入した。四隻の空母を撃沈、撃破。 出撃前の特攻隊たちが整列し、別れの水杯を酌み交わしているとき、何人かの整備員が「海ゆかば」を歌いはじめると整備員全員で唱和した。つづいて「予科練の歌」が歌われた。整備員が歌い終わると同時に、目に涙を浮かべた玉井副官は「出発!」と下令した。』(『神風特攻の記録』より)
※山下憲行機 エンジン不調でレガスピに引き返す ゆえに敷島隊五名と流布
−−−−−−★−−−−−− 関行男大尉 享年23 父上様、母上様。 西条の母上には幼時より御苦労ばかりおかけし、不孝の段、お許し下さいませ。 今回帝国勝敗の岐路に立ち、身を以って君恩に報ずる覚悟です。 武人の本懐此れにすぐることはありません。 鎌倉の御両親に於かれましては、本当に心から可愛がっていただき、 その御恩に報いる事も出来ず征く事を、御許し下さいませ。 本日、帝国の為、身を以って母艦に体当たりを行い、君恩に報ずる覚悟です。 皆様御体大切に。
満里子殿 何もしてやる事も出来ず散り行く事はお前に対しては誠にすまぬと思って居る 何も言はずとも 武人の妻の覚悟は十分できている事と思ふ 御両親様に孝養を専一と心掛け生活をしていく様 色々と思出をたどりながら出発前に記す 恵美ちゃん坊主も元気でやれ
教え子へ 「教へ子は 散れ山桜 此の如くに」
谷暢夫 一飛曹 享年20 「身は軽く つとめは重きを思ふとき 今は敵艦に ただ体当り」 「身はたとひ 機関もろとも沈むとも 七たび生れ撃ちてしやまん」
中野磐雄 一飛曹 享年21 お父さん、お母さん。私は天皇陛下の子として、お父さん、お母さんの子として、立派に死んでいきます。喜んでいってまいります。では、お身体を大切にお暮し下さい。さようなら
長峰肇飛行兵長 享年19 「南溟に たとへこの身が果つるとも いくとせ後の春を想へば」
大黒繁男 上飛 享年19 遺書 辞世の句 見つからず 靖国神社にある大黒の遺影 最後の出撃直前にもかかわらず 笑顔を残している 「特攻隊で戦死した兄(大黒)の面影」藤田 弘子 NHK 「零戦〜搭乗員たちが見つめた太平洋戦争〜」 ※大黒繁男 「太平洋戦争」なんて名称知らない 大東亜戦争を戦った 何が慰霊だ
2025/10/19(日)  |
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