■[床几] 十人十色
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[床几] 其ノ九 究極を目指す姿勢 広瀬義龍{ぎりゅう}(中國武術・義龍會代表師範) 【さて“総合格闘技”の潮流に際して、私は当時、咄嗟にあることを思い出した。 子供時代のお絵かきである……ここの絵の具がある。青が美しい、赤も黄も茶も、 同等に美しい。このように美しい色を全て混ぜてゆけば、究極の色が出来上がるに違いない。子供心にそう思ってやってみると、あにはからんや何色とも呼べない、無残に濁った色が出来上がった。「何でもあり」は同時に「何でもなし」だった、という悔しいが絶対の摂理。 正直言って私にとってはの総合格闘技とは、そんなものでしかなかったのである。 私の理想とする“武道という生き方”に余り参考にもならず、畢意{ひっきょう}(要するに)、ブームのさなかにあっても、何の影響を受けなった。だからこそ私はある一色だけを選べたし、その色を美しいと感じ、大切にする者にだけ、それを与えることができるようにもなれた。 しかしながら「術技」という一点においてのみ、総合格闘技という概念が我ら武道人に皇示した理想は是、としたい。突いて蹴って、投げて極めて……そのどれもが、もし本当に最高のレベルで身に付いたなら、その人物は“最強”に違いない。特に五体を駆使する流儀の修行者は、追及すべき境地であろうと私は思う。摂理から見て、そのような十全の人物は未来永劫、この世に現われるはずもないが、唯一、究極を目指す姿勢だけは彼我{ひが}、共有できるものなのであるまいか。】
[床几] 其ノ十 現代の総合武道 小泉貴一郎(中央大学新体道棒術部主将) 【先人たちが遺したものの集大成、総合武道というものを、私は幸運にも青木宏之師の創り上げた新体道・新体棒術との出会いによって学ぶ機を得ることができた。 闘技(武道)の歴史は敵を倒し、自らの命を永らえるための闘技は磨かれ、高められてきた。だがそれに伴い、逃れられない死をいかに迎えるか、転じて死の瞬間までの生をいかにして高めていくかという生き方の面についても、非常に深い洞察がなされてきた。まさにこの「闘技」と「生死」の両輪が武道の本質である。 新体道棒の稽古の中でも二人組で行う、樫の六尺棒を用いての組み打ち型(組棒)などは、何かの手違いで身体を直撃していまえば大怪我は免れない。危険極まりないものである。そこで互いに相手を倒す技を繰り出しながらも、互いに気持を通わせ、共感し、そこから動きの先を取り合って打ち込み、受け取るといった、非常に集中した高度な組棒が求められる。 敵を拒絶するのでなく、むしろ自らの懐に迎え入れ応じるというこの組手の真髄は、技としてのみならず、現代の人間関係にも通じる優れた精神性を持っている。闘技であり、また優れた精神文化である両輪の均等が取れた武道こそが、現代で最も必要なのではないか。 哲学を学ぶ私にとって、武道とは「善く強く生きる」術である。過去の優れた武道の粋を集め、それらを統合する新体道という「道」を辿ることで、この「道」を引いた先人達の技と知恵とを学び、日常の生活へと活かしてきたい。】
2026/07/13(月)  |
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