■インドネシア独立宣言
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八月十四日 スカルノ/ハッタ 宿願の独立許可を 陸軍南方総軍司令官・寺内大将から与えられ ジャカルタに帰還 祝賀に酔った ぞの翌日 日ノ本敗戦 終戦
混乱は省略
海軍 ジャカルタに武官府 設置 前田精{ただし}海軍少将 責任者に 前田少将 以前からスカルノ/ハッタと親しく 「独立塾」を開き インドネシア青年に愛国主義教育と軍事訓練を施していた Wkipediaなどの知ったかぶりなどでは <オランダ植民地政府がオーストラリアに逃亡したままという 権力の空白をぬった形で、 中央ジャカルタ東 スカルノ邸で スカルノとハッタの二人が 「インドネシア国民の名において」インドネシアの独立を宣言した>
だが 事実は こうだ 前田少将が拉致されていたスカルノ/ハッタを部下たちに探し救出させ 日ノ本が財産目録としてインドネシアを連合軍へ引き渡すこと <忍び難きを忍ばす> 陸軍の反対を押し切り 敗戦から二日後の八月十七日午前十時 あの劇的な独立宣言が行われた
《我々インド根人民は ここに独立の宣言をする 権力の移譲その他に関する事項は適切な方法により 可能な限り短時間に解決される インドネシアを代表して スカルノ ハッタ ジャカルタにて 17―8−05 》 (05→皇紀2605年) 日ノ本製であった
オランダを後押しする連合軍のインドネシア開放軍げへ攻撃はつづいた 1947年 オランダは大攻勢に転じた 日本軍の武装解除 日本兵 収容所へ しかし 日本兵脱走 インドネシア独立義勇軍へ ゲリラ戦で抵抗 五年後 オランダ ついにキブアップ インドネシアを共和国として認める これがアジア初の植民地での独立であった
2024/12/03(火) |
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