■アメリカ製「日本国憲法」
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編集部 → ここらで零戦の話はそろそろ終止符を打って本題に入りましょう 本日は8月17日 56年前の2日前 終戦の詔勅があったわけで 日本は無条件降伏を受け入れました。そして56年経ってもまだ先の大戦争、アメリカ占領軍から大東亜戦争と呼ぶなと云われ 太平洋戦争と呼ぶわけで、この大戦の動機、結末の国民的合意がなされていないわけです。 15日を13日に前倒しして小泉総理の靖国参拝で この大戦の是非が靖国神社に集中した感があります。お二人は この靖国神社の問題をどう考えられますか
前田 → あれが宗教だとか云うのはまったくおかしい 簡単に云えばアメリカのアーリントン墓地みたいなものです 誰がどんな立場で参拝してもおかしくないし 本来 国が運営するのが当たり前なことでしょう
少々 長いが“兵頭節”に耳を傾けよう 【アメリカ合衆国憲法には「連邦議会は、法律により、国教の樹立を規定し、もしくは宗教の自由なる礼拝を禁止することを得ない」とありまして、日本国憲法第20条はこの精神を意味不明な日本語で実に下手くそに翻訳したものです。 西洋近代の精神なんて理解していないニセモノの大家先生が和訳をせかせれたものですから文言がヤッツケになった。もともとアメリカ製である「日本国憲法」に、内閣総理大臣であれコジキであれ、個人の公式参拝を禁止するいかなる意味もあるわけないのは当然ですね。 日本国憲法第20条「信教の自由、国の宗教活動の禁止」は、特定集団の宗派や教養解釈を個人に強いるな、という意味です。首相だろうが参院議長だろうが、一人で靖国に参拝するのに何の問題もあるはずはない。日本人で国に関係する人は無数にいるわけですがら、公的肩書を持つ公務員だけがその社会的身分を隠してこっそり参拝しなければならないとすれば、そんな国は少しも自由主義じゃないでしょう。それこそ「反国家」の信者となれと強制するものだ。 ではその初歩的な常識がなぜ日本でのみ通用せぬかと申しますと、今の日本では政界や官界やマスコミや法曹界で大きな影響力を隠然と持っている人たちの多くが、あのアメリカによる占領時代、GHQに「あいつは国家主義者ですよ」 「あいつは戦犯ですよ」等とご注進してライバルや同僚を陥れ、公職から追放してしまって、そのお蔭でノシあがった密告屋とか、その流れを汲んだ末裔たちが多いからなのです。吉田茂からして密告者だったことは今でも秘密でもなんでもありません。 つまり戦後の日本は、旧敵国のおもねって密告者になり下がった、正真生銘の見下げ果てた裏切り者とその子孫こそが一番栄えている国なわけです。「愛国的であること」を<罪科>として密告する売国奴ほど偉くなれて、後から糾弾されることもないという、根こそぎ不正義な国なのです。だから、GHQという密告者がいなくなれば、今度は韓国、中国に密告することで偉くなれると思っている。 「外道」の当然の習い性なのですね。法律研究とか教育の世界すらその例外ではありません。日本の社会のあらゆる分野で、一世代前のお偉いさんは皆そうやって出世してきたんですから。その下の世代だって、出世した父親の真似をするのは無理もないんですよ。 憲法が「読めない」ということは、自分の国の自画像を持てないからで、それはつまり、西洋近代や米国、それとは異質の中国等からなる「世界」も、ぜんぜんわかっていないってことです。】
2025/07/02(水)  |
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