■地雷
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田中 → 大きな体が ぶつかり合うのっていうのは やはりすごいことだと 前田 → 大きい小さいはパッと目に入って誰にもわかるもの でも まったく違った現実に即対応できる精神力は いままで培ったものを一度壊して そしてルールのない現実に対応する中で周りをよく見て 自分を抑えながら次の行動の選択をすることだと アフガニスタン人 怠け者といわれるくらい何もしないけど それは後で考えてわかった 体力を温存するため 何もしないところで次の動作を選択している 田中 → これからリングへ というのでない 生活の場が戦場 生活しながら戦っている
田中 → ベトナム戦争 たとえアメリカが百万の軍を投入しても その地で生活しながら根ざしながら生きている方がやはり強い アフガニスタンの人たちも同じ ヒンズークシェの高い山が 深い谷が天然の要塞 戦車は入ってこれない だから空から地雷をまくだけ けど岩の上にポコン ポコン当たり効果ない 結局 日露戦争の二〇三高地じゃないが 丘の上に砦をつくり その周りに地雷をまく ソ連は兵隊が集まりませんから 人さらいのようにして集める だから彼らは逃げ出す 我々ゲリラのところに逃げてくる でも 埋めた地雷は以前に埋められたものだから 彼らにはわからない 十人逃げてくれば三、四人は必ず被爆死 たどり着くのは半分
前田 → 旧ソ連の対人地雷って すごく残酷な地雷で 足とか手だけを飛ばすそうですね
田中 → ええ残酷なものです ちょうどこのくらい(と云って両手で15センチほどの円をつくる) 上にゴムが貼ってあって振り子になっている それでボッコといくわけです 私がアフガンに入れた南条直子というカメラマンが対人地雷を踏んで 死にました
次回 死んだ女性カメラマンの話
−−−−−−★−−−−−− フランシスコ教皇 没す 2019年 フランシスコ教皇を被爆地・長崎と広島へと導いたのは 1枚の写真 長崎で原爆が落とされた後のこと 米軍の従軍カメラマンが撮った 「焼き場に立つ少年」 弟の亡きがらを背負って火葬場の前で順番を待っている 凛とした立ち姿
フランシスコ教皇 この写真をポストカードにし 全世界の教会に配っていた そのそばには「戦争がもたらすもの」いうメッセージを書き添えた フランシスコ教皇 「この写真は、1000の言葉よりも、人の心を動かし得るものです」
拙者 涙した 軍国少年の<見事>さに ★無銘刀(掲示板)に写真アップしました ご覧あれ
2025/04/22(火)  |
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