HOME

アイコン
OLD 

「懸命武道」から「衆の武道」 そして……


平安後期 摂関政治の解体と荘園の自立化 武門が誕生
一族郎党の御恩奉公/一所懸命の生き方 拡張 誇張されていった
男の良き生き方 問われはじめる
それとともに 所領や戦場が結びつけられ
土地に生死を懸ける存在のあり方に転移していった

このころから武門の棟梁たち
浄土の教え 禅林の感覚 武具甲冑の美にも近づいていく
これらは総じて 「懸命の武道」

戦国期 武道は「國」「家」ごとに多様化した
そこに國自慢/家自慢があった
それでそこには武田家『甲陽軍艦』を読めばわかるように
荒ぶる武士のための道徳を前提にした戦場武道あるいは集団武道としての
共通性があった
これを松岡氏 「懸命の武道」につづき
「衆の武道」と名付けている

ところが それが信長・秀吉の天下一統で大きく変質させらる
戦場も集団も 天下人の支配システムのシナリオの一部となる
さもなくば徹底的に追撃される
*「シナリオの一部」とは云いえて妙
 朝倉義景 浅井長政 武田信玄 上杉謙信 松永久秀 毛利輝元
 小田原城の後北条氏 九州の島津 奥羽の九戸
 「シナリオの一部」になることを拒否した

戦国の「國」「家」を背景とした一族郎党社会は
あっというまに麻を引き裂くように散り散りにされた
それが信長/秀吉/家康が天下を治めた意味である

そうなると 武道はもはや各地の戦国大名のためのものでなくなっていく
刀をもって生きることを 組織でなく 一人一人が確立するしかなくなった
ト伝/武蔵/宗矩らはそうした時期に登場してきた
「個性の武道」を引っさげてきた武人だった
彼らは腕試しの機会も少なく むしろ「身」と「心」をつなげることに向かう


しかし さらにその後
元和偃武を境に 戦乱と戦場がすっかり姿を消してしまう
仇討ちや闇討ちを別とすれば 
たとえ一人一人が命を賭して武道をまっとうする覚悟になったとしても
その心と技を発揮する場すらなくなっていった
集団/個としての闘いは幕府によって完全にもぎ取られてしまった
これが江戸時代の武士道の出発点となる

そこでやむなく「剣法を伝える」ことが重視され
武道の大半は道場で経験するプログラムやエクササイズになっていった
それを葦津珍彦{あしづうづひこ}は かつて
「教室武士道」と呼んだことがあった

−−−−−−★−−−−−−
葦津珍彦 出てきた
どこかにあったな 探す 出てきた
『武士道 ― 戦闘者の精神』(神社新報社:平成十四年刊)

一点 付箋が貼ってあるページ めくる
「『葉隠』は、主として戦場の気風を感情的に教えようとした点に
異色ある<教室武士道>といえるだろう」
2025/09/15(月) 薄曇り


一本の日本刀


きのう ゲリラ豪雨
モノ凄かった
土砂降りの雨/集中豪雨 なんてもんじゃなかった
ゲリラにも ゲリラの正義がある
不平等な名称だが 
人間社会にモノ申す 作為がある気がする

だが 雨上がりの空気の匂い 清々しい
大気も邪心/邪念 消し飛ばられたやも知れぬ
これ 石器人も 感じたのではないか
時代が変わっても 変わらないものある
時代とともに 変わるものもある
たとえば 武士道

−−−−−−★−−−−−−
【武道の中の日本<十三>
秘すれば花
武道は時代とともに変化した。もののふの道から皇国武士道へ
現代の武道は、一本の日本刀を読み取る力から蘇生させよ
             松岡正剛 】
 
 武道は時代とともに変化
「懸命」から「戦場」
もともと武道の源流
「もののふの道」「ますらおの心」に兆{きざ}したはず
男児の生き方というより 男児のあらわれ方を差していた
丈夫あるいは大丈夫と云った
注:「丈夫」 本来は「ますらお」と讀む
「大丈夫」の意味 「立派な男子」

それは必ずしも兵馬を操ることではなく
魂の漲{みなぎ}る高揚や充実を意味していた

−−−−−−★−−−−−−
松岡氏 刀の数え方「振」 知らないわけはない
なぜ 「一振」でなく「一本」なのか
日本刀に疎い現代人に あえて「一本」使ったのか
2025/09/13(土) 薄曇り


終章


隆慶一郎
『鬼麿斬人剣』で 何を描きたかったのか

ここは小川氏の言葉に 耳を傾けよう
【この作者、学徒兵の一人であった池田一郎は岩波文庫『葉隠』で、死とは何かを深く問いつめる。
「一番勝負氷柱割り」で、高崎藩勘定奉行野末頼母{たのも}との対話に三十数年後の『葉隠』の思想が語られる。
「刀は人を斬るものじゃない。武士ということを示す飾りにすぎない」という
頼母の言葉に、鬼麿は心の中で「刀を抜くことは、確かに一生に一度あるかないかのことだ。だがその一生一度のために、常に身構えているのが武士ではないか。一生一度の闘いに不覚をとれば、たとえ生命は助かったとしても、その男の武士は死ぬ」と呟く。
死とは主体として死ぬばかりでない。「士道不覚梧」もまた死である。この言葉は、三島由紀夫の思想にも通じる。このエロスの陶酔を昇華させることを描いたのは小説『憂国』であったが、隆慶一郎は、この『鬼麿斬人剣』でどう描いたか。順を追って読んでいこう。

清磨は逃亡の旅で併せて十二振の刀を打っている。このうちで金沢と三国(福井)、そして最後の丹波亀山で鍛えた脇差し、それに三国の芸者置屋豊田屋の女将お吟に与えた短刀と周山街道深見峠を下った山国村の猟人{またぎ}の娘に与えた薙刀造りの山刀の一振は、清磨らしい本造りであった。残る七振はずべて鬼麿の手で折られた。
五振の本造りの中で心を許した三国の狭客五郎蔵に贈った一尺八寸五分のほかは、みな清磨のシャーマンのカリスマ性に魂を魅了された女性たちのために鍛えた三振であった。
刺客に追われ死と背中合わせの逃避行の旅の束の間の愛だが、その愛に愛された女性たちに生涯に渡って刻印される。ここには他の時代小説家に見ない隆慶一郎の浪漫的な恋愛観が語られていた。

終章「八番勝負眉間割り」の中の有栖川宮の落胤、かやの里のお仙と、ここで打った焼身{やけみ}の脇差を見ることで、鬼麿は師匠が萩に向かったかの秘密を知る。脇差は出雲鋼であった。出雲路をたどり出雲鋼を求めて長州萩にたどりついたのであった。
「かやの里」。そこには有栖川宮の庶腹の息女を護り、現世の風塵の届かぬ民族学の聖域である。ここを終章に置いた構成はやはり非凡ではなかった。
 古代の倭国から面々と続いている民族感情を巧緻な形で演出して見せた。
この異色作家はかつてのフランス文学者池田一郎であることは知る人ぞ知る。】

−−−−−−★−−−−−−
映画『The Bodyguard(ボディガード)』
サムライ好き主人公(ケビン・コスナー)
日本刀の刃を上にスカーフを落とす
二枚になって落ちる
ありえない
ハリウッド版 妖刀伝説
2025/09/11(木) 雨


四方詰


なぜ 甲伏{こうぶ}せ造り 折らねばならなかったか?
古刀から慶長新刀期までは「本三抜造り」という工法
最も硬度のある刃金 刀の地になる皮金に
軟質のある心金の三種類の鋼を組み合わせ鍛着(鍛接)する
注:鍛着 → 複数の金属を加熱し打撃し接合する
これが「本三抜造り」 

さらに心金と同じ軟鉄を棟{むね}に組み合わせる「四方詰」
これは棟割れという棟の剥離を起こさないための製法
清麿の名声 この古法の「四方詰」で鍛えられた刀
注:刀身の反対側の部分を<棟> その背部を<峰> わかるかな?

しかし 井上真改 長曽祢虎徹{ながそねこてつ}の時代が終わった
江戸中期以後 より簡易な「捲{まくり}造り」「甲伏せ造り」が主流
捲{まくり}造り → 一枚の皮金と心金を鍛着させて心金を折り曲げ
皮金で包むように捲る この場合 皮金がそのまま刃の部分となる
「甲伏せ造り」 先に注で説明した
いずれも「本三抜造り」「四方詰」より安易な工法

清麿 己の<悪作>をこの世に遺すまいと 
鬼麿に折れとの遺言を遺したのだ
小川氏 「隆慶一郎の異色伝奇小説」と云うように
ハナシは荒唐無稽
身長2メートル弱 体重約120` 巨躯の野人
鬼麿 師の遺言に従い 諸国に散らばる駄刀を探し出し
それを切り捨てるために旅に出る
旅の道中で「斬人剣」と呼ばれる必殺の剣技を振るう

隆慶一郎 ここで何を描きたかったのか

−−−−−−★−−−−−−
隆慶一郎
処女作『吉原御免状』(1986) 直木賞候補
『一夢庵風流記』(1989) 柴田錬三郎賞
この間に書いたのが 『死ぬことと見つけたり』(1987)
主人公 山本常朝を彷彿させる
江戸時代初期 佐賀鍋島藩の浪人・斎藤杢之助
が 隆慶一郎(池田一郎) 肝硬変のため死去 で未完
享年66歳
2025/09/09(火) 薄曇り


漂泊民


海音寺潮五郎『日本の名匠』 <清麿の伝記>
佐藤寒山『日本名刀一〇〇選』 <窪田清音の清麿>
を讀むと 
一所に定住できぬ奔放な生涯 女性を魅了する個性
鍛冶の中で生きているシャーマンの性格が感じられる
隆慶一郎の着想も この辺りにあったのだろう
注:窪田清音{すがね} 江戸時代後期の旗本・兵学者・武術家

清麿の死 
史実 嘉永七年 明治維新14年前 十一月十四日
『鬼麿斬人剣{ざんじんけん}』 冒頭
その十一月十四日
末期の言葉
江戸出奔から長州萩へたどり着くまでに打った
甲伏せ造りの作刀 全部 打ち折ってくれ
愛弟子 鬼麿に云い残して死ぬ

清麿の弟子 史実 七人 鬼麿の名は無い モデルとされる刀工も無い
隆慶一郎 虚構の人物
十四歳で清麿に拾われた漂泊民 山人の子であった
注:甲伏せ造りとは
心鉄となる極軟鉄に安来鋼{やすきはなばね)を巻く日本刀の構造製法。
安来鋼とは
国内最高の砂鉄を採取できる旧雲伯国境地域(現・島根県/鳥取県県境)
で造られた鋼の総称

小川氏 ここで 漂泊民(ひょうはくみん)を説明する
土地を所有し 定住農耕で生活する「常民」
土地を所有せず 技術/芸能に拠{よ}って生活を立てていた郡民
誰からも支配されず また支配せず
古代以来 天皇家直属の民を誇りを持っていた

注:山間部で竹細工や川漁を生業としていた「サンカ」
良質な木材を求めて山を移動しながら椀や盆を作る「木地屋{きじや}」

王朝の碩学 大江匡房の談話 『江談抄{ごうだんしょう}』
淀川江口の遊女たちも この漂泊民

歴史学者網野善彦の研究で 
次第にその姿を歴史の中で鮮明にしてきた
隆慶一郎 その成果を伝奇の中に存分に採り入れ小説化した

−−−−−−★−−−−−−
網野善彦
昭和53年 『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』
学術書として異例の大ヒット
『異形の王権』『日本中世の非農業民と天皇』etc
拙者も数冊 讀んだ

渡辺京二/西尾幹二/福田和也ら 批判
「無縁」を「自由」と解釈するのは 
「戦後左翼の切ない夢想」
小谷野敦 『日本売春史』において 網野の「遊女」像を批判
史実において そうかも知れぬが
概念において
仏教における「無縁」 無条件の平等/慈悲の想いもあるのでは
2025/09/07(日) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信日


黒澤明 語り尽くされている
原節子 神話に覆われた銀幕のスター

かれこれ十年前になるか
『原節子の真実』
引退し引き籠った鎌倉・狛江の自宅を何度も訪ねる
そのたびに同居する甥夫婦が丁寧に応対してくれたが会えず
その三ヵ月後 節子は逝く
戦前戦後の資料を丁寧に調べ上げ
撮影現場の節子に関する貴重な証言も得て
著者が三年半かけてた労作

著書の中
小津安二郎の「紀子」 好きでなかった
好きな主演映画 挙げると
黒澤明 『わが青春に悔なし』
敗戦後 進駐軍に媚びる女優たちへの軽蔑
腹が減り 媚びる女優たちが捨てた ごみ箱を漁る
神話でない 
國を愛し 敗戦後の祖国を憂いた
大正九年生まれの女性がいた
2025/09/05(金) 雨


ヒッタイ族

U−NEXTで 古い古い映画 観る
拙者の生まれる二ヵ月前 公開
劇中 
♪青葉茂れる桜井の 〜  
「桜井の訣別」
学生たちの歌声 または BGMで流れる

古い古い 記憶 蘇る
二人の叔母と 倉庫で 絵本 見つける
二人の叔母 唄い出す 
♪青葉茂れる桜井の 〜 
美しいメロディーだった

B29で家は焼かれ 防空寓にいたろう二人の叔母
叔母らにとって戦前 美しかったかもしれない

監督/黒澤明 主演女優/原節子
非民主主義の世 批判的に描いた映画であったが
戦前 美しかったところもあった
と 映画に込めたのではないだろうか

−−−−−−★−−−−−−
さて 鉄を造る者 シャーマン
古代オリエントの遊牧民ヒッタイ族
紀元前1500年ごろ 小アジアに侵入
彼らはアジアを東へ東へ旅して
やがて地上から姿を消すのだが
彼らがもたらした鉄の製法だけは後世に伝わった

ヒッタイ族が滅亡した理由 諸説ある
それは置いといて その製造法だ 
ここから編集部の注
鉄鉱石を木炭で熱し 炭素を十分に含んだ鋼を製造する
金属表面に炭素を固溶させて硬度を上げる熱処理法
「滲炭法」を知っていた
紀元前 すでに 木炭が作られていたのだ

ヒッタイ族 製鉄技術を国家機密として厳重に管理し
他の民族に伝わることを防いだ が 滅亡
ヒッタイ族 製法技術をもって海を渡った 
製法技術 東へ東へ 日ノ本列島まで

日ノ本のたらら製鉄は砂鉄
樹木が豊富な日ノ本 鉄の生産に恵まれたいた
たたら製鉄
高品質ゆえに 日本刀が生まれた

海を渡り きたシャーマンの末裔
隆慶一郎が清麿に着目し 
清麿を通して超人的な漂泊民の鬼麿を
小説に登場させたことも故なきことではない
2025/09/03(水) 晴れ


鉄を造る者 シャーマン


隆慶一郎
むかしむかし よく讀んだ
『死ぬことと見つけたり』『吉原御免状』『鬼麿斬人剣』
『一夢庵風流記』『影武者徳川家康』etc

『死ぬことと見つけたり』 書いた経緯 気に入った
東大文学部 学徒出陣 支那大陸転戦
軍部推薦図書 『葉隠』三冊  中頁を破き
ランボー『地獄の季節』(小林秀雄訳)の頁 隠し持つ
活字に飢えたので つい 破らなかった
『葉隠』 の部分 読み出す
「山本常朝 ただ者ではない」と魅了された

「聞書」のどのあたりを読んだか 
もっと詳しい経緯 知りたいものよ

十六ノ巻
【刀と日本人・続
隆慶一郎の異色伝奇小説
名工・清麿の末期の願いに賭けて、山人鬼魔が往く
                  小川和佑 】
源 清麿  江戸時代後期の刀工
水心子{すいしんし}正秀 大慶直胤{たいけいなおたけ}
と並び「江戸三作」と称される
これは編集部:注

さて 小川氏の語りに 耳をかたむけよう
鉄を造る者 鍛冶屋 シャーマン 「呪術師」であった
鉱石を液体にし 金属をつくるという技
原始社会では 想像を超えた驚異の技であった
この冶金の技 神から特別な待遇を得た
人間にだけ与えられた人だと信じられた
鍛冶自身も 神から選ばれた者というプライド
大量の火を扱う鍛冶たち 常に危険と背中合わせ
鍛冶屋 神の加護を得ていると自覚

日本 アメノヒトツノ神(金屋子神)を祭る鞴{ふいご}祭りは
刀鍛冶ばかりでなく 野鍛冶 鋳物師{いもじ}まで含め
この神を尊敬し 心身を清め 斎{いつ}き祭る

これも編集部:注
アメノマヒトツは「目一箇(アメノマヒトツ」
いわゆる「一つ目小僧」
中国地方を中心にたたら製鉄や鍛冶 鋳物を行う職人たちに
信仰されている鉄と火の神
金屋子神(かなやごがみ) と同一視 また別神との説
アメノヒトツはアマテラスを岩屋の外へとおびき出す有名な天岩戸
祭りに使用する刀剣類や斧 および鉄製の大きな鈴などを作った
また ニニギが地上を治める為に地上に降り立った天孫降臨
ニニギに付き従う神の一柱として地上に降り立って鍛冶の祖神となる

鍛冶は人間の能力を超えた技術を授かったため
さまざまな禁忌{きんき} タブーと儀礼が伝えられた
たとえば 女性の立ち入りを禁じる「女人禁制」
金屋子神が女性に嫉妬するから 金屋子神 女神か
いや 古代社会通念
月経を「血穢{ちぎたれ}」として
不浄なものとみなすことで「不浄視{ふじょうし}」だろう

また鍛冶たちは土地に定着し農業を行わない
農耕民に農具や武器を与えることの出来る技術集団であることに
誇りを持っていた
鍛冶は 鉱石を求め 諸方を巡遊した 本来 漂泊民である

−−−−−−★−−−−−−
旧東海道沿い 生家の東側 隣のとなりに
鍛冶屋があった
いつも 体格のいいニイサン オジサン 火の前で
トンカン トンカン 鉄を打っていた
幼き吾 いつまでもじっと見つめていた
2025/09/01(月) 晴れ


オンリー・ワン


閑話休題

木村 → 戦前の民族派 スケールの大きい 気骨のある人たちがいた
欧米列強の植民地主義に正面から闘いを挑んで
「大アジア主義」という思想を担った人たち
玄洋社の遠山満 黒龍会の内田良平
そして大川周明 北一輝 滝川亀太郎ら アジア主義をさらに発展
大川周明 イスラム教の「コーラン」 初めて日本語訳
『回教概論』を書いたり 視野の広いアジア主義者 
大川 それぞれの民族が「本然を尽くす」ことを訴えていた
私も そのとおりだと思う
偏狭なナショナリズムでなく 世界の各民族が相互に尊重していくのが
私の基本理念

杉山 → 松本さんが机の上に置かれた『右翼は終わってねぇぞ!』
付箋がたくさん貼られている
ご本人に直接問いただしたいことがおありでないかと
お二人の対談終了時間も迫りましたし ご質問があれば

松本 → いやいや 一生懸命勉強させてもらっています

木村 → 松本先生にそれだけの付箋を貼っていただいたのは
右翼ではひょっとすると鈴木邦男と私だけはないでしょうか(笑)
新右翼も もっと勉強し 末松太平(「二・二六」を支援)さんの域を超えるようにしたい
我々は民族派活動家として つねに「行動」を起こさねばならない使命がある
イラク ユーゴ 北朝鮮へ飛んで行って意見交換をしたり 連帯を組んだり
自分の体を動かし いわば「実践」をすることから 地に足がついた考えを鍛えていきたい
今回「対談」なんておこがましくて 先生の胸を借り 勉強させていただいている次第

松本 → それだけ経験があり 私とは違った世界や民族を見てこれたのですから教えられることがある
ただ若干 私が歳上だというだけです
人 それぞれ資質が違うし 役割が違う
変革期に表れる三つのタイプ
一つは予言的思想家 いまの世 こうなっている 
だからこうしなければならない 
佐久間象山 吉田松陰
二つ目 言的思想家の考えを 「これは正しい」という人間
では自分は何をやるか 見て行う志士タイプ
奇兵隊をつくった高杉晋作 海援隊をつくった坂本龍馬
三つ目 政治的人間
もうこれからは武士の時代ではないといって
廃藩置県 徴兵制度 近代国家制度を作った
西郷隆盛 大久保利通 木戸孝充
変革期 自分が成すべきことは何か? を確かめるために
違った考えの者と議論しなければならない
議論していくと 自分の資質 役割 アイディンティティが見えてくる
これは国との関係もそう
ナショナル・アイディンティティの再構築を
日本だけに閉じ込めっていてはダメ
つまり日本のオンリー・ワンを考える必要性
 
これにて 松本⇔木村対談は閉じ

−−−−−−★−−−−−−
オンリー・ワン → たったひとつしかない 他にない唯一無二

「日本人ファースト」→ 日本人優先
「日本のオンリー・ワン 」までは届いてないようだ
2025/08/29(金) 晴れ


七十八歳からの手紙


余談閑話

「手紙」という名の喫茶店あり
店内 便箋/封筒/切手 売っている
筆記用具 鉛筆/ボールペン/万年筆/筆ペン
置いてあり 使用可

窓際の席に座り
道往く人を眺めながら 便箋を開く
万年筆のキャップ 外す

誰に宛てて 書こうか
♪さみしさの つれづれに 手紙をしたためています あなたに
井上揚水の歌が浮かんだ

瞼の裏に焼き付けていもいない 生母にか
敗戦の悔しさを伝えてくれた 祖母にか
そうだ 
二十歳の自分に宛てて 書こう
七十八歳からの手紙

そこで
夢 覚めた
2025/08/27(水) 晴れ


非国民


杉山 → 批判が本質を高めるというのはそのとおり
戦前のある時期から戦後にかけ
批判精神が弱くなったことが 日本を歪にした
開戦前は「非国民」「アカ」
戦後は「右翼」「反動」

松本 →  ロマン派久保田与重郎 
大東亜戦争のときよりも日露戦争のときの方が
国は健全で強かったといっていた
大東亜戦争のとき 「非国民」といって差別し
国策の批判しただけで「売国奴」
ところが 日露戦争のとき 新聞が非戦論をいったり
あるいは幸徳秋水とか内村鑑三が
この戦争はブルジュア帝国主義戦争だ 不義の戦いであるといっている
北一輝によれば
「民族の生存競争 ロシアもそうだから この戦争は間違っている
いろんな考えがあっても 非戦論を言う人たちを
「非国民」とはいわなかった
久保田 そういう許容力がある民族の方が力を持っている

木村 →  まさしく現政権にも言える
今の小泉さんブーム いま松本先生がおっしゃった
批判精神も受け入れていく度量の広さがないと危うい
手前味噌で恐縮ですが 松本先生が 私の本を「週刊朝日」で
「ここには新民族派の誠心がある」
ブームとしての右翼 保守派とか
いま幅を利かせています そこには本当の誠心がない
批判する者のことは認めがらない ちょっとでも意見すると「敵」
「新しい歴史教科書をつくる会」 その典型

−−−−−−★−−−−−−
「ちょっと意見する」と 
小林よしのり氏から反論
七ノ巻 
杉山 前田日明に代わって代弁
「薫習が育む独自性がある ― 「つくる会」がめざすこと」への返答」
反論ではない 返答

いま 幅を利かせている 「日本人ファースト」 
薫習が育む独自性があるか?
2025/08/25(月) 晴れ


思考言語


杉山 → コスモポリタンが出たところで
英語第二公用化 どうお考えですか

松本 →  世界に行って商売がやりやすいように
ビジネス第一主義の考え
これから世界に発信していくためには英語でななきゃだめ言われ
そうかそうかと思っている
21世紀日本の構想懇談会の人々の精神構造
まさにアメリカの属国になっている証拠

《いまの世では
医師 医学に関する情報収集 知識のアップデート および海外の医療専門家とのコミュニケーションにおいて英語が不可欠 論文も英語
医師の思考言語 英語
楽天 2010年 社内英語公用語化を宣言
2012年 正式に英語を公用語
会議や資料は基本的に英語》

木村 →  精神的に敗北しちゃっている
その点 カナダのケベック州 人口8割 フランス系
いまでも強固にフランス語を守っている
中部のオリタリオ洲 英語の道路標識 
ベック州に入ったらいきなりフランス語
非英語圏の外国人 英語をペラペラ話す人も
自分の宗教 文化を守っている
英語は操れるけれど 日本の文化 歴史に無知だと軽蔑される

《小学校英語教育 2020年度か3年生から「外国語活動」
5・6年生 教科として本格的に英語
が導教員の指導力不足など様々な課題も浮き彫りに
中学生の7割以上が小学校で「英単語・英語の文を読むこと」
8割が「英語の単語・文を書くこと」をしておきたかった
彼らが四十、五十になったとき 新年祈願 初詣 行くだろうか
行くだろう >

−−−−−−★−−−−−−
思考言語 思考が先 言語は後
「日本人は日本語で考える」
特定の事実を述べる言葉ではなく
日本人であれば母語である日本語で思考する
という一般的な認識を示す表現

これは思考と言語が深く結びついていること
また日本語の持つ
情報が伝えられる背景/状況/文脈/前後関係で
言葉の裏にある意図
これまでの経緯
状況を踏まえて相手の行動を理解する
「高コンテキスト文化」の特性から日本人は言葉にせずとも
相手が状況を推察するような思考プロセスを持つことを示唆
阿吽の呼吸
外国語 似た言葉はあるが 直接相当する慣用句は無い

−−−−−−★−−−−−−
中学一年 初めて英語の授業
犬の泣き声 は「バウワウ」
犬は「ワンワン」に決まってる 
英語 ヤ〜メタ と 

2025/08/23(土) 晴れ


ディベート


杉山 → 明治15年『軍人勅諭』 明確に軍人は政治に関わるな
しかし 伊藤博文 山県有朋らのシリビアンコントロール 無くなる
統帥権 拡大解釈で軍人が握る

松本 →  それを最初にやったのは石原莞爾{かんじ}
ロンドン軍縮海軍条約 (海軍大将)加藤寛治
政府が了承した艦隊編成5・5・3に異をとなえる
「政府が口出す問題ではない 統帥権の千犯にあたる」
石原 これを逆手につかった  満州事変を起こす

木村 → そういうことを教科書でも
是々非々{ぜぜひひ}で書かなければいけない
我々民族派も是々非々で歴史を検証していかなければダメだ
「全部聖戦だ」「全部侵略戦争だ」 水掛け論
最後は感情論

松本 →  部分的のは聖戦であったという人がいてもいい
日本は 表現の自由の国 
本来的には教科書検定制度が廃止され たくさんの教科書が出て
「これがいい」と教師が自分の責任で教科書を選び 
教育していけば 自ずと落ち着き所が見えてくる
アメリカは検定制度なんかない 
検定制度の持っている問題 いま出てきている

木村 →  そうなると大学の入試方法も大きく変ってくる
マークシート記入 カッコの中に出来事・物事の名前を入れるのでなく
大事なのは結論にたどりつくプロセス
大学入試で「論述式」を採用
大東亜戦争を「聖戦」だと思うならその立場から
「侵略戦争」だと思うならその立場から
是々非々ならその理由を書かせる
答案の論理の一貫性や説得力で採点の基準を置く

松本 →  そういう自主的な判断をもった諸君が
肯定側 否定側に分れディベートするならいい
しかし いまのディベート 全部 嘘
まったく違う二つの立場があります
といって自分が信じていない考えを闘わせるなんて
これはアメリカの教育がみんなそうなっていますから
これはアメリカの弁護士にやり方
とにかく口で勝てばよい 
法律で勝てばよい あるいは法律に触ってなければ
何をやってもよい というだけの発想で裁判をやるわけです
自分の信じていないことを云って勝つ
アメリカの法律の欠陥
でも逆にいうと それだけ自分の考えを述べるという制度になっているわけ
アメリカに場合

木村 → たしかにいまのディベート じゃべるテクニックを身に付けるためのものになっている
でも「しゃべる」という行動も実は結構重要で脳を刺激する
自分がしゃべっている中で 論理の限界とか矛盾とか見つかってくる
そういう試行錯誤して 取捨選択が行われば 
自然と自分にぴったりくる考え方 
すっきりした考え方が身につく

−−−−−−★−−−−−−
アメリカからの“輸入”のディベートブーム  近年 沈静化した
だが 特定の分野では 議論スキルや思考力を高める使われている
本家アメリカ 
共和党⇔民主党論争 いまだ使われている
2025/08/21(木) 晴れ


明日は武道通信かわら版 配信日


<15日>が過ぎ 二、三日経つと
<太平洋戦争>特番 静かになる
そのむかし むかし
猪瀬直木『昭和16年夏の敗戦 』 讀む

そのむかし
立川警察公安課 諸氏と一献
席上 拙者 嘯{うそぶ}いた
「なぜ 敗けたのかは もうたくさんだ
今度 やるとき勝てばいい」
2025/08/19(火) 晴れ


統帥権


“国民的作家”司馬遼太郎
大日本帝国憲法下における軍部の天皇への直属
内閣からの独立を指す
「統帥権」
軍部の暴走 大東亜戦争への道 と分析

松本 → 明治憲法 全部間違っていたわけではない
統帥権があったが 伊藤博文 山県有朋 
シリビアンコントロール的に使っていた
ところが元老の彼らがいなくなった後
軍人 天皇の名を使って統帥権という「魔法の杖」を手に
政界に文句を云わせない構造になっていく
大正四年 国会で 斉藤隆夫 
「天皇に大権があるのだから国会が予算問題で何を云おうと
天皇の裁可権(天皇が議会の議決した法律案や予算案を承認する行為)
で ひっくり返すこともできる これは問題だ」
あの時点で政治家が憲法改正しておけばよかった

木村 → ロンドン軍縮条約(1930)以降 
政府と軍部の対立が進んでいく中 政府が天皇の統帥権を侵害したと
統帥権千犯{かんぱん}が出てきた
大日本帝国憲法「天皇は神聖にして犯すべからず」
天皇の大権をいじくることは難しいことだった

松本 → そう 憲法を<不磨{ふま}の大典>にしたこと
これは戦後も同じ
統帥権というものを手にすれば 逆に国家を動かせる
そう考えた天才がいた これが北一輝

木村 →  統帥権 できたきっかけ 西南の役
私兵で軍隊を作られたらまずいから
天皇陛下の下で軍隊を集め 最高指揮官を置いて ゲリラを封鎖する
統帥権問題 憲法11条と12条をどう解釈するかに起因がある
11条によれば陸海軍の統帥は国務大臣職務外であったけれど
ここで云う「統帥」は用兵作戦場の軍隊の指揮/総帥と解釈されていた
一方 12条 軍の編成/常備兵額の決定を大権事項としながらも国務事項であると規定
このいわゆる「編成大権」 11条と関連して
軍は拡大解釈で12条まで統帥権を主張したのある
そのころ政党勢力が伸びてきたから 
軍部としては政党から受ける攻撃に反撃するため
この統帥権を武器とした
ところが北一輝がこれをさらに逆手にとって 
国家改造をやろうとした

松本 → 天皇が総帥権を持ち その天皇の命令によって戦争を行い
国民が皆 その戦争に参加していくという形をとらない限り
西洋の帝国主義列強に対抗する国民軍はつくれなかった
プロシア(ドイツ)に学んで憲法を作った
プロシアの憲法学者シュタイン
日本憲法の一番良いところ それは天皇に統帥権があること
2025/08/17(日) 晴れ


ナンモ変ってない


編集部(杉山) 「靖国」 近代化への精神的装置
松本氏 木村氏 賛同

木村 → 明治になり国家神道にどんどん統合されていく中
全国の神社が1万2千社ぐらい壊されていった
地域ごとの 寺や城を守護する鎮守の神
生まれた土地を守護する産土神{うぶすなのかみ}/氏神様
壊され 国家神道に収斂{しゅうれん}されていった

松本 → 一神教のキリスト教にならって国家神道になっていった

編集部(杉山) → そして戦後 論壇を支配した左翼イデオロギーの謳歌が
靖国をさらに歪なものにしてしまった

石破茂首相  8月15日 靖国神社参拝を見送る方針
自民党総裁として玉串料を私費で奉納
<論客対談 其二>の当時と
靖国問題 ナンモ変ってない

−−−−−−★−−−−−−
日ノ本津々浦々(全国)宗教法人としての神社 八万六〇八社
コレ 当時の<国家神道神社>
宗教法人としての神社以外の神社 「単立神社」と云う
著名な単立神社→日光東照宮
徳川家康を祀る神社 明治以前は神仏習合の思想に基づいて仏教的な要素も取り入れられていたが 国家神道に媚びて 
明治維新後の神道の要素 増す
富岡八幡宮もしかり

わがまち 菅原道真を祀る谷保天満宮
明治十八年 府社に昇格
国家神道における神社の格式の一つ 
国家神道に取り込まれる
だが 国家神道に関係なく 地元民に親しまれてきた
下町の氏神様 産土神もしかり

その むかし むかし
「あなたは生まれ変わったら 何になりたい」
「特攻隊員」と声 出かかる
特攻隊員にとって 
ふるさとの山 川 海
<靖国>であったのだろうと察した
2025/08/15(金) 晴れ


近代化のための装置


木村 →  もう一つ 28年国会で援護法改正
それまで戦犯 軍人恩給 止められれていたが
戦犯の遺族にも支給される
ゆえに「東京裁判の判決どうであれ「戦犯」であれ合祀すべき
さっきから何度も出ている話だが 
靖国神社の原理原則 最初からきちんと押さえられていない

編集部(杉山) →  靖国神社 こうような諸問題
日本の急速な近代化から生じた
靖国神社は近代化スタートのための装置だった
幕末/明治維新当時 いまの我々には想像できない
欧米列強への恐怖感 
それが明治維新の原動力
格闘技的に見れば 体の大きさが自分の二、三倍
もう死ぬ気でぶつかっていかなかれば勝てない
そういう覚悟ができたのは元武士だけ
秀吉の刀狩り以降 武器を取り上げられてから300年
非戦闘員 百姓/町人を にわか仕立てで兵士に
「死んでこい」と尻を叩いて行かせねばならなかった
その代わり死んだら神にする
そういう精神的装置であり 近代化への必要べからずものであった
国家神道に向かうのも仕方がなかったのでは

−−−−−−★−−−−−−
2015ラグビーワールドカップ
日ノ本対南アフリカ。
「史上最大の番狂わせ」と評された
その折「大和魂」という言葉 もてはやされる
チャンネル桜 「闘論!倒論!討論!」
「大和魂」をテーマに 拙者にも声がかかる
その席で拙者 
「大和魂」という言葉 出展は平安末期 『源氏物語』
紫式部 唐心へのアンチテーゼとして光源氏に云わせる
次が江戸中期 「国学」 幕府の儒学一辺倒へにアンチテーゼ
次が明治初期 非戦闘員ズレした百姓/町人にハッパをかけた「大和魂」

その席上 オマケで
真剣刃引き試合のこと
国民皆兵 武士階級は消滅したが
武士の記憶の遺伝子を持つ者はいる
それ 云いたくて
2025/08/13(水) 晴れ


靖国で会おう

松本 → 靖国問題 これだけ こじらせてしまった原因
分祀云々の前提として 戦後当初 A級戦犯は祀られていなかった
政府も知らない内に 靖国は独立の宗教法人 政府の了承を得る必要ない
靖国神社側が合祀
A級戦犯遺族 国が別の形で祀ってくれたら靖国から降りてもいい
政治的責任をとった形で身をひけば 天皇陛下もお参りにいける

木村 → 東條遺族 恐慌に反対 
東京裁判で敵国からA級戦犯と云われ降りるのは道義に合わない
当時の松平宮司 最後まで抵抗 
松平宮司 曰く
軍事的な戦争は8月15日で終わっているが
国際法上ではサンフランシスコ講和条約が発効して占領が終結する27年まで戦争状態が続いていたのだから 東京裁判で処刑された人たちも「戦死」と
みなされる だから「戦死者」として靖国に祀ったと
解釈の違いが生じた 
靖国の英霊は民族のために戦死した人
一方 政府/政権を維持するため死んだ人との区別を明確にすべきだった
昭和天皇も昭和22年から8回 春と秋の例祭は靖国へ
吉田/岸/池田/佐藤/田中 歴代首相も「公式参拝」で靖国へ
吉田が参拝したときは まだアメリカの占領下
でも 何の問題にならなかった
それが突如として問題視されるようになったのが
三木首相 「玉ぐし料はポケットマネーで払う」「公用車を使わない」
私的な参拝であることを強調
昭和天皇の靖国行幸(親拝)この年の11月が最後
その三年後 A級戦犯の合祀
こじれにこじれ いっそのこと国立墓苑を作ってしまえに

松本 → 国立墓苑を作ったら靖国神社の意味がなくなる
「靖国で会おう」と言った戦死者 行く場所がなければいけない
靖国をなくしてはいけない
けれども 木村さんがおっしゃったとおり 
靖国の祀り方を少し変えなくてはいけない
民族の本来的祀り方とするなら 
戦争でなくなった方ということでいいですが…………

ここで松本氏 ときの政府に反対しながら死んでいった人
たとえばと 中野正剛を挙げる
西郷隆盛 二二六の青年将校も祀るべき

−−−−−−★−−−−−−
松本氏 木村氏 
近藤勇 土方歳三の名 挙げなかった
それでいい 
草莽は それでいい
2025/08/11(月) 降ったりやんだり


日ノ本 本来の神


論客対談 其二
近代日本社会思想史としての「右翼」研究家→ 松本健一
新右翼と呼ばれる民族派「一水会」代表→ 木村三浩

【編集部前向上
本誌十四ノ巻で「右翼は終わった」と論じた松本氏。
片や十三ノ巻の論客 木村氏は近著で『右翼はおわってねぇぞ!』と宣言した。
共に真の民族主義を問う論客の対談が実現した。】

編集部(拙者) 
二十数年ぶりに再読し いまだ解決されてない箇所を抜粋する
小泉総理の靖国参拝から やはり「靖国神社」から火蓋が切られた

木村 → 小泉総理が参拝までの間に出した談話で「軍国主義によって
非業の死を遂げた方」とか「心ならず亡くなられた方」と言っているのは
参拝に誠意をもっているとは感じられなかった

松本 → 小泉総理は基本的に国家原理がない方
靖国神社は明治十年につくられる 大東亜戦争の死者を祀る施設ではない
日本の神というものは 死んだらすべて神になる と言うわけではない
神というもの 畏れるべきもの
「可畏{かしこ}きもの」
神社にお祓いする時に「かしこみかしこみ」というのは畏れるべきもの
かしこきものだと敬う
明治政府 戦前の国のために死んだ人だけ祀るというのは日本人の祀り方ではない
政府に対立し国のために死んだ西郷隆盛とか
二・二六の青年将校も祀ってあるなら 
まさに国のために死んでいった神社になる
しかし ときの政府のために死んでいった人だけを祀る

木村 → 天皇に謀反した平将門でさえ社が建てられている 
日本本来の可畏きもの神道が息づいている
西郷 彰義隊も靖国に祀られるべき
民族派の中でも小泉総理の参拝への評価が分かれてしまう
先ほどの話で「靖国神社は誰を祀るのか」 合祀の基準がクリアされていない

松本 → 『右翼はおわってねぇぞ!』で大東亜戦争を理念的に評価しても
結果的にあの戦争は間違った戦争と
では その責任は誰が取るかと言えば 東条英機が取らなくてはいけない
東条さん 生きていればそうしたはず

−−−−−−★−−−−−−
『右翼はおわってねぇぞ!』 このタイトル
木村さんに相談され 拙者が提言

大東亜戦争を理念的に どうかとか こうだとか 
良い戦争 悪い戦争 とかでなく
「太平洋戦」は慰霊にはならぬ
慰霊の際は 「大東亜戦争」
大東亜戦争を戦ったのだから
2025/08/09(土) 晴れ


微々たる票の意味


兵頭 → 最後の質問
今年か来年 衆議院の解散・総選挙となり
どこからか誘われたら 出ますか?

【杉山 → どこからも誘われませんよ(笑)。万が一また自由連合から話をいただいたなら立候補者でなく編集者としてお手伝いさせていただきたい。やはり自分が立候補した党から一人もだせなかった悔しさと、テレビのワイドショー的選挙事前報道で、小さな政党、無名候補が選択肢から外され、土俵にさえ上がれないことへの怒りは残る。

 話をいただきキャンペーンでは負けないようにしなければ。キャンペーンに勝てば今回の選挙に負けても後につなげられる。でも期待した自由連合のキャンペーンは生まれなかった。いままで通り「医療と福祉の自由連合」では公明党、共産党に埋もれてしまったし、「日本を変えよう」も自民党と同じ。与党と野党の面がごった煮になり、またタレント候補、無名候補のごった煮を説得させるキャンペーンをつくれなかった。終始、タレント候補乱立の攻防戦に手一杯だった。

 自分としては街頭演説で「自由連合は高杉晋作の騎兵隊であり、変革期にはこのような規制概念を打ち払った集団のみが突破口を開く」と訴えたんですが。
 徳田代表は医者の立場から日本の医療制度への疑問を投げかけた。それに対する同業の医師会から政治圧力による攻撃を受け、政治には政治でと政党を興したわけです。彼の心証にある博愛を起点に、既得権者による既得権者が生き残るための構造改革でなく、同時に、敗れた者の救済、敗者復活戦が残された二枚腰の社会構築のキャンペーンを展開することが急務ではないか。】

兵頭 → 杉山さん 「悔い」よりも得られた方が大きかったみたいですね
しかも肝心の闘争心を無していないのですから
それは政治的に まだ敗北を意味してません

【杉山 → 杉山に投ぜられた票は微々たるものでしたが、量で計るのでなければ、無明長夜{むみょうじょうや}の中で、見知らぬ者がお互いに腕を取り、脈を取り合って「まだ生きてるぞ!」と確認しあった充実感は残った。ええ、自分では敗北してないと思っています(笑) 】

【杉山ひでお参議院選挙報告】 オワリ
2025/08/07(木) 晴れ


OLD 


Colorful Diary Falcon World